ある方のLBGTのカミングアウトが話題になっていた。
人生最大の勇気が必要だったとコメントにあったけれど、もし自分だったらと思うと、やはりなかなか踏み切れるものではないだろうと思う。
一方で、その方がLGBTであったことを知っても、そこまで驚いてない自分がいた。ふうん、そうだったんだな、という程度だ。
もちろん、自分の生活にもっと身近な人のことだったらもう少し驚いたかもしれない。
でもきっと本人が「どう思われるだろう」と想像する恐怖の大きさと比べると、自分はそれほど気に留めないのではないか。
もっとささいなことでいうと、たとえば髪型を変えてちょっと失敗したな、会社に行くの恥ずかしいなと思っても、周りの人はほとんど自分の髪になんて関心はない。
会社をやめて何かを始める人がいたとして、本人はその話を切り出すのにも勇気がいるだろう。同僚や上司にどう思われるか、なんてドキドキするかもしれない。
でも周囲はそれほど気にしない。聞いたその場では驚くかもしれないが、きっと会社から帰ってテレビを観ているときには忘れている。その程度だ。
つまり、自分の勇気を押し込める大きな要因は自意識にあるのかもしれない。
この年になって、まわりのことを気にしてあまりいいことはないと、だんだん気づいてきた。
LGBTを公表した彼女は、もともと人生の達人のような人だ。そのことをぼくなんかの何倍もわかっているのだろう。
周囲の目を想像して感じる恐怖よりも、それを気にしない自由を選ぶ。自分もそんな人間でありたい。