にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

清原焼肉弁当問題

こんにちは

世間は乙武さんの話題でもちきりですね。


でもぼくが、ここのところ何日かもやもやしていたのは「焼肉弁当」についてです。

清原(の関係者)が、張り込む報道陣に差し入れをし、そのほとんどが食べられずに終わったという一件です。


ネットなどの反応を見ていると「食べないのは当然」という意見が圧倒的多数のようで、少し意外でした。


なぜ「食べてはいけない」という考えになるのか、その理由が興味深いと思いました。


後の報道で、清原の友人が面白半分にやったみたいなのもありましたが、これは東スポということで信憑性がよくわからないので、とりあえず放っておきます。


理由としては、ネットの意見には大きく2つあったように思います。


まず1つ目は「犯罪者からごちそうになることに、なんとなく抵抗がある」。

これはまあわかります。
理屈ではなく気持ちの問題として「なんとなく」手が付けられなかったというのは、ぼくがその場にいてもそうなったかもしれません。



しかしどちらかというと、「取材対象からもらうことで、追及が生ぬるくなる」という2つ目の理由が大勢を占めていたように思います。

これには正直いって「?」となりました。

彼はまだ公判を控えていますし、たとえば担当の検事や警察官が「もらえない」というのならよくわかります。
彼らの仕事や判断はあくまでも事件に関する事実だけに基づき客観的に行われるべきで、被告に対して「感情」が生まれるようなやり取りを避けるのは合理的です。


しかし「報道」に関して言えば、そもそもこれまでマスコミ各社の視聴率・部数を高めることだけを目的とした、善意も悪意もひっくるめた感情にまみれたものばかりです。

個人的な印象で言えば、ベッキー問題と変わりない「エンタメネタ」の状態です。


とすれば、差し入れの弁当を食べることは、そんなに悪いことなのでしょうか。
それで報道量が減ったり、「善意」に傾いた内容が増えることがあったとして、ぼくらにとってマイナスなことなのでしょうか。


もちろんマスコミ各社にとっては、絶好のネタである清原さんの追及をゆるめることは「会社の利益のために」よくない、という判断になるのはある程度理解できます。


でも、ほとんど全社全員が「食べない」という判断をしたことに、違和感を感じました。
そもそもエンタメでしかない清原ネタならば、食べてみた方が「おいしい」と考える人が、スポニチの記者以外にももっといても不思議ではないのにな、と思いました。


しかもネットで見る限り、「食べないのが当然」と思っている人たちもそれなりにいるようで驚きました。


もしかするとぼくが思っているよりも、清原さんを追いかけまわす報道が「社会的意義の大きなこと」として考えている人は多いのかもしれません。


こうして書いてみても、この件に関してはやっぱり少しやりきれない、もやっとした気持ちが残るのでした。