にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

子どもの成長を感じるとき☆3年生編

ついに長男が鍵っ子デビューをした。

 

新学期から毎週木曜日に次男が習い事をはじめ、うちの奥さんがそれに付き添うので、長男が学校から帰宅したときは家に誰もいなくなる。


最初そのことを聞いたときは、ちょっと不安だった。3年生になるとはいえ、これまで家に独りでいたことなんてない。うまく鍵を開けられないとか、家に入ったあとに鍵をかけ忘れて、変な訪問者がやってきたら大変だとか、いろんな心配な気持ちが生まれた。

 

ましてや彼は奔放な次男と異なり、何事もあまり自分で決められない。どちらかというと常に親の顔色をうかがいながら、判断をあおぐタイプである。

何かが起きて独りで困っている様子が目に浮かび、落ち着かない気分になった。

 

 

そこで、まずは鍵をもつ生活に慣れさせようと、事前に何度か学校に持っていかせ、帰宅時に自分で開けて入ってくるようにした。

 

練習の仕上げは本番木曜日の2日前、彼の帰宅時に奥さんはあえて外出し、「誰もいない家」に帰ってくる経験をさせた。

 

彼には、家にいるもよし、遊びにでかけるもよし。出かけるときは行先をメモに残し、ちゃんと鍵をかけて行くように、と言い聞かせた。

きっと帰宅したらお母さんが帰ってくるまで、家でじっとしているのだろうと予想していた。

 

 

果たして彼女が帰宅したとき、彼は出かけており、ホワイトボードにちゃんと「●●くんと△公園に行ってきます」と書かれていたそうだ。おまけに自分の似顔絵と吹き出しまで付ける余裕っぷり。

 

親が思っている以上に、子どもはたくましい。

 

そして彼は少しずつ変わってきた。

なんとなく堂々としてきたのだ。親と話すときも、自分の考えをしっかり伝えられるようになってきたと感じる。

 

もちろん放っておいても日々成長するものだろう。でも鍵を持たせるようになったことが、彼において「親に信頼されている」「一人前に扱われている」という自覚につながったんじゃないかと思っている。

 

「かわいい子には旅を。」はるか昔から言い伝えられるこのことわざ。彼の成長を嬉しく感じながら、その意味を噛みしめている。

いっぺんフラれてこい

最近、仕事で外部の人たちと会う機会が増えた。

これまではどちらかというと、ひとりでウンウンうなって企画を考えていることが多かったのだが、もともと慣れない人と会うことがあまり得意でないこともあり、自分にとっては理想的な環境だった。


でも部署が変わり、そうも言ってられなくなってきた。
外部からたくさんの情報を得られる人間関係や交渉力を求められる部署だったりするのだ。

会う人たちも、「自分は●●のことを知っている」「この前△△さんと飲んだ」というようなことをよく言っている。交友関係が広いことや、いわゆる「事情通」であることがアピール材料になるようだ。


もちろん、会社にとっては必要な部署だ。
実際にお金を稼ぐためには、企画内容なんかより、そういった人間関係の方が大きくものを言う場合も多い。

でも、やっぱり自分は「考える人」でありたい。
「何を考えられるか」で認められたい。

コピーライターの仲畑貴志さんと糸井重里さんの対談を読んでいたら、お二人もやはり「事情通」であることからは距離を置いていた、というような話があった。
業界のことを勉強する時間があったら、街に出ていっぺんフラれてこい、と語っていた。その方がよっぽど人の心の機微や感情を勉強できる、というわけだ。

サラリーマンである以上、配属された部署でできるだけ役に立ちたいとは思う。
でもやはり、どんなに努力しても100mを10秒台で走れるようにはならないのと同じで、自分が「事情通」のプロフェッショナルになる素養があるとは思えない。

同じ努力をして目指すなら、だれよりも考え、「いい企画」を出す人になりたい。

今の部署での仕事も、新しい経験を積むという意味では今後の大きな糧となる。それを無駄にしないという気持ちを持ち続け、これからも「企画のプロ」を目指していこう。

自分に自信をもってやる

世の中に、「ぜったい」なんてことはそうそうない。
それはよくわかっている。

でも会社の上司や先輩に言われたことは、なんとなく「自分より正しい」と思い込んでしまったりする。

もちろん、経験者の方が未経験者よりも予想しやすい、ということはあるだろう。
でも仕事で「まったく同じ状況」なんてことはほとんどない。
常に「そのときが最初」と考えてもよい。
ましてや時代はすごいスピードで動いている。


だとすれば、何が正解かなんて、やってみないとわからない。
はじめから「先輩の方が正しい」なんて萎縮することはない。
思い切り、思った通りやってみた方がいい。

でもやるからには、責任もともなう。
しっかり準備し、自信をもって取り組みたい。

できれば、まわりの上司や先輩が、それを暖かくかつ厳しい目で見守ってくれていれば理想的だ。

自分のチャレンジを恐れず、誰かのチャレンジを応援できる人でありたいと思う。

「わかってくれない人」との会話について

人に何かを説明するのってむずかしい。

わかってもらえないと相手がダメな人のように思えるけど、そこで「わかるように説明できない自分がダメ」と考えられるかどうかで、その後の伸びしろも変わってくるように思う。

仕事をしていると、日々そんなことの繰り返しだ。
外部の人へのプレゼン、上司への説明、自分の案を仲間内に披露するとき、たいがい上手く伝わらない。予期しない質問が飛んできたりする。

