にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

朝の通勤電車で

最近ブログをサボりがちだ。

いや、ブログだけじゃない。オンライン英会話も隔月でやろうと思っていたが、4ヶ月目にして、休止したまま再開の意欲がどうしても湧いてこない。


1日1章読み進めようと思っていた仕事関連の本もしかり。続きのページが開かれることなく、本棚で眠っている。


なんだか、いろんな「ちょっとがんばろう」の糸がぷっつり切れてしまったような感覚。


どれもそんなに大したことじゃないけど、自分の中ではそれなりの「義務感」があり、心のどこかでいつもプレッシャーと戦っていた。


それを乗り越えてやれば達成感があるし、続けていると確かな進歩も感じる。

それはわかっているけど、「さあやろう」という気になれない。


もともと自堕落な自分が、ちょっとがんばりすぎていたのかもしれない。一度糸が切れると、その反動は大きくなかなか元に戻らない。


これじゃいかんな、と思う気持ちは当然ある。でも一方で、まあこういうこともある、やる気が出てくるまでダラダラ過ごそう、と考えていた。


そんな中で、なぜ今日ブログを書こうと思ったか。


今朝の通勤電車。ぼくはいつもドアの脇に立つ。スマホを手に取りツイッターを一通り眺めたあと、何気なく車内を見渡した。


ほとんどの乗客がスマホをいじっているのだが、みんなそれでどんなことをしているのか、近くの人をさり気なく覗いてみた。


パズル的なゲームをしている女性がまず目に入り、次にその隣の女性。それはシートの一番端っこで、ぼくが立つ場所から透明の衝立を挟んで斜め下に位置する。つまり、気づかれない角度から、彼女のスマホが丸見えなのである。


彼女は一心不乱に文字を打っていた。

初めはメールと思った。申し訳ないけど、文面まではっきり読める。

内容はどうもメールではない。それは小説のようだった。


彼女はスマホで執筆していた。


画面にはほんの数行が映っているだけだけど、つい引き込まれるような、続きが読みたい気持ちにさせるうまい文章だった。


彼女にとって単なる趣味なのか、仕事の一部か、それはわからない。

でもこんな身近な朝の通勤電車で、自分の表現の腕を磨いている人がいる。それはなんだな爽やかな気持ちにさせてくれた。「オレもまたちょっとずつがんばろう」そう思った。


見ず知らずの作家さん、ありがとう。

いつかあの続きを読みたいなあ。