こんにちは
最近、仕事で百貨店やSCなどの売場について考える機会があったので、あらためて自分の行動を振り返り、なんとなく考えたことを整理しておきたいと思いました。
言うまでもなく、今はECが全盛の時代です。
ぼく自身もそうですが、WEBで買えるものはWEBで買います。価格が一瞬で比較でき、そのとき欲しいものを、一番安いお店で買える。これが何よりもメリットと感じます。
配送の利便性も格段にあがり、レビュー、評価がオープンになっていることで、お店の対応にストレスを感じることも少なくなりました。
価格競争になってしまうと、賃料や人件費を多く抱えるリアル店舗の分が悪いのは明らか。
少しずつお客さんが遠のきつつある、という状況なのだと思います。
そんな中で、「リアル」の場で伸びている市場・サービスは何か。
まずはアトラクションやスポーツ。USJはここのところ続けて入場料を挙げながら、来園者数は過去最高を更新し続けています。また、プロ野球でも各球団の努力が実を結び、観客動員はパリーグを中心に年々増加中。キャンプなどのアウトドア、ロードバイクなどのマーケットも盛り上がっていると聞きます。
このことを考え、また自分の行動を振り返っても、「お金を使いたくない」というわけではないのです。
普段の買い物では、WEBで検索し100円でも安いものを買うぼくでも、球場に野球を観に行ったら1杯700円もするビールを飲んでしまいます。つまりただ「買うだけ」なら、少しでも安く効率的にお金を使いたい。一方で「楽しんでいるとき」には、あえてあまり深く考えず、ある意味お金を使うこと自体も「楽しみ」ととらえて消費します。
じゃあどんな売場だったら、WEBでなく、そこに買いに行きたいと思うか。とても難しい問題ですが、カギは「エンタメ性」にあるような気がします。
最近、伊勢丹が展開しているコスメ売場で、口紅をズラッと並べて「試し放題」とうたっているところがあります。売場の見た目も壮観で、女性にとっては見ているだけで楽しく、実際に試す気分も上がるのかもしれません。
買物がただ選んでお金を払うだけの行為ではなく、「エンタメ」として受け入れてもらえる売場をつくれたら、そこはカテゴリー問わず、お客さんは集まってくれるのではないでしょうか。
ではどうすればよいのか。とてもとても高いハードルですが、引き続き考えていきたいと思います。
これが格差社会か...
こんにちは
仕事の打合せで、普段どんな買い物をしているかの話になりました。
ぼくは、服や靴など定価で買うことはまずなくて、欲しいものがあったら、WEBでそれを最安値で売っている店を探して買う。またはセール期にリアル店舗でまとめ買い、という感じです。
靴下や下着などの消耗品はしまむらやユニクロ、ドンキなどでも買います。
一方、60代前半、昔は部長職にあって今は再雇用で嘱託になっているおじさま。
昔も今も、バーゲンで買うことはない。海外ブランドを中心に、百貨店やWEBでほしいものを欲しいときに買う、というスタイル。食料品もデパ地下で。週に2回はジムのプール通い。郊外にロッジを購入しており週末は奥様とそこで本を読んだり畑を耕したり。
聞くと最高時の年収は、今のぼくの2倍以上。そして今は嘱託で給料は安いというものの、一定の収入がありながら夫婦揃って年金を受給。まさに悠々自適という言葉そのものです。
これが同じ会社に勤める人間の生活なのか、とちょっと愕然としてしまいました。。
一方その方も、今の現役世代はそんな生活を強いられてるのか・・とショックを受けたご様子。
今の60代以上の人たちは、バブルを謳歌し年金も満額。言ってみれば勝ち組です。
比べられるものではないことはわかっていますが、さすがに羨ましくなってしまいました。
ぼく自身、もちろん収入が増えれば嬉しいですが、かといってすごく不満というほどでもなく、家族とそれなりに楽しみながら生活できているつもりです。
でも、上の世代のそんな話を聞いてしまうとどうしても「はぁ、今の時代は辛いよな~」なんて嘆きたくもなってきます。
