にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

地震から停電復旧までの記録

今日は、今回の北海道での地震で起きたことや感じたことを時系列でまとめておきたい。


まず初めに我が家の状況から。震度は5強ということで相当激しく感じたけれど、いくつか棚から物が落ちた程度で、被害というほどではなかった。電気が復旧したのは金曜日の午後8時頃で札幌市内では最後の方だったけれど、我が家は停電中もガスや水道が生きていたので、かなり恵まれていた部類だと思う。東京で東日本大震災を経験したこともあり、大型家具は一応固定していたのと、キャンプで使うランタンやクーラーボックス、保冷剤などが大活躍してくれたのも大きかった。


6日午前3時8分、すごい揺れで目が覚めた。しかも長い。いつかは北海道にも大地震がくるかもと心の準備はしていたけれど、「ついにきたか」という感じだ。隣の長男も目を覚まして固まっている。揺れが収まったあと、1階に下りてテレビをつけると地震速報をやっていた。開いた引き出しや、散乱しているものを片付ける。トイレのタンクの下もちょっと濡れていた。時間にして10分くらいだろうか(あとで報道を確認したら17分後らしい)。ひと段落した頃に停電が起きる。


ランタンを用意し、寝室に置いていた災害用の懐中電灯一体型ラジオをつける。うちの奥さんは姉妹と連絡を取り合っている。義父母の電話がつながらないとかで、義兄が街灯も信号もついていない中で運転して様子を見に行ったらしい。義父母の寝室にはデカい箪笥があり、以前から地震の時に危ないから別の部屋で寝るように勧めていたのだ。少し緊迫の時を過ごしたが、その後電話がつながり、結果としては何事もなく再度寝ていただけとのことで一安心。


とりあえず家は無事なので、夜が明けるまでは寝ているしかない。眠れはしないが横になる。長男はかなり怖がっている。次男は揺れの最中は爆睡中で、ラジオをつけたあたりで目が覚めたようだったから、気楽な感じでおしゃべりしている。


明るくなってきた5時過ぎには活動を開始する。水道とガスが使えるのはありがたい。まずは次なる一撃に備えて風呂桶に水を貯める。ラジオは今入っている電池のみで予備がないことが判明。あまりつけっぱなしという訳にはいかない。スマホもバッテリーを浪費できないので、twitterなどは控えめにする。そうなると特にやることがない。後から聞くと周囲の人たちは、暗いうちからすでに物資や食料を求めてコンビニなどをまわっていたようだ。完全に出遅れた形である。


とりあえず朝食を食べて外に出てみる。水とガスが大丈夫となったら、まず優先して入手したいのはラジオ用の乾電池である。家から一番近いドラッグストアに車で行ってみるが、開店前の入り口にはすでに大行列ができている。ここから並んでもおそらく買えないだろう。在庫が多そうな少し離れたホームセンターに行ってみることにする。だがここで問題が。停電によりすべての信号が消えている。北海道のすべてがこの状態なのだから、当然交通整理の警察官なんていない。交差点では恐る恐る様子を見ながら通行するが、中には乱暴に突っ込んでくるのもいる。車での遠出は危険極まりないので、一度家に戻って自転車で行くことにする。


道中天気もよく、ついふだんの休日のような気分になってしまう。じいさんばあさんがパークゴルフをしていたりするくらいだ。でもふと見上げると消えた信号。踏切ではバーは上がったままサイレンだけが鳴り続いていたりして、非常時であることを思い出させる。


8時50分頃にホームセンター到着。9時半開店とのことだが、当然こちらもものすごい行列だ。記録がてら写真を撮ってみる。続々と人はやってきて、気づくと自分の後ろには前にいる人の倍くらいの数が並んでいた。


そこから1時間程度並んでみたのだが、いかんせん店内は暗くレジも使えないとのことで、数組ずつ入店し、電卓で計算・支払いをするというサイクルで、どう考えても自分の順番までに電池が残っているとは思えない。やむなく諦めて帰ることにする。


その日は結局、ほとんど自宅内で過ごした。グループLINEでは電気の復旧報告が入るようになったが、我が家の周辺ではまだまだのようだ。ときどき道外に住む友人から「大丈夫?」と連絡がくる。こういうとき、ぼくが逆の立場だったら迷う。相手が家族だったらもちろん安否確認の連絡をとるが、友人となると「ただでさえ大変なのに、こちらからメールすると負担になるのでは」と思ってしまう。今回自分が当事者として受けてみると、自分のことを思い出したり気遣ってくれてるんだなと素直に嬉しかった。覚えておこう。


夕方、車でスマホの充電をしたあと、暗くなる前に夕食を食べ、日が沈んで19時過ぎにはやることもないのでみんなで散歩に出た。街灯も信号も家屋もすべての光が消えた夜の住宅街はなんだか現実感がなく映画の世界に入り込んだようで、子どもたちははしゃいでいる。当然星もよく見えたが、しょっちゅうキャンプで明りのない夜空を見ているからか、それほどの感慨はなかった。


