彼らは「報じなかった」
そこにイチローに対する “Respect” が凝縮されていたのだと思う。
引退は数日前に正式に決まっていたという。その第一報を伝えるマリナーズのtwitter画像がきちんと作りこまれていたことからも、準備ができていたことを感じさせた。でも日本にいる限り、その情報は漏れてこなかった。試合後の会見までのドタバタや手際の悪さを見ても、日本のマスコミはほとんど把握していなかったのだろう。
これだけの選手の引退ともなれば、事前に知っていた球団・MLB報道関係者の数は少なくないはずだ。それでも我先にとメディアが報じることはなく、試合終盤でのマリナーズ公式ツイートが第一報となった。
おそらく日本のマスコミではこうはいかないだろう。どこかの記者がかぎつけたら最後、「スクープ」と称して報道合戦が展開されていたはずだ。
でもアメリカのマスコミはそうならなかった。彼らは理解しているのだろう。きちんとシナリオに沿って、レジェンドの花道をつくることが彼に対するリスペクトだということ。同時に、ファンにとって一番価値があることは「引退」を正式発表の前に知ることなんかではなく、純粋にイチローのプレーを目に焼き付ける体験だということを。
テレビで「体験」したぼくにとっても、本当にいろんなことを考えさせられた一夜だった。
あのイチローでさえ、最後はどん詰まりのショートゴロで終わった。人生は失敗の方が多い。でもイチローは言った。他人と比較せず、自分だけを物差しに少しずつ努力を続けることだけが、後悔を生まない唯一の生き方だと。ぼくは何も成し遂げていないし、うまくいかないことだらけ。でも後悔しない生き方はできると思った。
とんでもない偉業を遂げたスーパースターでありながら、ぼくみたいな平凡な男にとっても生きる指針になる。イチローはやっぱりすごい。