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にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

ショーンさんの話題に乗ってみた

こんにちは


経歴詐称の件、安倍さんや麻生さんの過去にまで飛び火したりして、なかなか目が離せない展開になってきましたね。


個人的にも、この件に関するいろんな人の意見を見聞きして、とても面白く、かつ何となくモヤっとしたものを感じていたので、一度自分なりの考えを文章にしてみたいと思いました。


以前から、よく日本人は「肩書きに弱い」と言われます。
詐称のことは一旦置いておいて、なぜそんなに肩書きを気にするのか、を考えてみました。


ある人は、この現象をブランド品のバッグになぞらえて、その機能や品質よりも「高価なものを所持できること」をひけらかしたい心理があり、
テレビ番組に並ぶコメンテーターの肩書きについても、
制作者側にそれに近い感覚があって、また視聴者もそのハッタリに騙される傾向があるのではないか、と述べていました。

それはそれで納得できる分析です。


ですが、ぼくは「肩書き」を重要視することは
恥ずべきことばかりでもない気がしています。


たとえば、ぼくはたまに本屋に行き仕事に関連するビジネス本コーナーで、よさそうなものがないかを物色します。


数えきれないほど並ぶ本の中で、まず見るのは「著者」です。
自分の業界で有名な人、聞いたことのある名前の人の本だと、手に取ってみようという気になります。

また名前は知らなくても、業界トップの会社の●●ディレクター、のような肩書きがあると、自分にとって参考になることが書いてるかも、と興味が湧きます。

まんまと「肩書き」に釣られているわけです。

なぜ「釣られる」のかを考えてみると、その肩書きの人が語ることは、自分の人生経験・思考の蓄積から発せられていることであり、少なくとも「机上の空論」ではない、ということが担保されているからです。

つまり、自分にとって読む価値があるか、話を聞く価値がありそうか、を手っ取り早く判断するための、最初のフィルターのような役割を果たしているのだと思います。


先日、イチローがインタビューで「野球というスポーツは、打つのも投げるのも、『胸を相手に見せたら負け』」と語っていて「なるほど~」と深く納得しました。
さっそくテレビの前で、自分のバッティングフォームの確認をしてしまうくらい感銘を受けました。


けれどこれがイチローではなく、
たとえばアナウンサーや記者が「野球って胸を見せたら負けですから」と言うのを聞いたとしても、「ずいぶん偉そうに語ってるな~」と感じて終わりでしょう。

そこには決定的に、ことばの「重み」に違いがあります。


それと同じで、肩書きには、たとえその人を知らなくても「重み」があるかどうかの判断基準を与えてくれます。


なのでぼく自身は、肩書きに影響されるのは、ある意味では合理的な行動なんじゃないかと思います。


ただし、肩書きによってメジャーな舞台に立てる、本を手に取ってもらえる、ということはあるかもしれませんが、その先の「中身」が認められ、生き延びていけるかは、まったく別の話だと思います。


どんなにすごい賞をとった有名な人の本でも、つまらないものはつまらないし、現役時代に名選手だった人でも、解説者としてはまったく聞くに堪えない、ということもよくあります。

そして中身がないひとは、遅かれ早かれ消えていくのです。


そう考えるとショーンさんは、何年もテレビや講演で活躍し続けていたわけで、しっかり「中身がある」人だったのだと思います。

ショーンさんを起用する側も、単純に肩書きに騙され続けたというよりは、タレントやコメンテーターとしての能力を認めていたと考える方が自然です。


それほど有能であるなら、詐称なんて後ろめたいことをせずとも、何かしら別の方法を考えられたのでは、とは思いますが、
まず「舞台」にあがり、「重み」を感じさせるのに肩書きが必要と考えたのもわからないではない気がします。


まあとにかく、視聴者が直接なにか被害を被ったわけでもなく、むしろ楽しませてもらっているくらいなので、
あまり目くじらをたてず、追いつめすぎることがないといいなと思います。


復帰して、他にはないポジションのタレントとして活躍するのを楽しみに待ちたいところです。


最初に出演するとしたらサンジャポかロンハ―かな。