はじめにぼくの鬼滅ステータスを言っておくと、アニメは1話目を見て今ひとつ入り込めずにそれっきり。
その後さらに周囲で評判が高まる中、 妻がコミックスを借りてきたのでトライするも、5巻くらいで挫折してしまった。
つまり、はっきり言ってファンとはいえない人間だ。
でもって今度は映画だ。 ぼくがターゲットでないことはわかっている。
でも公開されて数日で、 早くも日本映画史に残ろうかという大ヒット。
とりあえず歴史の証人になるべく観ておこうと劇場に向かった。
幸いというかなんというか、 今回のストーリーはコミックスで読んでいたあたりとギリギリつながっている。
予習としてアニメの最終話を観てから臨んだ。
ということで、自分の備忘として感想を記しておく。
そもそもがこんな温度感なので、当然、 ファンの人のように感動したり、泣いたりというほどには、 のめり込むことはなかった。
まずは、どのあたりが自分の好みと異なるのかを整理しておく。
一番は「すべてを言葉で語ってしまう」ところ。
炭治郎にしても煉獄さんにしても、とにかくよくしゃべる。( 心の声も含めて)
もちろん言っている内容は共感できるし、 いいことを言っていると思う。
でもちょっと直接的すぎるというか。
作品を通して同じことを伝えるにしても、個人的にはもう少し、状況描写やふとした表情などで「 それとなく」感じさせてくれる表現が好みだ。
それからもうひとつ、上述の「語りすぎ」 にも通じることなのだけど、
笑わせたいところでの、思い切りデフォルメした顔や、泣かせたいところで、登場人物にわんさか涙を出させる( カラスまで)といった演出も気になった。
もちろん原作がそうなっているからなんだろうけど、
あれだけの素晴らしい映像なので、観客としては、もう少し「 雰囲気」 で笑わせたり泣かせたりしてほしかったなあと思ってしまった。
あとは、原作を読んでいなかったので、無限列車の鬼を倒したあと、突然「上限の鬼」 が現れたのには戸惑った。
映画の中では、何の前振りや伏線もなく登場したので「誰!?」 というクエスチョンが消えないまま煉獄さんの死闘を見守ることになってしまった。コミックスでは、 もう少し納得感ある登場だったのかが気になるところだ。
と、ここまでネガティブなことばかり書いてしまったが、こんなファンでもないぼくでも、 キレイで迫力ある映像とテンポのよい展開に前のめりで食い入ったし、あっという間の2時間だった。
あと、これは鑑賞後にいろんな感想を読む中で「なるほど」 と思ったことだけれど、
あれほどピュアでまっすぐなセリフが、 こんなに多くの人の心に刺さり支持を得ているということが、現代においては重要な現象だということ。
確かにここ数年は、日本でも権力をもった人が乱暴に物事を進め、 ウソや捏造に知らん顔をし、責任を下の人に押し付けるということが多発している。
「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」
この言葉を、これだけ多くの人の心に焼き付けたという事実は、これからの日本にとって、とても意味があることかもしれない。