にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

報道の「政治的公平性」 は幻

こんにちは


先日の広島でのオバマ大統領のスピーチ、ぼくは後でニュースや記事を読んだ程度なのですが、さすがだと思いました。

内容の是非はともかく、「人類」「世界平和」というテーマでこれほど様になるスピーチができるのは、世界広しといえども、やはりアメリカ合衆国大統領だけかもしれません。


ところで今回の広島訪問に関連して、あるサイトで識者が書いていた意見が、個人的には「目からウロコ」でした。


それはちょっと右寄りのメディアらしく、彼の主張は「マスコミは『安倍外交の成果である』とは報道しなかった」「オバマ大統領のスピーチの間、あえてカメラは安倍首相が一緒に映らないようにした」とのことで、もっと安倍政権は称えられていいはず、と各社の報道姿勢を批判していました。

この記事を読んで、そんなところに不満を感じていた人がいることに、新鮮な驚きがありました。


確かに言われてみれば、今回の広島訪問については、世間で概ね好意的に受け取られている印象があり、「安倍首相・政府の手柄」という雰囲気が生まれてもよさそうなものです。でもその気配はあまりありません。(少なくともぼくにその認識はありませんでした。)


またカメラアングルについても、見る人が見たら、あれが恣意的に「安倍さんが入らないようにしている」と認識する事実に「そんな視点があったのか」と驚愕しました。


しかしもしスピーチ中に安倍さんの顔が頻繁に映っていたら、彼は満足したかもしれませんが、今度はおそらく左寄りの人たちから「御用メディア」と批判が起こっていたでしょう。


まったく同じ場面を撮るにしても、アングル一つで「右寄り」にも「左寄り」にも見えてしまうことに、人間の心理や意識の面白さを感じました。


最近よく「政治的公平性の有無」が取りざたされます。でも今回の一件からみても、観る側の意識がどちらかに傾いている限り、「公平な報道」は永遠にありえないのは明らかです。その人が「公平」と思う状態にあるとき、もう一方から見たら偏っているのですから。そして全く偏っていない人なんて、きっと存在しないのです。