にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

メタファー

久しぶりに映画イル・ポスティーノを観た。

 

主人公の郵便配達人マリオが詩人パブロに憧れて、愛する女性にメタファーを披露する。

「君の笑顔は蝶のように顔に広がる」

 

それで女性はウットリしてしまうわけだが、上手い例えというのは、ありありとその様子をイメージさせる。

 

メタファーといえば村上春樹は名人である。彼の小説は7割がたメタファーで出来ているといってもいいかもしれない。そのくらい、これでもかと上手すぎる例えが次々に出てくる。

 

メタファーの使い手には憧れるところがある。とたんに文章に高貴な香りが漂う。

 

少しずつ練習してみようかな。

 

大谷翔平のスイングは空を舞う鷹のように軽やかだ。ふわりと華麗に、しかしキリッと素早く、そして力強い。

 

対して森友哉のスイングは嵐に雄叫びをあげる竜のように凶暴である。

 

 

ん〜なかなか難しい。。

訓練が必要ですね。

名作は何度観ても名作

ここ数年、Netflixやhuluなどで観たことがないドラマや映画を探すことが多かったけれど、当然「期待外れ」も多い。

 

しばらく仕事が忙しくて心が荒んできた自覚があったので、「間違いなく」感動に浸れる効果を求めて、映画「ブラス!」を観た。

これはたぶん人生で最も多く観ている作品で、自前でDVDを持っている。

 

もう展開もすべて頭に入っているが、何度観ても泣ける。

というか、「次にこのシーンがくる」と思っただけで目頭が熱くなってくる。

 

数年振りに観たけれど、とにかく出演者の表情がいい。

名優ピート・ポスルスウェイト、若き日のユアン・マクレガーなど日本でもおなじみのキャストを含め、楽団員・炭鉱夫役の一人ひとりが、まるで実際の生活を垣間見ているかのように感じるほど、いきいきとリアルに演じている。

 

ひとたびDVDを再生すると、すぐに画面にひきこまれ、あっという間に終わってしまった。「ああ本当にこの映画が好きだ」と実感した。

 

そんなハズレなしの素晴らしさに味をしめて、このところはすっかり「お気に入りを観る」ウィークとなっている。

イル・ポスティーノ、レオン、ギター弾きの恋、ゴッドファーザー、ドラマ版モテキ、などなど。

 

新しく好きな作品に出会う嬉しさは格別だけど、名作をあらためて観るのも、とても充実した気分になれるとあらためて感じている。

 

 

この週末は、この10年の作品では好きなベスト2といえる「イントゥ・ザ・ワイルド」「バクマン」を観よう。

デモ行進

きょう街中で、安倍政権に抗議するデモを見かけた。たぶん数十名くらいの規模で、前後を警察官に挟まれながら道路を行進していた。

 

森友問題、加計学園問題、日報隠蔽問題などについて声を上げていた。

 

ぼくの住む地方都市ではデモ自体がとても珍しい。周りは好奇と冷笑が入り混じった視線を向けているし、参加者も先頭で声を張り上げている数人以外はどこか恥ずかしそうだった。

 

ぼくも最近の安倍政権には決して支持の立場ではないけれど、そんなぼくからみてもなんだか痛々しい。こんなの意味があるのだろうか、と思った。

 

そこでふと興味が湧いた。彼らが「やってよかった」かどうかを判断する効果指標はどこにあるのだろうか。

マスコミへの露出か、SNSの反応か。

そんなのこれじゃあんまり期待できない。

単なる自己満足でやってるだけなのかもしれない。

 

でも本当に意味がないのか。あのシュプレヒコールを聞いて、道行く人は冷笑したとしても、少なくとも安倍政権にプラスな印象はもたないように思える。(もともとの支持者以外は)

 

そのうちの何割かは、もしかしたら次の選挙では不支持票を入れることにつながるかもしれない。

そう考えると必ずしも意味がないとは言い切れなくなってくる。

デモ隊は、意識的か無意識的かはともかく、自分たちが笑われながらも、政権にもささやかなダメージを与えているのかもしれない。

 

仕事柄よく最近は「効果検証」を求められるので、だんだんと「意味がない」ことはやりたくないし、「これに何の意味があるのか」と余計なお世話のように考えるようになってしまった。

 

まあそんなことを考えずに「とにかくやりたい」と思えることが本当に好きなことなんだろうけど。

 

