こんにちは
今日はまたまた、糸井重里さんのことばにハッとさせられました。
「ほぼ日」の中で、矢野顕子さんとの対談で、糸井さんが最近作っているという歌詞について話しています。
それは「やさしくしたくなったら、私のとこに来てください」という歌。
「誰かにやさしくしたくなったら
どうぞ私にやさしくしてください
私はいつでもあなたのやさしさを
受け入れるようにします
私はいつでもあなたのやさしさを
待ち望むようにします」
ちょっと不思議に聞こえるけれど、つまりそれは、犬や猫のことなんだそうです。
そして言います。
「あのこたちは、やさしくする権利を飼い主にあげているでしょ?」と。
この「やさしくする権利」という言葉に、なるほど~と深く深く頷いてしまいました。
ぼくは普段まわりの人たちに、自分の子どもについて話すときに「ペットのようなかわいさ」と説明することがあります。
そこに共通するのは、言葉にすると「ただひたすらかわいい」「見返りを求めずひたすら与えたくなる」ということ、だと思っていました。
そこに、「犬や猫はやさしくする権利を飼い主にあげている」と言う言葉を目にして、自分が子どもをペットに例えたくなる理由はまさにこれだと思いました。
つまり両方とも、「じぶんの中にある『やさしさ』に気づかせてくれる存在」なのです。
末っ子でどちらかというと自己中心的なぼくは、親兄弟・友達に対しても、自分が与えるより相手に求めることの方が多い人間です。
それが、子どもに対してだけは違います。
自分が楽しいことより、子どもが楽しむことをやってあげたい。病気になったら、できることなら代わってあげたいと願う。
子どもが生まれてきてから、そんな「知らなかった自分」が出てきて我ながら驚きました。
でも正確に言うと「知らなかった」わけではない。何か似た感情を経験した記憶がある。その記憶をたどったときに思い出したのが、むかし飼っていた犬と過ごした時間でした。
メスのシェパードでしたが、彼女がおいしそうにご飯を食べているのを見るのが好きでした。どこに遊びに連れて行くと喜ぶかな、と考えることが楽しみでした。その感情は、子どもに対して生まれるものと似ていました。
それが「やさしさ」と呼べるものなんだと思います。
ペットを飼うこと。子どもをもつこと。その素晴らしさを語る言葉として「じぶんの『やさしさ』に気づかせてもらえる」というのは、とてもしっくりくる感じがします。
なんとなくアタマの中にイメージがありながらももやもやしていたことを、はっきり定義付けできるというのは、嬉しい瞬間です。
糸井さんのことばはいつも、アタマのもやもやを刺激し、クリアな何かを導いてくれます。