「幸せ」に生きるためには、まわりと自分を比較してはダメですね。それを始めるとキリがありません。わかってはいたつもりですが、ちょっとしたことで揺らいでしまう自分の価値観のもろさを感じてしまいました。
めんどくさい
ぼくの人生には、常にこの言葉が分厚く高い壁として立ちはだかっています。
この仕事に必要な本を毎日50ページは読み進めよう。ランニングをしよう。ブログを書こう。決意をするたびに、この壁に跳ね返され、挫折を迎えます。
たぶん誰もが多かれ少なかれそんな経験はあるのだと思いますが、とりわけ自分はそうなのです。
人間関係でもそう。会社の後輩に対して「もう少しこうした方がいいよな」と思っても、結局「まあいいか」とめんどくさくなり、口出ししたりアドバイスすることはまずありません。
また、以前に友だちと、ふだん電車で席を譲るかどうかの話になったとき、ぼくが「譲ろうかどうしようか迷うのがめんどくさいから、基本は立っている」と言ったら妙に感心されたことがあります。
もう10年以上前の話ですが、その友だちはいまだに「めんどくさい」という言葉を聞くと、ぼくのことを思い出すと言ってくれます。
「めんどくさい」という気持ちは「まあいいや」につながり、細かいことを気にせず楽に生きられる良い点もなくはないのでしょうが、それにしてももう少し「めんどくさい」と闘う自分でありたいものです。
そこに打ち勝てることができたら、また一つ違った人生が切り開かれるような気さえしています。
でもとりあえず家に帰ったらテラスハウス観る。プロ野球スピリッツをやる。そうすると眠たくなって「本の続きはまた明日」となるでしょう。読み始めたとしても、きっと眠気と闘いながら何度も同じ個所を読んで、まったく頭に入らない。「あ~テラスハウスの前に読んどきゃよかった」と後悔しながら布団にもぐりこむ。
早くこの無限ループを抜け出したい。ここに書いたことがそのきっかけになってくれるのを願うばかりです。
宮﨑駿はやっぱり素敵だった件
こんにちは
日曜日のNHKスペシャル、宮﨑駿の回を観ました。
長年構想をあたためていた「毛虫のボロ」企画。
CGによってボロが動いている姿を見たときの彼の顔が、子どもが好きなおもちゃを見つけたときのように、本当に嬉しそうに輝いていたのがとても印象的でした。
もうひとつの番組のハイライト。翌日からかなり話題にもなっていましたが、ドワンゴ川上さんが、人工知能によって動く映像を紹介したシーン。
そのCG映像は、人間のようなものが動き回っているのですが、痛覚がない設定のため頭を利用して動き回るという、グロテスクなものでした。
川上さんによると、ゾンビゲームや映画の動きなどに使えると思っているとのこと。
ぼくも映像を見たとき、ふだんからウォーキングデッドなどのゾンビものを見慣れてることもあり、気持ち悪いながらもちょっとコミカルにも見えて笑ってしまったほどでした。
おそらく川上さんとしては、人工知能による、人間には思いつかないような表現の可能性を宮﨑さんに感じてもらいたかったのだと思います。
しかししかし。宮﨑さんは激怒します。自分には体の不自由な友人がいる。映像を見てその彼を思い出した。自分には生命の冒涜に見える、と。
現場は凍りつきます。川上さんほどの人を凍りつかせるのは、世の中広しといえども宮﨑駿くらいじゃないかと思いますが、まあそれは置いといて。
彼の「生命の冒涜」という発言は、なんかジーンときました。
前半の、CGのボロが動くのを嬉しそうに見入るシーンしかり、「いのちあるもの」への深い深い愛情のようなものを感じた瞬間でした。そしてこれまでの彼の作品は、すべてその目線で一貫していることも、あらためて思い起こされたのでした。
川上さんの、エンジニア・クリエイターとしての好奇心。宮﨑さんの、アーティスト・作家としての信念。どちらが良い悪いというものではありません。でもこれからの時代、宮﨑さんの存在は、人の心の拠り所として、ますますかけがえのないものになっていくような気がしました。
イジリーのニュースが高度なPR事例だった件
こんにちは
