にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

自分を好きであるために

こんにちは

小学生のころ、自分にはコンプレックスがありました。
それは「まじめ」であること。


正確に言えば、まわりの友達から「まじめだね」と言われるのが、とても嫌でした。
自分では他の子たちと変わらないつもりでも、よく言われました。


5・6年生のときの担任の先生は、とても熱く体育会系のノリで、怒ると恐ろしくゲンコツや蹴りは当たり前。でも人間味にあふれ、生徒や親からも慕われ信頼されている人でした。


その先生が家庭訪問のときに、ぼくの母親に言ったという話を、とてもよく覚えています。


ある生徒が日記に(当時は毎日日記を書いて、先生に提出していました)、ぼくの悪口を書いていた。一緒に遊
んだときにこんなことをされた、みたいなこと。それを読んで先生は「あいつ(ぼくのこと)も、子どもどうしで遊んでるときは、こんな悪いやんちゃな面もあるんだなって、ちょっと嬉しくなった」と言ったそうです。


その先生らしい、愛情のある言葉だなと思いますが、つまりぼくは先生にもそのくらい「まじめ」と思われていたということ。

当時はそんな自分が、あまり好きにはなれませんでした。


でも今振り返ると、「まじめ」というのは少し違うなと思います。

要するに「まわりの目が気になる」「先生に怒られるのが怖い」のです。
そして、そんな小さい自分のことが、好きじゃなかったのです。


でもそれから転校後の小中学校はド田舎でのびのび過ごし、都会に出た高校は不良だらけ、口うるさい担任に毎日のように怒られ続ける、といった生活を送るうちに、少しずつ変わっていったようです。


今では自他ともに認める「マイペース人間」となってしまいました。
マイペースはちょっと良く言い過ぎかもしれません。
多少まわりから浮いても、安易に流されたくない。自分が納得できることしかやりたくない。つまり「変わり者」「めんどくさい人」というところでしょうか。


人からの評判ということなら、もしかすると昔の方がよかったかもしれません。
正直言うと、「ここは安易に流された方が楽かな?いやいや、いかんいかん」と自分と葛藤することだって少なくありません。


でもやはり今の方がとても生きやすく感じます。常に視界が開け、自由でいる実感があります。

何より「自分のアタマで考えたこと」に従うことで、人のせいにしない、後悔しないで生きていくことができるというのが、精神衛生上とても大きなことに感じます。


とはいえこれから先の人生も長く、そのスタンスのせいで痛い思いをすることもあるかもしれません。


そのときはそのとき。自分の内面に関しても「こうであるべき」と凝り固まらずに、柔軟に生きていきたいと思います。