読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

3人を殺すか1人を殺すか

こんにちは


いろいろ考えさせられた話題について。
まったく自分の頭の中も整理できませんが、なんだか心に引っ掛かったので備忘のために記しておこうと思いました。


脳科学者である池谷裕二さんの今日のツイート


道に子供三人が飛び出したとき
ハンドルを切れば別の一人をひいてしまうが子供の命は助かるという状況で、多くの人は一人の犠牲は仕方がないと答えましたが、一方で、そんな判断をするAI自動車には乗りたくないと答えました。今朝の『サイエンス』

https://twitter.com/yuji_ikegaya/status/746102239303892993


ぼくはよく車に乗りますが、特別に運転が好きというわけではない。
できれば早く自動運転が普及してくれないかな~と願っている方です。


そうすれば人間が運転するよりも明らかに安全になり事故が減るだろうし、眠気と闘う、なんてこともなくなるわけです。


しかし、そう遠くないであろうAI自動車の実現に向け突き付けられた「倫理」の問題・・・

「3人を取るか1人を取るか。」


自分が運転をしているとき、その判断は「とっさに」されるものです。
その瞬間、目の前で見えていることだけに脳と体が条件反射で起こす対応です。
そこに倫理や道徳が差し挟まれる余地はありません。


けれどもし自分がAI自動車にプログラミングをするとしたらどうでしょう。
「こうすれば、ああなる」ことが全部わかっている状況で、車にどのように対応させるかを事前に選択する必要があるとしたら・・・


さらにこんな選択もあります。
「他人の死か、自分の死か。」


ま、実際には自分が選択するなんてことはないのでしょうが、もしその立場だったらどうするのだろう。とても考えさせられました。


いずれにしても、「この車はいざというときに『自分を救うために他人を犠牲にする』」なんてことを頭の片隅に置きながらドライブするのは、あまり気持ちのよいものではないですね…

レンタカーを借りるときとか、「どちらにしますか?」なんて聞かれたりして…


世の中全体で見ると、というか「事故の増減」という観点からみるとAIの発展は疑問の余地なく歓迎すべきこと。

でもこのような問題に直面したとき、それと共存していく覚悟があるかと問われると、ぼくは「まだない」と答えざるをえません。


非常にもやもやしてます・・・