にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

ある葬儀の思い出

いったい葬儀は誰のためにいくのか。昨日のブログで、参列の有無を判断するときに周りの目を気にしてしまった自分に混乱したことを書いた。

 

その後、以前出席したお通夜のことを思い出したので書いておこうと思う。

 

その人は高校時代の友人のお父さんだ。

ぼくは高校から親元を離れていたこともあって、仲良くなった彼の家にずいぶん遊びに行き、何度も泊めてもらった。商売をしていたこともありとてもオープンな家庭で、お父さん・お母さんだけでなく、お姉ちゃんや妹までもがよく手伝いをして、みんなで客をもてなしてくれる。

 

そんなあったかい家庭の中心にお父さんがいた。

おおらかで話がおもしろく、ひとり暮らしのぼくに「いつでも泊りにおいで」と言ってくれるやさしい人だった。

 

そんな時代から約20年。その後友人とはいろいろあってなんとなく気まずい関係のまま疎遠になっていた頃、別の友達から「○○のお父さんが亡くなったらしい」とLINEがきた。

 

ぼくの住んでいる町から葬儀の会場までは約150km。平日の夕方に参列するにはかなり厳しい。けっこう迷った。でも会社を早退して行くことにした。

行くことで友人やその家族に対して、ぼくがお父さんに感謝の気持ちをもっていることを伝えたいと思った。

 

お通夜は人脈の広いお父さんらしく、ものすごい数の人であふれていた。闘病期間も長かった末の最期だったようで、悲壮感というよりはなごやかな雰囲気が漂っていた。

 

喪主である友人は参列者へのあいさつで忙しそうだったけれど、たまたま会場の隅にいるぼくと目があったとき、驚いた表情の中にも少し嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。ほとんど会話を交わすようなヒマはなかったが、出口での見送りの際に、昔のお父さんのように一言「泊まっていけ~」と言った。ぼくも一言「また来るわ」と答えた。

 

それだけだったけれど、ぎこちなかった2人の間の空気が、一瞬で毎日一緒に遊んでいた高校の頃に戻った気がした。

 

行ってよかったと思った。いろんなことがあったけど、お父さんをきっかけにすべてが包みこまれたような感じがした。やっぱりお父さんは偉大だった。

 

何だかまとまりのない文章になってしまったけれど、葬儀の思い出のひとつとして書いておきたいと思った。