にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

宝島の竹槍広告について考えたこと

いちおう広告の仕事に関わる一人として、 今回の件はとても興味深い。

自分なりの考えも整理しておこうと思う。

 

まず、否定と肯定、 どちらの意見が優勢なのかはぼく自身はよく知らない。

前提として、 いまどき新聞紙面で広告を目にする人は少ないだろうから、

大多数の人(ぼくもだ)はSNSを通して知ったと思われる。

その場合、ツイッターであればリツイートした人の論調によって、 初見の印象は大きく影響を受けることになると思う。

 

ぼくの場合は、 ある朝日新聞の記者のリツイートでこの広告の存在を知った。

その方は「これぞ広告のあるべき姿」というくらいの、 とても肯定的な受け止め方をしていた。

基本的には、ぼくはこの記者が書く文章は好きだし、 信念の強さに感銘を受けることも多い。

なんだけど、この広告に関しての第一印象はちょっと違った。

 

ぼくは「あまり好きじゃない」と思った。

 

この広告が拡散するにつれて「あの画像は竹槍じゃない」とか、

「マスクと手洗いを竹槍に例えるのは間違ってる」とか、 いろんな意見が出ているが、 正直言ってそのへんはわりとどうでもよい。

竹槍が薙刀でも大差ないし、「竹槍」の比喩には、 専門家の科学的な助言を聞き入れない政府の姿勢なんかも指しているんだろうと思う。

 

でも、やはりあまり好きではない。

ことば選びに「センス」が感じられないから。

 

ぼくが好きな広告、センスがあると思える広告というのは、

ふだんあまり意識していないが、でも心のどこかで漠然と思っていることを不意に突かれてドキッとする、

そういうものだと思う。

 

たとえば同じ宝島であれば、樹木希林が出演した「 死ぬときくらい、好きにさせてよ」。

あれは、生き方と同じくらい、 死に方も自分らしくあるべきだし尊重されるべき、という

真理だけど誰もはっきりと口にしてこなかったことをズバッと突いたすごい広告だったと思う。

 

翻って、今回の竹槍広告はどうだろう。

並ぶことばはどれも新鮮さがない。 モーニングショーで毎日のように某氏が叫んでいるような( と言いつつモーニングショーは見たことがないのだが、 何となく書いてしまった)

使い古された「非難するためのことば」という印象しかない。

 

また、やはり広告である以上、どこか人の心を、世の中を、 ポジティブな方へ向けるものであるべきだと思う。

 

そのために必要なことばの力が、センスが、欠けている。

だからぼくは「好きじゃない」と思った。