にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

地震にまつわるメモ

震度5強の揺れ、約40時間の停電を経験している間に起きたこと、感じたことを備忘録的に。

※ちなみに我が家はガスも水道も止まることなく、かなり恵まれた環境にあったと思います。


・デマは広がる。

「●時間後に断水が起きる、本震が来る」などのLINEが「拡散希望」としてたくさんきました。しかも親しい友人や家族からまわってきます。みんな「本当かわからないけど、一応」という但し書きつきで。つまり誰もが盲信しているわけではなく「怪しい」と思っている。それでも用心するに越したことはないから、親しい人にはつい送ってしまう。それがデマが広がっていく仕組みということがよくわかりました。

そして基本的にすべて不安を煽る「ネガティブ」なものであることが特徴です。

ちなみに、金曜日に会社の人から「北電の知人に聞いたところ、本日中に停電が復旧の見通し」というのがきました。これは信頼しました。「自分が聞いた」という情報は、本人が責任をもって発信しているものだから。結果的にどうなるかはともかく、「デマではない」と判断しました。

 

・当事者以外の発言はどれも空虚に響く

これはtwitterを眺めていて自分に芽生えた率直な感情です。いつもの原発論争はもちろんのこと、北海道を気遣ってくれる発言に対してさえ、あまり感じたことのない違和感が生まれて自分でも驚きました。たとえば「北海道の人が星空を楽しんでいて感動」といったコメント。これが自分も部外者であれば共感したはずですが、今回はそれが「“感動する自分”をアピールしたい発言」に思えて、なんだか白けてしまうのです。なんともひねくれた感情ですが、これが本心でした。そのくせ、自分が好きでフォローしている人が、何気ないペットに関するつぶやきをしているのを見ると「ああこの人にとっては北海道のことなんて関係ないんだな」なんてちょっと寂しい気持ちになるのです。いろんなことが落ち着きつつある今振り返ると、つまりは情緒不安定だったということでしょうか…。


・「不完全」が当たり前の状況では「優しさ」が際立つ

モノがなくて当たり前、買えなくて当たり前、不便で当たり前。それが前提の世界では、たとえお店の人のオペレーションが少々効率が悪くても、一生懸命やってくれているというそれだけで感謝の気持ちしかありません。ちょっとでも買えたときの幸せはすごく大きいのです。普段の生活で揚げ足取りやクレームが生まれるのは、それだけ「満たされている」ことの裏返しなんだなと感じました。


この4日間で起きたことの記録はまた後日書きたいと思います。