にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

Netflixブランドの強さ

本当はamazonのプライムビデオで観たのに「Netflixで観た」と言っちゃうことありませんか?ぼくはあります…。なんとなくNetflixで観たと言った方が「(海外)映画通・ドラマ通」を装える気分になるのです。なのでどちらでも配信されている作品を観た場合は、ついNetflixと言ってしまうことがあります。


これがすなわちネトフリのブランド力ということなんでしょうね。実際にオリジナル作品は圧倒的に面白いものが多い。Huluやプライムビデオとは大きく差がついていると感じます。そこで積み重ねられた「良い作品が多い」という印象から上記のぼくのような言動が生まれ、その伝聞によりさらにブランドイメージが向上する、というサイクルができているのでしょう。こうなるとそう簡単に優位は動きそうにありません。今後他社の巻き返しはあるのか。自分が「プライムで観た」と胸を張って言える日がくるのか。興味深く待ちたいと思います。

電話のスタイル

ぼくの会社では各自に携帯電話が与えられていて、だいたいの用件はそれで話すのだけど、オフィスの様子を眺めているといろんな電話スタイルがあって興味深い。


すべての電話を自席でそのまま話す人がいれば、逆に必ず席をたってどこかに行く人もいる。ちなみにぼくは仕事の用件は自席で話し、プライベートな、居酒屋の予約や妻にかけるときなどは席を立つタイプだ。

でも一方でぼくの部署には、仕事の電話はほぼ周りに聞こえない場所に移動するが、奥さんなどへのプライベートな用件は自席でという、なかなか珍しいスタイルの後輩もいる。


仕事をしていれば、話す内容をまわりに聞かれたくないということはある。これは自分にも覚えがあるし、気持ちとしてはわかる。でもぼくはそこで逃げないように、踏ん張ることにしている。これは言ってみれば「自分ブランディング」のひとつである。どんな内容でも周囲に人がいる状況で話すことで、自然と裏表がない印象や信頼感を積み重ねていくことができると思っている。また何かピンチに陥った時、その場を打開するために、たとえば誰かを悪者にするような安易な会話をしてしまわないように、自分に対してプレッシャーをかけているという意味合いもある。


電話というのはその人の性格や自信がなんとなく現れて、なかなか面白いものだと思う。

幸せであるために

ぼくはきっと世の中を動かすような起業家にはなれないし、大会社の社長にもなれない。サラリーマンとして成功して有名になることもない。もうこの年齢になればだいたいわかる。これからどんなに努力してもプロ野球選手になれないことと同じだ。


でも人生を諦めているとか、そういうことではない。「幸せ」かどうかは人それぞれに尺度があり、幸いにもぼくの尺度は出世や知名度にはなさそうだ。妻や子どもたちとできるだけ長く仲良く健康に暮らし、その生活を維持できる程度の収入があればよくて、つまり今の状況にある程度満足している。


ただしこれから先もずっと幸せが続くとは限らない。これまでの人生、ぼくはそれなりに「動いて」きた。もっとこんなことがしたい、と会社を辞めたこともあるし、ワーホリで外国にも行った。東京はそろそろいいかなと思えば、地方への転勤を願い出てなんとか実現できた。言ってみれば自分の選択の結果、今の状況があるわけで、そのことが幸福度を高めていると思える。


今は満足していることにもそのうち物足りなく感じたり、「もっとこんなことがしたい」という欲求が出てくる可能性もある。今だってないわけではないが、環境を変えて休みや収入が減る可能性があるから、それよりもまだ家族と楽しく過ごすことを優先したい気持ちが強い。それも「自分の選択」だ。


でも今後は「もっとこうしたい」気持ちが高まってくることもある。そのときは年齢を言い訳にせず「動く」ことを選択できる自分でありたい。

メルカリ初体験 その後

出品から2日、iPhone6がついに売れた。

24時間経って23,000円から21,000円へと値下げしたところ、2万円なら買うというコメントが。そこで2万円へ値下げしてみたものの、半日以上経ってもその人からは一向にリアクションなし。その間にも16,000yen OK?なんてコメントが入ってくる。2万円以下では売りたくなかったから、一旦取り下げて、また21,000円くらいから出品してみようかと考えていた矢先、その通知はやってきた。これまでコメントがなかった人が、いきなり買ってくれたのだ。もうクレジット決済もされているから、あとはこちらから送るのみ。一応4~7日以内に発送と設定していたのだが、自分が以前購入したときの経験から、少しでも早く送った方が相手も安心すると思い翌日には発送した。無事に届いてトラブルなく取引が終了してくれることを願うのみだ。


