にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

「他人事」の大事さ

自分的に大発明をしたので備忘としてメモをしておく。

 

糸井重里さんの、「不登校」についてのインタビュー記事を読んでいたときのことだ。

「学校に行っていないことなんて、第三者から見たら『へえ、そうなんだ』くらいのこと」、つまり全然大した問題ではない、という主旨のことばを読んで「そうだよな」と思っていた。

 

そのときふと思った。そういうことってたくさんある。

特に子どものことだ。

不登校だけでなく、勉強や受験、友人関係、身体的特徴、果ては食べ物の好き嫌いまで。親にとって子どもに関する心配は尽きない。あれこれと悩み、子どもに対して口うるさく言ってしまう。

そんなとき「他人の目」になってみるといいのだ、と思った。

 

たとえば高校受験に失敗したとする。本人や親にとってはかなりのショックだろう。その瞬間は将来に悲観的になり、家の中を重苦しい空気が包むかもしれない。

でもそれが他人の家の話だったら。きっと「それは残念だったけど、そういうこともあるよね」という程度の感想だろう。なぜなら長い人生においては、高校受験が大した問題ではないことを知っているからだ。そして、その「他人の感覚」の方がきっと正しい。

 

身長が低くて悩んでいる子どもに親は心を痛めるが、それも他人の子どもの話になると「多少背が低いことなんて、大人になってからは大した問題じゃない」と思う。そして、それがきっと正しい。

 

これは「他人事だから軽く考える」ということではない。

たとえば「いじめにあっている」ということだったらどうだろう。

他人の子どもでも、心から気の毒だと思うし「どんなことをしてでも、その環境から脱け出させるべき」と考えるはずだ。そして、それもきっと正しい。

 

つまり、当事者だとつい近視眼的になり考え過ぎてしまうことでも、他人の目線になれば客観的に冷静に判断できる、ということではないかと思う。

 

あれやこれやと心配をし、つい口出しをしたくなったとき、一度立ち止まって「これが他人の子どもだったらどうだろう」と考えてみることにしよう。

そこで思い浮かぶことが、おそらくその場での最善な判断である可能性が高い。

これは二人の子どもをもつ親として、大発明のライフハックな気がする。