にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

ワーホリ体験記(ホームステイ時期篇)

ケアンズでの生活の第一歩として語学学校に入ることは決めていた。さらに学校では2週間限定でホームステイ先も紹介してもらい、その間に生活拠点となるシェアハウスを探すことにした。

学校からの説明では、ホームステイ先にはすでにスイスとオーストリアからの留学生がふたり住んでいて、なんと19歳と20歳の女の子だという。家に到着するまでのあいだ、軽い胸の高鳴りを覚えていたことは否定できない。


果たして彼女たちは、とても健康そうな娘さんだった。どちらも体重はぼくの1.5倍はあるだろう。高鳴りは静かに収まった。
もっとも向こうは向こうで貧弱なアジア人の男には何の興味もなかっただろうけど。

 

とはいえ彼女たち、リサとバーバラはいつも明るく親切でそれなりに仲良く過ごしたし、ホストである中年女性ブレンダも含めた四人での共同生活は驚きの連続で、いま思えばなかなか面白かった。

 

いきなりの衝撃。なんとブレンダは菜食主義というのだ。ぼくらの食事にも肉が一切出てこない。これは辛かった。学校も学校だ。紹介するときに説明くらいしろよと恨んだがあとの祭り。まあ仮に事前に説明されていたとしても、当時のぼくは二人の若き乙女の存在に目が眩んでいたから、いずれにしても受け入れてたことだろう。

 

2つ目の衝撃。ぼくの部屋には椅子がない。ブレンダ愛用のバランスボールを椅子代わりに使えという。そもそも学生用の部屋は2つしかないところにぼくまで受け入れたらしい。ブレンダよ、たくさん稼ぎたいのはわかるが、さすがに雑すぎやしないだろうか。

 

3つ目。家事は分担。それに異論はない。食事後の食器をバーバラが洗いリサが拭いてぼくが棚にしまう。目を疑ったのはバーバラからリサに渡される食器が泡だらけだったこと。「すすぐ」プロセスが完全に存在しないのである。リサは当たり前のようにちゃちゃっと拭いてぼくに渡してくる。ヨーロッパやオーストラリアとは水資源の貴重さに対する感覚が違うのだろうか、なんて考えたりもしたが、それならせめて洗剤ももう少し控えめにしてほしいな。

 

またある日、洗濯物をぼくとリサで庭に干すことになった。彼女のものを含めて女性の下着がどんどん出てくる。なんだかぼくの方は気恥ずかしいのだがリサはまったくおかまいなし。モノに魂は宿らない欧米の物質主義のもとでは、カラダを離れた下着はただの布きれということだろうか。だとすると下着泥棒なんてものも存在しないのだろうか。世界は広い。


女性に囲まれた毎日で、癒やしの時間といえばブレンダの愛犬であるシーズーとの散歩だった。彼と近所の公園で遊ぶのは毎朝の日課で、わずか数日の付き合いとは思えないほど仲良くなった。

 

わずか2週間ではあるけれど、これぞカルチャーショックという出来事のオンパレードのなか過ぎていった日々だった。

 

ホームステイはやはり気疲れするし、また経験したいかと言われれば一度で十分という感じはする。

けれど、みんなでリビングで映画を観たり、天気のいい日に気持ちの良い空の下テラスで食事をしたり、ピクニックに行って池で泳いだり、そんな瞬間を思い返すと、それなりに「ファミリー」だったなと感じる。10ヶ月にわたるワーホリ生活のスタートを一緒に過ごしてくれた彼女たちを、愛おしく思い出すのだ。


オーストラリアで過ごした日々からもう16年が経つ。でもこうして書いていると次々に鮮やかな記憶が蘇る。ぼくが今のところ、これまでの人生に悔いがないと言い切れるのは、あの夢のように楽しかった10ヶ月を経験しているからだろう。そのくらい大きな出来事だった。


また気が向いたときに断片的に書き綴っていきたい。