にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

子どもはどうして

子どもは死に鈍感だ。身近な人の死に直面して悲しむということがない。割とケロッとしている。なんとなく「子どもだから仕方ないね」なんて思うけど、どうして子どもは悲しいと思わないのか。ちょっと考えてみた。


「なぜ悲しくないのか」を考えるには、その前に、大人にとっては「なぜ身近な人の死は悲しいのか」について考える必要がある。


ひとつには「もう二度と会えない」という寂しさ。会えないということは、将来においてその人と新しい思い出を積み重ねていくことができない、ということだ。その人が存在しない未来を思って悲しい気持ちになる。


もう一つは、その人との過去の思い出や、自分にかけてくれた愛情を思い出し、そのときの自分に対する気持ちへのありがたさが心に沁みて泣けてくるのだ。


さらに、本人の死への恐怖や絶望、旅立つものとしての寂しさを思いやることにより、憐みや「かわいそう」という気持ちが高まるということもある。


ほかにもいろいろあるだろうけど、大きくはそんな感じだろうか。

だとしたときに、子どもの特性として、大人と大きく異なる点が思いつく。

それは、子どもは「今」しか見ていないということだ。過去を振り返ったり(もっとも、振り返るほどの蓄積もない)、将来を想像したり(まだ数年しか生きていないのだから想像できるはずもない)ということがない。そうだとしたら、「死」を悲しむ気持ちが生まれないことも当然という気がする。死はいいとか悪いとかというものではなく、ただ「その人がいなくなること」という事実のみを受け入れているのだと思う。


身近な人の死を悼むのは、人としての成熟の証である。でもあまりに悲しみが大きいときは、子どもの感覚が少しうらやましくも感じる。