にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

「ない」ことと「失う」こと。(その2)

友人から聞いた話。職場の、ある上の方の人から電話がかかってきて「今度こんな仕事を頼みたいと思っている」と言われた。ただし組織のライン上は、彼の上長は別の部長から、ちゃんとそっちから話を通すので今は知らないことにしておいてほしい、と。

 


友人は嬉しかった。今はどちらかというと事務的なルーティン業務が中心で、特に不満というわけではないが、もう少し大きな仕事にも関わってみたいと思っていた。そんなときに非公式とはいえ、全社横断の大きなプロジェクトメンバーに携わってほしいと声をかけられたのだ。

彼は俄然やる気になった。関わったときに少しでも貢献したいと、すぐにWEBで情報収集したり、関連書籍にも目を通したりし始めた。

 


そんなある日、別件で同僚と得意先に出かける途中の何気ない会話だった。友人はありがちな質問を投げかけた。「最近忙しいんですか?」

同僚「そうですね~。ちょっといろいろ仕事が降ってきちゃって。昨日も部長から●●の案件をやってくれって言われて・・・」


 

友人が前に打診された仕事は、いつの間にかその同僚の担当になっていたのだ。

 

当然ながら彼はショックだった。もともと非公式に聞かされた話だから、部長に「なぜ自分じゃのか」なんて尋ねるわけにはいかない。最初に打診してきた人にしても、公式に決裁権のある部長の判断に口をはさむわけにはいかないだろう。

 

 

友人はその話をぼくにしながら、一気に今の仕事に対するモチベーションも下がったと言っていた。気持ちはよくわかる。同じ状況だったらぼくもそうなっていたと思う。

 

 

この流れを外から見たら、単純に上司である部長から、部下であるその同僚に仕事が投げられた、というだけの話だ。友人当人以外にとっては、何の不思議も理不尽もない。そこがまた彼にとってはやり場のない悔しさにつながっている。

 

きっと友人も、最初の打診さえなければ、今回のことに心を乱されることは何一つなかったはずだ。今の仕事は多少退屈だけど、早く帰れるし、これはこれでいいといつも言っていた。

 

もともと「ない」ことに不満はなかった。けれど事前の一本の電話によって、彼にとってはその仕事を「失った」ことになってしまったのだ。

 

 

 

その話を聞いて友人のことを気の毒に思いながらも、ぼくはなんだか不思議な気持ちがした。

人の幸や不幸は、これほど微妙なもの左右され、揺れ動いている。なんて脆いんだろう。

会社員である以上、そのシステムにはまって働くのは仕方がない。でも幸せまでもがそこに振り回されるのは、なんだかバカバカしい。

 


結局のところ、そのときできることにベストを尽くしながら、自分がコントロールできないものには程よく諦めの気持ちをもって対する。そんな心のありようが理想的なのかもしれない。

 


なかなか難しいですけどね。