20時過ぎには就寝。途中ちょくちょく揺れを感じたが、なにしろ前の晩は3時過ぎから起きているので、不安よりも眠気が勝って朝までぐっすりだった。


5時過ぎに起床。期待してブレーカーを上げてみるがまだ通電していない。

朝食を食べ、ラジオを聞いたりtwittetを眺めたり。会社のグループLINEでは本日も自宅待機との連絡がきた。まあ交通機関がすべて止まっているので行きようがない。でもたとえ電車が動いて通常出社と言われても休むつもりだった。3.11のときは交通機関が復活したあとも、数日は余震でたびたび停まっていた。今日くらいまでは家族と一緒にいた方がいいだろう。


そうこうするうちに、奥さんの姉の家が電気復旧の知らせ!シャワーも洗濯機も使えるからおいで、と誘いが来る。


そう、我が家はガスも水も使えるのだが、給湯システムは電気制御なためお湯が出ない。そのため子どもが昔使っていたベビーバスに水を貯め、そこにガスで沸かした熱湯を足してお湯浴びをしていた。


さすがによその家に行ってシャワーまで浴びるのは気が引けるので、みんなでお湯浴びをしたあと、2日分の洗濯物をもって向かうことにする。義父母も義妹家族も集合し、みんなで食材を持ち寄ってホットプレートで焼きそばをつくる。洗濯のほかにスマホの充電、保冷剤の再冷凍などもさせてもらう。


2日目ともなると仕事関連の連絡も頻繁に飛び交うようになっている。ぼくも義兄たちもたびたび外に出ては電話をかけるような状況である。

数時間滞在ののち、自宅に戻る。電気がついた家でみんなで楽しく過ごしていると非常時であることをすっかり忘れてしまうが、ひとたび外に出ると信号の無い道路だ。交差点で右折するのも一苦労である。


午後はまたヒマなので、散歩がてら長男を連れて物資の調達に行ってみる。そろそろ米を補充しておきたいタイミングだ。近所のスーパーアークスに行ってみると列がない。これはしめたと思って近づくと、自動ドアには「15:30の受付をもって終了しました」の貼り紙。時間を確認すると15:39。ギリギリアウトだ。でも一応店員さんに話しかけると、ワゴンに山積みになったバターやチーズ、マーガリンはこれ以上保冷できないので、タダで配っているとのこと。好きなだけ持って行っていいですよと言ってくれる。ついでに「お米は売ってないですよね…?」と聞いたら、暗い店内に入っていき「まだありますよ」とのこと。時間を過ぎているにも関わらず快く売ってくれる。これは本当にありがたかった。


前日に行ったスーパーでもそうだったが、自分たちの生活も大変なはずなのに、みんな本当に親切に対応してくれて頭が下がる。この恩は忘れないでおきたい。


暗くなる前に夕食。奥さんによるとそろそろ冷凍していた生鮮も尽きるようで、明日くらいからは乾物が中心になりそうと言っている。それにしても限られた食材を計画的に使い、毎食工夫したメニューを作ってくれて感謝だ。


子どもたちは昨日の夜の散歩がえらく楽しかったようで、また行きたいというのでみんなで出発。コンビニで電池を探しがてら、電気が復旧している境界を探しに行く。歩いているとけっこうまばらに点いている。やはり医療機関を中心に、かなりピンポイントでエリアを選んで優先順位をつけているようだ。中にはパチンコ屋にも電気が灯り営業していたりしてちょっと理不尽だな~とも思うが仕方がない。まだ電気が点かない人にとっては貴重な楽しみかもしれない。そんなこんなで停電パトロールも終了。我が家のような住宅街の優先順位は最後の最後だろうということはよくわかった。帰宅しランタンをともし、スマホをいじるくらいしかやることがない。


20時過ぎだった。奥さんが街灯が点いていることを発見。ブレーカーに駆け寄りスイッチを入れる。家に電気が灯る。待ち望んだ瞬間だった。21時過ぎには家族は寝たので、ひとり日本酒を飲みながら西武戦をテレビ観戦。見事な逆転勝ちを見届けて、とてもいい夜となった。


今回の停電では北海道電力もいろいろと批判も受けているが、現場で復旧のために努力してくれた方々には感謝の気持ちしかない。

それからもう一つ、地震前夜の9月5日には台風21号が接近し札幌周辺は暴風が吹き荒れ、あちらこちらで倒木が道路を塞ぎ、停電も起きていた。日中になんとか片付いたところでの続けざまの地震だったわけだ。インフラ・交通関係や農業の方を中心に、本当に大変だったと思う。でももし地震のあとに台風がきていたら、もっととんでもないことになり復旧はかなり遅れていただろう。


5日経ち、札幌周辺ではすごいスピードで日常が戻りつつある。でもいつか来るその日のための備えと心の準備だけは忘れないようにして、「普段通り」のありがたみを噛みしめたいと思う。