今日ヤフーニュースのトップに、こんなネタがあがっていました。
「イジリー 取材陣来ず催し中止」
イジリー岡田がカレー店とコラボした商品の発売イベントだそうで、オリジナルテーマソングのPVも公開される予定だったのが、陽の目を見ずに終わったそうです。
事前にマスコミ各社にfaxで取材案内を送ったが、前日までに1社も取材申し込みがなかったため、イベント中止を決定したとか。
正直、イジリーにもカレーにもさほど興味はないのですが、このニュースはすごい面白いと思いました。
イジリー側が「ニュースにしてほしいと思ったこと」ではなく、それが「完全スルーされたこと」が、皮肉にも天下のヤフーニュースのトップを飾ったわけです。
「皮肉にも」と書きましたが、実際はこの記事によりカレーの情報は多くの人の目に触れたわけで、イジリーや店側としてはこれ以上ない「結果オーライ」でしょう。
事前に計画されていたイベントの取材記事では、おそらくヤフーのトップにはなっていないのではと思います。
つくづく、今のニュースの決め手となるのは、発信者側の「準備された情報」ではなく、受け手目線の予測不能な面白さなんだな~と実感しました。
テラスハウス熱、継続中
こんにちは
先日、Netflixでテラスハウスにハマっていることを書きましたが、その熱がさらに高まってきています。
もう、元々観ていたハウスオブカードよりも優先してしまうくらいです。
なにがそんなに面白いのか、ぼんやり考えていたのですが、番組中でYOUがふと発したことばが、その後だんだんと腹落ちしてくるようになりました。
それは、慎という男の子がある失態を犯し、でも本人はそのことを悪いと思っていない風だったときのこと。その場面をスタジオの面々がダメだしをしている中で、YOUは「みんな誰しもこんな変なことしてるのかもしれないね」というような主旨のことを言いました。
確かにそうなのです。みんな自分の恋愛のやり方しか知りません。友だち同士で恋愛トークすることもありますが、たぶんお互い「本当に恥ずかしい失態」は自分だけの胸にしまっていることが多いはず。
でもテラスハウスは、おしゃれな家で、ドラマのような環境に身を置いた美男美女たちが、ダサ~い失態を犯します。それを覗き見る生々しさ、そして「こんなモテそうな奴がこんなことを!?」という意外性がとても楽しいのです。
まだシーズン1の途中で、今後どれだけ飽きずに観続けられるかはわかりませんが、今のところは十分満喫してます。自分なら絶対に見せたくないような「恋愛の恥部」を見る面白さ。ドラマにはないリアル。あいのりに匹敵するお気に入りになるかもしれません。
時が熟成させる人間関係
こんにちは
この前、新卒で入社した会社の人たちと飲む機会がありました。
ぼくはその会社は3年で辞めたので、人によっては15年ぶりくらいの再会でした。
当時も今と変わらず会社での付き合いみたいなことが苦手で、上司や先輩に飲みに誘われるのが憂鬱で、2回に1回は断るような感じでした。
別にその人たちのことが嫌いなわけではないのですが、やはりどこか気を遣うし、たまには指導や説教をうけたりするのも面倒くさいと思っていました。
ですが今回の飲み会はとても楽しかったし、そもそも誘いがきたときに「行きたい」と思えたのが、当時とはずいぶん違っています。
メンバーの中で自分が一番年下なのは変わらないのですが、みんなバラバラの会社ということもあり利害関係もないし、気が付けば昔話などをして純粋に楽しめる間柄になっていたようです。
ぼくはこれまで4つの職場を経験していますが、在籍している間は特に仲良くするわけでなくても、離れた立場になるとたまに会いたくなることがあって、不思議な気持ちになります。
昔の恋人が記憶の中でものすごい美人になっているように、過去の人間関係は悪いことが濾過され、よい記憶だけが上澄みのように残るのかもしれません。
お互いにそんな感じだから、たまに再開すると楽しく盛り上がれるということでしょうか。
そんな相手が増えるという意味では、転職を重ねることも悪いことではありませんね。