正直「わかんねー奴だな」とイラっとする。でも、その説明の「目的」はあくまでもその人に「わかってもらうこと」なのである。
であれば、その人がどうすれば理解できるのか、考えるのはこちらの仕事だ。

ときには、その相手のとんちんかんな質問に対して、相手の機嫌を損ねないように受け止めながら「こんな質問が出るってことは、ここが理解できないポイントなんだな」と当たりをつけ、からまった糸をほぐすように、丁寧に説明していくのが肝要だ。
ここでイラついても何もいいことはないのである。

これはとても難易度の高い作業だ。ぼくもしょっちゅう「あー!もう」となってしまう。でも後で思い返すと、やっぱりそれは上手く語れない自分の責任なんですよね。

まずは説明前にできるだけ考えを深め、あらゆる質問に冷静に回答できる状態をつくっておくこと。そして予想外の反応を受けたときも、あくまで落ち着いて、それをいったん受け止める心の余裕をもっておくこと。それを常に心がけていたい。

幸せな生き方って

これまで、それなりに仕事を頑張ってきたつもりはある。
でも一方で、自分に甘く、執念をもってこだわり抜くことができない自身の性格が、物足りなくもある。


今の生活には満足している。それなりに休みもとれ、子どもと時間を過ごせる毎日は楽しい。
でも一方で、いまだ何者にもなれていない自分に焦りを感じる。もっと日々、自分を追い込んで努力した方がいいのかもしれない、と思う時もある。


結局、人生ずっとこんな感じかもしれない。

悩んだり、迷ったり、でもこれでいいんだと納得したり。

大切なのは「自分」にとっての幸せが何かを自分の頭で考え続け、ひとの意見に惑わされないこと。自分の意思で今の生活を送っていると実感できること。
それだけは忘れないようにしたい。

新聞について

今日は備忘メモを兼ねて。

個人的には、テレビが見られなくなっている原因の一つは、新聞が読まれなくなっているから、と思っている。

毎朝、そして手持ちぶさたなとき、新聞のテレビ欄にざっと目を通すことで「こんなのやってるなら見てみようか」となる。新聞がないと、ハードディスクに自動録画されるやつとか、つけたらたまたまやっているやつとか、そういうものしか見なくなる。

テレビについてはまた書くとして、じゃあなぜ新聞が読まれなくなっているのか、を考えてみたい。
それは料金と得られる価値が合ってないから、に尽きるだろう。

だいたい月に4000円。払えない金額ではない。1回飲みに行ったり、家族で回転寿司に行けば5~6000円は使ってしまう。でも新聞が「競合」するのはそこじゃない。有用な情報や便利さを与えてくれる「サービス」が相手となるだろう。

たとえばAmazon primeは年会費3900円。それでamazonの配送料が無料。プライムビデオやmusicが使い放題である。

また、格安SIMを使っているぼくの通信料金は月に1700円くらい。新聞購読料の半分にも満たない。スマホで得られる情報のごく一部に過ぎない、特定の新聞に月4000円というのはいかにも高すぎる、というのが率直な感覚だ。

じゃあ仮に新聞に4000円払うとして、どの程度のサービスが提供されるなら納得感があるだろうか。たとえば映画がいつでも1000円で見られる特典があれば、新聞も購読し、今以上に映画も観に行くようになる気がする。また、同じく時代の流れで苦境に立っている書店と提携して、新刊本が割引価格で買える、というのもありかもしれない。

いたずらに料金を下げることはいいとは思わない。それは衰退を早めるだけ。今の時代にあった「4000円なりの価値」はどういうものか、そこを追求していかない限り、部数は下げ止まらないと思う。

WBCと人生を重ねてみる

こんにちは

WBCが面白いせいでいろいろ手につかないこの頃です。

やっぱり筒香はすごいとか、牧田休ませろやとか、いろいろな感想があるのですが、今のところいちばん感動させられたのは、内川の姿です。


言わずと知れた日本最高峰のヒットメイカーで、ソフトバンクの4番を打つ男。前回のWBCでは誰よりも悔しい思いをし、この大会にかける思いはおそらく相当なものでしょう。


それが今回の代表ではずっと控えでした。代打の切り札といえば聞こえはいいものの、これまでの実績と、過去の豊富な国際経験を考えたら、DHの山田や一塁の中田に出番を奪われるのは内心で「なんで?」という思いがあって不思議ではありません。


それでもベンチでは常に立って大きな声で声援を送り、1試合に1打席あるかないかの出番に向けて最高の準備をする。そして結果を出す。


そして満を持してスタメン出場した昨日の試合でも、見事に打点をあげ勝利に貢献しました。


WBCといえばほんのひと握りのスター軍団の話ですが、そんな内川の姿は、社会人として生きる自分にとってもとても考えさせられる、そして勇気をもらうものです。


会社でも、「なんで自分じゃなくあいつが!?」と思うことがあります。自分が選ばれず他の人が任された仕事の成功を、素直に祝えない気持ちになることがあります。


でもやっぱり、他人の評価こそが「絶対の評価」なんだと思います。
そこでいくらグチグチと悩み、誰かを恨んだところで道は拓けません。


自分にできることは、その評価を受け入れ、でも来たるべきチャンスに向けて努力を続けること。


ときに心が折れそうになったり、誰かを妬む気持ちも生まれるでしょう。そんなときは昨日の内川の姿を思い出すことにします。渾身のタイムリーを放ち、塁上で少し微笑みながら静かにガッツポーズをしためちゃくちゃカッコいい姿を。