にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

「年齢」はいらない

オランダの男性が、自身の年齢を、法律上20歳若返らせる「生年月日変更の申立て」を行ったというニュースを聞いた。


なんだかとても面白い試みだという気がした。聞いたときにはそれがどう面白いのかうまく頭の整理がつかなかったので、ここで自分なりに考えてみたい。


そもそも「年齢」というのは「事実」ではあるけど、それも元々は誰かが決めた時間軸に沿って定義づけられているに過ぎない。そういう意味では「性別」も同じことだ。そして性別は現代の世界においては、「定義づけ」することの不自然さが明らかになってきている。


性別を定義づけすることで便利なことも多々ある。だからこそこれまで長年に渡って維持されてきたのだろう。だけど、その便利というメリットを上回るデメリットを被る人々の存在が見えてきた結果、もうやめようという方向になってきている。そして、今度は「性別」を考えない世界が当たり前だと思ってしまえば、実際の生活で特に困ることもない、というのが実感でもある。


そこで年齢だ。1日24時間、1年365日という決まりが侵透している社会においては誰もが年齢を背負っている。年齢によって決められた法律も多いし、社会を維持するためには不可欠な定義だと考えられている。ぼく自身もそれを疑ったことはなかった。

だけどもし年齢が存在しない世界が訪れたら。きっと素晴らしいメリットも多く生まれるような気がする。日本における年功序列や、学年での先輩後輩のような関係はなくなるだろう。心理的なプラス面も大きい。たとえば仕事や恋愛への新しいチャレンジは「もう○歳なんだから」という呪縛により、自然と自分にブレーキをかけているようなことが多いが、それからも開放されるかもしれない。逆に世の中における、年齢を重ねたことによる、結婚や就職を「しなければ」というプレッシャーだってなくなるはずだ。


極端にいえば野生の動物と同じ社会だ。彼らはその「能力」によって立場が決まる。人間も年齢によるつまらない上下関係や制限がなくなれば、もっと純粋にその人の実力や魅力で人間関係ができることになるだろう。


まあ制度としての年齢がなくなることはないだろう。でも少しずつ、年齢の負の側面である心理的・慣習的な呪縛はなくなっていくのかもしれない。

そう思ったのは、車のラジオで何気なくメグ・ライアンの話題を聴いていたときだ。長年交際していた男性と婚約したというトピックを語る間、その男性DJは、一切彼女と相手の年齢についてふれなかった。一度離婚しているメグだから今度こそ幸せになってほしいですね、と締めくくった。聴いているぼくは正直言えば「あれ、彼女いくつだっけ?確かもういい歳だよな~」なんて考えてしまったのだけど、そこにふれないDJのトークにはとても好感をおぼえた。そして自分のつまらない発想を改めようと思った。


年齢はあくまでも「過去の積み重ね」でしかない。本来何かの行動基準としては、自分の人生における「残された未来の時間」を重要視するべきだろう。それは人によって異なるし、自分にはわからないことでもある。であるならば、やはり年齢を気にすることなく「今」やりたいことを大切に、一日を悔いなく生きるしかない。そんな言い古された結論に辿りつくのだ。