誰あろうぼくのことである。
よく気が長いとか、怒るところが想像できないと言われる。
確かに、少なくとも他人に対して激高した記憶はあまりない。
自分の分析では、心の沸点に到達するまでに2つの大きなハードルがある。
まず一つ目は「他人を怒れるほど大した人間じゃないという感覚」。これは謙遜でも卑屈になっているわけでもなく、本当に自分はいい加減な人間で、仕事でもうっかりミスは日常茶飯事である。だから誰かの不手際に巻き込まれたとして、それで困ることはあるけれど、怒る気にはなれないということが多い。相手の立場に立つと「まあそういうことあるよね…」という気分になってしまうのだ。
もう一つは、いい加減な性格と密接に結びついていることだけど、世の中のたいていのことは、心の奥底ではどっちでもいいというか、もっとはっきり言うと「どうでもいい」と思っている。(どうでもよくないのは、子どもに関することと西武の勝敗くらいである。この2つに関しては怒る)
どうしてもこうしたい、とか、絶対にこれを成し遂げたい、というような執念や情熱があまり備わっていないのだ。だから、自分を上回る熱量をもっている人と意見がぶつかったら妥協することも多い。だってぼくはどっちでもいいから。そのこだわりが少ないので、うまくいかないことがあっても、さほど腹が立たないということになる。
というわけで「怒らない人」というのは、わりとポジティブな褒め言葉として言ってもらうことも多いのだけど、ぼく自身では、まあ悪いことではないかもしれないが、決して自慢できることでもないような気がしている。いまさら変えることのできない性格なので、淡々と受け入れている、という感覚である。