ここまでやってみて、本当に何をいまさらという感じなのだけど、自分でこんなに手軽に「商売」を体験できるというのはとても面白かった。特に自分が出品したスマホカテゴリーは激戦区。無数の競合商品があるなかでどこを売りにするか。あれこれ考えて試行錯誤した結果、希望通りの価格で売れたのはすごく嬉しかった。


これからも様々なカテゴリーで個人間の直接取引というのは増えていくだろう。車とか不動産もそうなるかもしれない。「個人のスキル」売買も、もっと大きな市場になりそうだ。自営業かサラリーマンかにかかわらず、いかに「マーケット感覚」を磨けるかによって、生活水準も大きく変わってくる時代になりそうだ。

暴力教師の思い出

ぼくが小学校4年生になるとき、F先生はやってきた。もう30年くらい前の話だ。

隣のクラスが3年生のころから学級崩壊状態になり、若い女性の担任が休職する事態になった。そこで新学期から赴任してきたのがF先生だ。そのまま持ち上がりの隣のクラスの担任になった彼は児童の間でほどなく評判になった。恐ろしい「暴力教師」として。殴る蹴るは当たり前。そのクラスがあっという間に鎮静化したのは言うまでもない。ぼくは直接関わりがなかったけれど、サッカー部の顧問でもあった彼が、泣きわめく部員の首根っこをつかんで体育倉庫に引きずっていく光景を目撃して戦慄した記憶がある。


少し話が逸れるが、同じ学年には有名な問題児がいた。M君としておこう。M君はケンカが強く暴れん坊、加えてお調子者ときている。3年生の頃に隣のクラスが崩壊したのは、彼がやりたい放題になっていたことが大きい。そんなM君さえもがF先生により制圧されたのだ。


やがて4年生が終わりクラス替えが行われた。なんとぼくはF先生の学級となってしまった。あのときの絶望と恐怖は忘れられない。同じクラスになった友達と「この世の終わりだ」と話していた。


F先生のもと、M君とも同じクラスになり5年生の新学期が始まった。これからピリピリと緊張した毎日を送ることになる。小学校生活ではじめて学校に行くのが憂鬱に感じた。


いざはじまってみると、ちょっとした忘れ物でも強烈なゲンコツがくる。ひどいのになると蹴りを食らって倒れこむ子もいる。確かに「暴力教師」なのは間違いない。でも普段の教室の雰囲気はちょっとイメージが違っていた。なんだか明るいのだ。前年からの持ち上がりの子たちは先生のことをからかったりするくらいで、笑いが絶えない。暴れん坊M君も、たまに手ひどいお仕置きをうけて泣いたりもするが、F先生にめちゃくちゃ懐いている。


ぼくもだんだんと先生のことがわかってきた。怒ると尋常じゃなく怖い。手も足もでる。でもそれ以上に愛情をかけてくれていることが伝わってくるのだ。だからあれほど暴力をふるうにも関わらず、児童から、そして親からも信頼がとても厚い人だった。


ちょっとM君の話に戻ろう。ぼくの母親から聞いたところによると、彼は父子家庭だった。そしてお父さんはスナックをやっていた。夜が遅いため朝は起きられず、M君もだんだんと登校時間が適当になり、クラスの中でも荒れていったようだ。そこに赴任してきたF先生は、M君を徹底的に躾ける一方で、毎朝彼の自宅まで迎えに行き、一緒に登校するようになった。


また、H君という根っからの泣き虫の子がいた。そんな彼も5年生からF先生のクラスになり、どうなることかと思っていたが、案の定、少し怒られただけで泣き通しだ。すると先生はまわりの子に「バケツもってこい!」と怒鳴る。H君の顔の下にバケツを置き「このくらいで泣く奴にはバケツでもないと周りがびしょ濡れになる」と言う。泣き虫の子だから優しく接するなんて気遣いはまるでない人なのだ。

