コロナ禍は、歴史の一大事件ともいえる危機だと思うけれど、 どこかで「まあそういうこともあるよな」 と受け止めている自分がいる。それはやはり「3.11」 を経験しているからだろう。
あの日を境に、ぼくはいくつかのことを学んだ。というか、 強制的に心に深く刻み込まれたと言ってもいい。
まずは「人生には想像もしていなかったことが起きる」 ということ。
ぼく自身の直接的な体験はもちろん、津波・ 原発事故などすべてが想像すらしたこともない事態だった。
もし一日前の自分に「こんなことが起きる」 と伝えてもまったく信じられないだろう。
そしてもうひとつ、そんな非常事態を経たあとでは「当たり前」 は幻想に過ぎないと感じた。
蛇口をひねれば水は出る。スイッチひとつで電気はつく。 お店には食べ物を売っている。そんな当たり前は、 簡単にひっくり返ることを知った。
さらに、そこで人間にとって重要なこと。それは「想像力」 だと感じた。
誰もが自分のことで精いっぱい。人に辛く当たったり、 ギスギスした暴言がWEBで飛び交ったりする中で、「 困っている誰かのために」動いている人たちもたくさんいた。
人の痛みや悩みを想像し、その解決のためのアイデアを創造する。 すべての始まりは「想う」こと。自分も「想う」 力をもつ人でありたいと思った。
3.11。そしてコロナ禍。 歴史に残るクラスの惨事を二度も経験したあとでは、 不確かな未来に対応できるしなやかな強さ、言い換えれば「 適当さ」が大事なのかもしれない。
どっちでもいい、どうでもいい、どうにかなる。 そのくらいの適当で楽天的な心持ちで日々を過ごせる人が、真の「 強い人」なのかもしれない。