にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

「感謝する」ということについて

このまえ、母親と昔話をしていたときのことだ。

 

うちは、ぼくが6年生のときに父親の転職で引っ越したのだけど、当時はやっぱり子どものことを考えて迷ったり、夫婦喧嘩をしたりもした、と話していた。

 

ぼくとしては、結果的に引っ越しがなければ今の奥さんとは出会っていないし、今の子どもたちとの暮らしもなかったと考えると、引っ越ししてくれてよかった、みたいなことを言った。

 

これは引っ越しの話だけど、誰しも、むかし親に言われたことやされたことを、「あとになって」感謝するということがあるだろう。

 

それでふと思ったのは、「感謝する」というのは「今」が幸せだったり、満足しているからできることなんですよね。当たり前だけど。

 

親に感謝したことのある人は、その親の行為そのものに感謝すると同時に、いま自分が感謝できる状態にあることも、素晴らしいことだと自覚した方がよいなと。

 

そんなことを考えると、ぼくもいつか息子たちに感謝してもらえる日がくればいいなと願ったりする。

 

誰にも言えない鬼滅の感想をひっそりと。

 はじめにぼくの鬼滅ステータスを言っておくと、アニメは1話目を見て今ひとつ入り込めずにそれっきり。

その後さらに周囲で評判が高まる中、 妻がコミックスを借りてきたのでトライするも、5巻くらいで挫折してしまった。

つまり、はっきり言ってファンとはいえない人間だ。

 

でもって今度は映画だ。 ぼくがターゲットでないことはわかっている。

でも公開されて数日で、 早くも日本映画史に残ろうかという大ヒット。

とりあえず歴史の証人になるべく観ておこうと劇場に向かった。

 

幸いというかなんというか、 今回のストーリーはコミックスで読んでいたあたりとギリギリつながっている。

予習としてアニメの最終話を観てから臨んだ。

 

ということで、自分の備忘として感想を記しておく。

 

そもそもがこんな温度感なので、当然、 ファンの人のように感動したり、泣いたりというほどには、 のめり込むことはなかった。

 

まずは、どのあたりが自分の好みと異なるのかを整理しておく。

 

一番は「すべてを言葉で語ってしまう」ところ。

炭治郎にしても煉獄さんにしても、とにかくよくしゃべる。( 心の声も含めて)

もちろん言っている内容は共感できるし、 いいことを言っていると思う。

でもちょっと直接的すぎるというか。

作品を通して同じことを伝えるにしても、個人的にはもう少し、状況描写やふとした表情などで「 それとなく」感じさせてくれる表現が好みだ。

 

それからもうひとつ、上述の「語りすぎ」 にも通じることなのだけど、

笑わせたいところでの、思い切りデフォルメした顔や、泣かせたいところで、登場人物にわんさか涙を出させる( カラスまで)といった演出も気になった。

もちろん原作がそうなっているからなんだろうけど、

あれだけの素晴らしい映像なので、観客としては、もう少し「 雰囲気」 で笑わせたり泣かせたりしてほしかったなあと思ってしまった。

 

あとは、原作を読んでいなかったので、無限列車の鬼を倒したあと、突然「上限の鬼」 が現れたのには戸惑った。

映画の中では、何の前振りや伏線もなく登場したので「誰!?」 というクエスチョンが消えないまま煉獄さんの死闘を見守ることになってしまった。コミックスでは、 もう少し納得感ある登場だったのかが気になるところだ。

 

と、ここまでネガティブなことばかり書いてしまったが、こんなファンでもないぼくでも、 キレイで迫力ある映像とテンポのよい展開に前のめりで食い入ったし、あっという間の2時間だった。

 

あと、これは鑑賞後にいろんな感想を読む中で「なるほど」 と思ったことだけれど、

あれほどピュアでまっすぐなセリフが、 こんなに多くの人の心に刺さり支持を得ているということが、現代においては重要な現象だということ。

 

確かにここ数年は、日本でも権力をもった人が乱暴に物事を進め、 ウソや捏造に知らん顔をし、責任を下の人に押し付けるということが多発している。

 

「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」

 

この言葉を、これだけ多くの人の心に焼き付けたという事実は、これからの日本にとって、とても意味があることかもしれない。

息抜き

久しぶりにちょっと疲れている。

キャンプ帰りや登山で疲れることはしょっちゅうだけど、仕事で疲れるのは久しぶりだ。

 

しかも、これまでは少し忙しい時期が訪れても、山を越えたら一段落して落ち着いたのが、最近はひたすら頂上のない山を登り続けている感覚。

 

このご時世、仕事がないよりはマシだし、そういう意味では贅沢な悩みかもしれないけれど、ほとんどがコンペ案件で負けたら一銭にもならない。それもまた疲労感を強くする。

 

いつもは会社を一歩出れば仕事のことなんてキレイさっぱり頭から抜けてしまうぼくだが、この数日は夢にまで見てしまう始末。

 

こりゃよくないと、今日は思い切って休みをとった。

朝からランニングでも、と思っていたのはあいにくの雨で叶わなかったが、行ってみたかったサウナへ。午前中から至福のひとときを過ごした。帰ってからは誰もいないリビングでゲーム三昧。ふだんは家族が寝静まってからかすかな音を出してやっているところを、今日はステレオにつないで迫力のサウンドを満喫した。そして昼寝。サウナでの余熱をからだの芯に心地よく感じながら、深く濃密な眠り。30分ほどですっきりと目覚めた。