そんなある日、ぼくと、ぼくの親友だった子が2人先生に呼ばれた。「Hはお母さんが昼間働いていて、遊び相手もおらず家に帰ったらずっと一人でゲームばかりしてるみたいだ。だからお前たちたまに遊びに行ってやってくれ」と頼まれた。あんなに厳しく接してるけど、ちゃんと彼のことを考えてるんだなと子ども心に感心した。そしてぼく達のことを信頼して頼んでくれてることが伝わってきて嬉しくなった。以来たまに友達と連れ立ってH君の家に行き、一緒にゲームをしたり近所の公園で遊んだ。


そのまま6年生にもちあがり1学期が終わるとき、ぼくは転校することになった。先生はとても寂しがってくれた。お別れ会の日、まだ世の中にはほとんど普及していなかったどデカいビデオカメラをどこかの学校から借りてきて、撮影してくれた。後日送られてきたVHSテープには、お別れ会の様子のほかに、生徒一人ひとりと先生からのメッセージ、そして学校内をくまなく自分の解説付きで撮影した映像が入っていた。これは今でもぼくの宝物だ。


F先生のもとではイジメなんてあり得なかった。もしそんなことがバレたら、本気で「殺される」と思っていた。そして同時に、先生を悲しませるようなことはしたくなかった。


暴力自体を肯定するつもりはない。だけど暴力をふるうから「悪い指導者」と決めつけるのは、ちょっと違うということをぼくは知っている。

失敗を糧に

知り合いから、朝野球の人数が足りなくなるかもしれないから、そうなったら助けてくれませんか?と連絡がきた。

 

前日までに分かれば行きますよ、と答えたが、1人ドタキャン常習者がいて、当日のその人しだいだという。足りなくなるとしたら2試合目の方なので、1試合目が始まる朝5時までには、必要あるなしに関わらず連絡しますとのことだった。

 

やれやれ、日曜の朝に面倒くさいことになったと若干げんなりしたけれど、ぼくも野球のメンバー集めに苦労したことはあるから、わかりましたと答えておいた。

 

少し話は逸れるけれど、野球は基本的には一度交代したら戻れないし、ポジションごとにやや専門性もあるので、草野球ではあまりメンバー交代しにくいという事情がある。だからせっかく行っても人数が足りていれば出番なく終わる、なんてことにもなりかねない。そのため集める方も「とにかく多くの人に来てもらう」という発想にはならず、ギリギリの線を見極めることになる。

 

そんなわけで一応朝5時にタイマーをセットして眠りについた。

 

果たして、連絡はこなかった。

6時まで待って音沙汰ないので寝たのだが、起きてみると「すみませんでした」とLINEが何通も入っていた。

 

本来ならめちゃくちゃ腹が立つところなんだろうけど、そうはならなかった。

 

ぼくも以前同じ失敗をしたことがあるから。

 

きっと人数が揃ったことで安心して、ぼくに連絡するのを忘れていたのだろう。

そう想像できた。

 

ぼくもあのときはひどい迷惑をかけてしまったけれど、その経験があったから他人の失敗に寛容になれた。

 

ミスはないに越したことはないが、その後の糧にできたら悪いことばかりでもないなと思えた出来事だった。

チラシ配り

街を歩いていたら、40~50代とおぼしきエプロンをつけた2名の女性がにこやかにチラシ配りをしていた。職業柄、得体のしれない配りものはだいたいもらうようにしている。果たしてそれは料理教室のチラシだった。主に女性向けだが、男性教室がある旨も書かれている。入会金がOFFになるキャンペーン中とのことだった。


場所は地下鉄駅から地上に出てすぐの場所とはいえオフィス街。平日の昼間にこの場所でこのチラシを配る狙いはどこにあるのか、興味がわいた。

人通りは多いが、あまり料理教室のターゲット割合が高い場所とは思えず、チラシはハケたとしても「当たる」確立はかなり低いのではないだろうか。


この場所で過去に成功体験があるのか、単に早く配り終えたかったか、あまり深く考えていないだけなのか。


自分だったらどうするだろう。もう少し主婦の多いショッピング街とか、こだわり食材を扱う店や市場の近くなんかもいいかもしれない。「食」への関与が高い人が集まりやすい場所を探してみたらどうだろうか。でもそのくらいは考え付くだろう。ぼくの住む地方都市なんかだと、確立は低くても、結局は単に人通りが多い場所が一番「当たり」の数は多いのかもしれない。


いろいろ考えてみると面白い。