 

映画感想文「タクシー運転手」

もうお腹いっぱいである。

 

笑い、ハラハラし、恐怖し、気づけば感動の涙が流れている。

これでもかと観客を飽きさせない怒涛の展開で2時間半はあっという間だ。

 

実際の事件を題材にしているとはいえ、たとえばアメリカン・スナイパーゼロ・ダーク・サーティのような、ドキュメンタリーを観ているような臨場感ではない。

 

悲惨なシーンも多く出てくるけれど、それだけを観せたい作品ではない。あくまでも誰が観ても楽しめる、間口の広いエンターテイメント映画である。

 

けれど史実に光を当て、二度と同じことが起きないようにと願う気持ちは強く伝わる。そして日本で同じことが起きたとき、自分はどうするのか、そんなことを考えさせられる。

 

それにしてもソン・ガンホ

ちょっと抜けて、ケチくさく、うだつの上がらない、でも義理人情に厚く、心優しく、秘めた勇気をもっている。そんないくつもの面をもった一人のキャラクターが本当にリアルに演じられている。見事としか言いようがない。

日本で言えば彼に匹敵する俳優は大泉洋くらいだろうか。

 

いわゆる「通」受けする作品ではないかもしれないけど、少しでも多くの人に見てほしいし、見て損はないと思う。

 

ようやく一区切り

今日ひとつ大きなプレゼンが終わり、この2ヶ月くらいやけに忙しかった波が一旦落ち着くことになりそうだ。

 


プレゼン終わりでそのまま東京出張に向かっているのだが、今回のはけっこう気楽なやつで、気分転換の旅行のようなものである。

 


プレゼン自体はいまいちな雰囲気で、結果は期待できそうもないけれど、もう終わったことを悔いても仕方がない。とりあえずは開放感に浸りたい。

 


空港でビールを飲み、機内ではビデオを観て、東京着いたら同僚と合流して酒盛りの予定である。

 


明日帰宅すればそこからはゴールデンウイーク。ひたすらのんびりだらだらと過ごして疲れを癒したい。

 

出張の身で誰も言ってくれないから自分で言おう。
オレ、おつかれさま。

ツイッター疲れ

もともと誰かの批判であふれがちなタイムラインではあったけれど、最近は特にすごい。

 

できるだけいろんな人の言葉を拾えるように、たとえば思想でいえば右から左まで、自分の考えに合わないアカウントもあえてフォローしているから、ひどい戦場と化している。

 

森友問題やセクハラ問題などに関して、ヒートアップした批難の応酬である。

朝からタイムラインを眺めてもすぐに疲れて閉じてしまうことが多くなった。

 

ぼくは今のところ、どちらかといえば反政権寄りだと思うけど、どちらの意見にも疲れてしまう。

 

ほんとはみんな、もっと楽しいこと、面白い話題が好きなはずだ。

だって明らかに、そういうネタの方が広がりが早い。誰だって面白いと思われたいし、誰かを楽しませたいと思っているのだ。

 

たとえば

#羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権

めちゃくちゃ面白かったし、あっという間にタイムラインを席巻した。

 

ツイッターはこういう方がが楽しい。

 

意見を言うのは勝手だし、嫌なら見なけりゃいいんだけど。

 

でもみんなほんとは面白いことが好きなんだから。できれば気持ちが明るくなるツイートをたくさん見たい。

自分はなぜこの仕事をしているのか。

昨日の「プロフェッショナル仕事の流儀」は、「一万円選書」で有名な書店の岩田さんだった。彼の言葉はけっこう響いた。

 

父親の稼業を継ぐ形で本屋になったものの、取次店から送られてくるものを右から左に売るだけ。何のやりがいもなかった。そして時代の流れもあり経営危機に陥る。そこで「自分が何で本屋をやっているのか」を見つめなおしたという。

 

たどり着いたのは「自分が『好き』な本を売りたい」ということ。

 

日々仕事をしていると、よく目的や目標を見失いがちになる。でも自分がなぜ今の仕事を選んだのか、原点に帰って考えてみることで、新しい視界が開けることもあるように思う。

 

自分が広告業界にいるのは、いいものやサービスと、それを求めている人とをつなぐ役割に面白さを感じているからだ。

そこの本質を見失わないようにしたい。

今の環境にいるのが当たり前、となってしまわないように気を付けたい。