 

合間にちょこちょこと電話やメールに追われたし、明日は今日の分までやることが積み重なっている。それでも休んでよかった。やっぱり平日にしか味わえない開放感がある。これでしばらくまた頑張れそうだし、疲れたらまた休もう。

押しつけない

会社帰りにたまたま見た駅ポスター広告。

車のナンバープレートが「日本」になっているビジュアルとともに「心には日本ナンバーを」というコピーが書かれていた。

 

ボディコピーを読むと、この新型コロナの流行にともなう、県外ナンバーの車を差別するような風潮に物申す、という意図のようだった。心には日本ナンバーを掲げてワンチームで乗り切ろう、と訴えていた。

 

正直に言って、個人的になんとなく好きになれないタイプの広告だと思った。じゃあなぜ好きになれないのか、ちょっと考えてみた。

 

ひとつは「日本」という帰属意識を押し付けられていること。人の「心の中」のことまで指図するような上から目線の物言いが、やや鼻につくのは否めない。ラグビー日本代表を応援したのは、彼らの努力と命懸けの戦いに感動したからであって、広告に押し付けられたからではない。

 

そしてもうひとつ、「正しいこと」を「正しい顔」で言い放っていること。コミュニケーションのあり方として、「正しい」ことを言うには、少しの「ツッコミどころ」とか「隙」が必要なんだと思う。同じことを主張するのでも、もう少しユーモアのある表現だったら、もっと共感されるものになる気がした。

 

最後に、これだけ書いておきながら、結局あれが何の広告だったのか、広告主はどこなのか、さっぱりわからなかった。これはけっこう致命的だけど、メッセージ型の広告にはありがちだ。同業者として気をつけよう。

強い犬が好き

犬には2種類ある。とぼくは勝手に思っている。

ひとつはチワワやトイプードルのように、愛玩犬として、人間にかわいがってもらうために存在しているような犬。とてもかわいいしぼくも大好きだ。でも、ぼくは子どもの頃に実家でシェパードを飼っていたこともあり、自分が飼うとしたらやはり「強い犬」がよいと思ってしまう。シェパードは体も大きいし強い犬の代表的存在だけれど、大きさにこだわるわけではない。犬がはしゃいだり、駆け回るときのはじけるような手足の躍動感、みなぎる生命力みたいなものを見るのが好きなのだ。その超人的(当たり前だ)なパワーやスピードに惚れ惚れしたいのだ。柴犬やビーグルみたいな小型犬でも「こいつと本気でケンカしたら勝てないな」と思わされる瞬間がある。そんな頼もしさが大きな魅力と感じてしまう。


その「本気出すと強い」犬が、甘えてきたり自分へ信頼の情を示してくれることが、またたまらなく愛しい。自分の足元にもたれるように横になってきた背中を撫でてやるが、癒されているのは間違いなくこちらである。


すべての犬に共通するのは、損得など何もなく、ただ一緒に住み、傍にいてくれることが大切だと思えること。太古の昔から人間の相棒として暮らしてきた犬は、やはり家族である。

サラリーマンの心得3か条

サラリーマンは、他人の評価から逃れられない。上司を選べないし、その評価が納得いくとは限らない。同じ仕事を同じようにやっていても、相性が合う上司からは良い評価が得られ、合わない上司になるとまるっきりの低評価、ということもよくある。


もちろん自営業やフリーランスの人たちは、もっと直接的に顧客からの評価が収入に直結するシビアな環境で生きているから、どんな低評価を受けようが毎月の給料が保証されているサラリーマンが贅沢言うな、と思うかもしれない。


それはその通りだけど、評価基準があいまいで、結局主観的な印象や好き嫌いで判定されてしまうのは、それなりにストレスフルなことだ。


とまあこんなことを書いているというのは、お察しの通り低評価を受けているからである。納得いかないのである。


ただ、自分に踏ん切りをつけるためにも、ここに宣言しておきたい。


一つ、評価のことを同僚にグチらない。「あいつ(上司)は分かってない」なんてグチは最悪。言うなら直接上司に言おう。


一つ、高評価の同僚を妬まない。それはそれで本人の努力の結果。素直に認めよう。


一つ、他人の給料と比べない。現時点で生活に困らない程度の収入があるなら、それでいい。他人の給料が上がろうが下がろうが、自分の生活とは関係がない。


以上。

なんとなくスッキリした気がする。

イエスは黒人?

今日たまたまこんな記事を読んで衝撃を受けた。


イエス・キリストは白人から黒人に戻る?

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93812.php


何に衝撃を受けたかといえば、これまでキリストが「白人」であることに何も違和感を感じたことがなかった自分に対してだ。


キリストは現在のパレスチナあたりの生まれとされる。であるなら当然、その見た目は中東系である可能性が高い。でも「パレスチナ生まれ」という定説は知っておきながら、よく目にする「白人のキリスト」がキリストだと思い込み、疑いすら抱いたことがなかった。

また、世界には黒人や中華系のキリスト像が存在することも知らなかった。


そんな「考えてみたら当たり前」のことを「考えたことがなかった」ことに対して、呆れたというか、しょぼいな自分、という気持ちである。


日ごろ先入観やら偏見やらから、できるだけ自由でありたいと思っているし、比較的そうである自負も秘かにもっていたのだけど、しょせんこの程度。きっとほかにもたくさん、思い込みや疑いもしていない先入観があることだろう。そのことを肝に銘じて、自分を過信せずに生きていきたい。