にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

がんばれ新聞

今日ツイッターでシェアされてきた記事を読んで、とても共感したので備忘録的に。


新聞は必要なのか?という主旨のコラムなのだが、ここで示されている提言がとても目から鱗の面白い内容だった。


新聞といえば、朝日・毎日が左寄り、読売・産経が右寄りなど、「色」があることが当たり前のようになっている。購読者は当然自分の主張に合うものしか読まないから、お互いの主張が分かり合うことはない。もちろんこれがWEBになると、そもそも自分から情報を取りにいくから、ますます偏ることになる。

そこで新聞だ。本来、自社の主張を叫ぶのがメディアの役割ではない。できる限り公平・中立な視点で事実を報道することが第一の存在意義であるはず。対立する2つの視点があるならば、それぞれの意見を真摯に伝えていく新聞があってもよいのではないか。ぼくが感銘を受けたのはそんな提言だ。


もちろん世の中に「完全な公平・中立」なんてものはありえない。なんらかのフィルターや編集を経る時点でバイアスはかかることになる。それでも大事なのは公平であろうとする真摯な姿勢であり、それが今の新聞には見当たらないことが問題なんだと思う。


たとえば原発。ぼくは原発はない方がいいと思っているけど、世の中には反対派と同じくらい、推進に賛成派がいることも知っている。その人たちが「原発が必要」と思う理由については、反対派のぼくも関心がある。だけどネットの世界には、どちらかの立場にいる人の、あまりに極端な意見しか見つけることができない。しかもその意見はたいていの場合、自分にとって対立する派への憎悪がまぶされている。もしその問題について冷静で客観的な視点をもつ人が、それぞれの主張を整理し、伝えてくれたらとても読んでみたいと思う。


もう少し面白くするなら、朝日と読売の合同企画として、両紙の記者が討論するなんてのはどうだろう。それをお互いが記事にして紙面で公開する。同一の内容をそれぞれがどのように編集するのか、ぜひ両方買って読み比べてみたい。


もちろん、全紙が同じスタンスになってしまうと、それはそれでつまらない。だけどこれまで通り「左の朝日」「右の読売」なんてやり合っているばかりでは「先のない年寄向けメディア」から抜け出ることはないだろう。どの新聞にも一人ひとりの記者には優秀な方もたくさんいることは知っている。そんな人たちが生き生きと活躍できる新聞であってほしいと思う。