こんにちは。
今朝電車の中で面白い記事を見ました。
なんでTwitterって自撮りに厳しいの?
http://omocoro.jp/kiji/87205/
これを読んで思ったのですが、結局のところ根底にあるのは、自撮りに対する不快感というか、「ちょっとウザい」気持ちなんだな~ということです。
かくいうぼく自身も覚えがあります。
SNSでつながっている友だちの女性で、自撮り頻度高めの人がいます。
もう結婚して子どももいるのですが、投稿の割合でいえば、自分6・子ども3・その他1という感じです。
確かに彼女は、一般的には美人の部類に入る顔立ちなんです。
でも、自撮り投稿を見るたびに、少しだけもやっとする自分がいるのです。
誤解のないように言うと、彼女は性格もよく、友達として・人としては好きなのです。
でも、自撮りにはもやっとする。
この感情は何なのか。なぜこんな気持ちになるのか、ずっと考えていました。
なんとなく分かった気がしたのは、深田恭子のインスタをフォローしたとき。
フカキョンの自撮りは、大歓迎なんです。
新しい写真を心待ちにしてます。(なんて言葉にして書くとキモいですね...)
なぜか?
フカキョンがかわいいから?もちろんかわいいのですが、それだけではないようです。
よく考えてみると、ぼくは西武の選手たちのアカウントもフォローしており、いかつい彼らが焼肉屋で微笑んでいる自撮りさえ、喜んで見ているのです。
つまり自撮りが嬉しい対象は、自分が「別世界の住人」と認めた、「憧れの存在」に限られるのだと思うのです。
そして反対に、そうでない人から自撮りを見せられると「何様?」という反感や、裸の王様を見ているような、ちょっと痛々しい気持ちが芽生えるようです。
もしかすると、ぼくの友だちである自撮り女性についても、彼女のファンと呼べるような好感を抱いている人にとっては、毎日楽しみな投稿かもしれません。
反対に西武の選手も、たとえば高校時代の同級生には「こいつの自撮りうぜ~」と思われているかもしれません。
そう考えると、自撮りそれ自体がNGなのではなく、「ファンじゃない人」に見せる自撮りが、反感や揶揄の対象となるのでしょう。
自分のフォロワーにおける「ファン」の割合がどの程度か。その見極めがジドリスト(自撮りする人)にとっては重要になりそうです。
ぼくは、その彼女のことは美人だと思うし、人として好きですが、ファンではなかったようです。