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にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

宮﨑駿はやっぱり素敵だった件

こんにちは


日曜日のNHKスペシャル、宮﨑駿の回を観ました。

長年構想をあたためていた「毛虫のボロ」企画。
CGによってボロが動いている姿を見たときの彼の顔が、子どもが好きなおもちゃを見つけたときのように、本当に嬉しそうに輝いていたのがとても印象的でした。


もうひとつの番組のハイライト。翌日からかなり話題にもなっていましたが、ドワンゴ川上さんが、人工知能よって動く映像を紹介したシーン。

そのCG映像は、人間のようなものが動き回っているのですが、痛覚がない設定のため頭を利用して動き回るという、グロテスクなものでした。


川上さんによると、ゾンビゲームや映画の動きなどに使えると思っているとのこと。
ぼくも映像を見たとき、ふだんからウォーキングデッドなどのゾンビものを見慣れてることもあり、気持ち悪いながらもちょっとコミカルにも見えて笑ってしまったほどでした。


おそらく川上さんとしては、人工知能による、人間には思いつかないような表現の可能性を宮﨑さんに感じてもらいたかったのだと思います。


しかししかし。宮﨑さんは激怒します。自分には体の不自由な友人がいる。映像を見てその彼を思い出した。自分には生命の冒涜に見える、と。


現場は凍りつきます。川上さんほどの人を凍りつかせるのは、世の中広しといえども宮﨑駿くらいじゃないかと思いますが、まあそれは置いといて。

彼の「生命の冒涜」という発言は、なんかジーンときました。

前半の、CGのボロが動くのを嬉しそうに見入るシーンしかり、「いのちあるもの」への深い深い愛情のようなものを感じた瞬間でした。そしてこれまでの彼の作品は、すべてその目線で一貫していることも、あらためて思い起こされたのでした。


川上さんの、エンジニア・クリエイターとしての好奇心。宮﨑さんの、アーティスト・作家としての信念。どちらが良い悪いというものではありません。でもこれからの時代、宮﨑さんの存在は、人の心の拠り所として、ますますかけがえのないものになっていくような気がしました。