いわゆる「エホバの証人」の家庭に育った人のインタビュー記事を読んで、いろいろ思うところがあった。
「エホバの証人」元信者女性が自分の体験を漫画にした理由
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54011
この女性は、結果的に母親に信仰を強制されていた形であり、子どものころから本意ではなかったようだから、とても気の毒だと思う。
エホバの証人は(一般人の生活から見れば)とても制約が多いから、強制されると特に大変なんだと思う。でも世の中にはそれこそゴマンと宗教があり、大部分の人は、信仰の強弱こそあれ、親(というか先祖代々)から受け継がれ、ほぼ選択の余地なく何らかにの宗教と関わっているのではないだろうか。
かくいうぼくは「無宗教」である。
というか、育った家庭に神棚も仏壇もなく、一度も墓参りというものに行ったことがない。我が家の墓がどこにあるのか(そもそも存在するのか)も知らない。
だからぼく自身も(それこそ選択の余地なく)宗教とまったく関わりなく生きてきた。
そしてそのことに、今のところ満足している。
何の慣習やしきたりにとらわれる必要もないことに何となく開放感をもっているし、ちょっと大げさにいえば、それが自分のアイデンティティのような気さえしている。
ただ、先ほどの記事を読んだとき、アッと思った。
この女性が辛いのは「エホバの証人」を強制されたからではなく、不本意に「親の価値観」を押しつけられたからなんだと思った。
明日は我が身である。
ぼくは自分が「無宗教」であることにこだわりがあるあまりに、どこかで自分の子どももそのように育って当然という気がしていた。
それはもはや信仰を押し付けることと何ら変わらない。
無宗教の自由があるように、当然だけど宗教を信仰する自由もある。
それだけは肝に銘じておこうと思った。