にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

「テレビのレベル低下」について思うこと

テレビ制作現場の人が劣化している、という話題をたまに見かける。

たしかに、誰かのツイートを、真偽の確認もせずに放送するなんていうのはいかにも今どきのミスだし、いただけないと思う。


じゃあたとえば、北朝鮮のミサイル射程範囲をメルカトル図法同心円で表してしまった、というのはどうだろう。これもツイッターで拡散されて盛り上がっていた。ぼくは放送を見ていなかったが、ツイッターで見かけて「現場の劣化といわれるのもうなずけるな~」と思った。


 

そこでふと立ち止まってみたのだが、じゃあ果たしてぼくが放送を見ていたら「おかしい」と気づけたのか。自分が制作現場にいたら、そのミスは防げたのか。残念ながらその可能性は限りなく低い。メルカトル図法に等間隔の同心円が当てはまらないことは、指摘さて初めて言われてみたらそうだな」という程度の知識しかない。

だとしたら少なくとも自分はそのミスを笑いものにする資格はない。

 


何が言いたいかというと、きっとミスは昔からあった。でもそのほとんどは、放送を見た人の中だけでとどまっていた。広がるにしてもせいぜいお茶の間や職場で話す程度だろう。


今はそれが記録され、検証され、放送を見ていない人にまで広がっていく。仮に放送を見ていてもミスに気付かなかっただろう人まで、批判する側にまわることができる。

 


この結果どうなるか。きっと制作現場はどんどん萎縮するだろう。面白いこと、視聴者を楽しませることよりも「ミスがないこと」「正しいこと」を最優先させるようになる。そんなテレビはつまらない、と視聴者はますますWEBに流れ、視聴率は低迷し、スポンサーは離れていくのだろう。


ぼくはもはやテレビは、スポーツ中継とニュースを見るくらいだ。でも先日書いた「下北沢ダイハード」のように、もっともっと面白い番組を見たい。テレビには元気であってほしい。だとしたら、ミスにはもう少し寛容でありたいなと思う。