にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

夫婦ゲンカを収めるあうんの呼吸

妻とは、付き合い始めてからとなるともう20年以上になる。当然、数えきれないほどケンカもしてきた。ケンカといっても、お互い性格的にキレるタイプではないので、せいぜい口論したり口をきかなくなったりという程度なのだけど、定期的にやっている。


長年一緒の時間を過ごしているので、当然のことながら相手の地雷は理解している。できるだけそこは避けるようにしているけど、時には怒ることがわかったうえで、それでもあえて言うこともある。指摘すると、その場では腹を立てるだろう。でも今後同じ場面になったときに「そういえばあのときこんなこと言ってたな」と思い出してもらうために「仕掛ける」のだ。

実際に、そのときはケンカになっても、その後に話しているとぼくの言うことも理解してくれたんだなとわかるときがある。そんなときは「言ってみてよかった」と思う。


そして、あえて「仕掛ける」ことができるのも、彼女とは、ケンカを長引かせず収めることができるという自信と信頼があるからでもある。夫婦の間では、どっちかが相手を言い負かすのは最悪だ。白黒なんてつける必要はない。お互いがある程度言いたいことを言ったら、納得しなくても適当に終わらせる。数時間は口もききたくないが、先に冷静になってきた方が、思い切って何事もなかったかのように話しかける。それに相手も普通に答える。それで関係修復である。我が家ではそんな感じだ。特に謝ることもないし、根にも持たない。いつの間にかお互いが暗黙のうちにそのスタンスを身に着けていた。


ケンカをするのは避けられないし、どちらかが我慢しすぎるのはむしろ良くない。ケンカをしないことよりも、「収め方」のパターンを見つける方がよほど有意義だと思う。もちろん誰とでもそううまくいくわけではないだろう。収められる相手と出会えたぼくは幸運だった。

福岡の夜

久しぶりに訪れた福岡の街は、にぎやかだった。夜になっても、 飲食店だけでなく商業施設にも人があふれていた。 中州や屋台街などの景観があったり、 様々な国の人が往来していて、 バンコクや香港を彷彿させるまさに刺激に満ちた「アジア都市」 という雰囲気だ。

福岡も含めたこれらの活気あるアジア都市に共通するのは、 きちんと「地元の人」が遊んでいることだろう。 地元の人が楽しんでいるものを体験したい、 というのが旅人の願望というものだ。「観光客向け」 に寄りすぎてしまうと、やがて地元の人が離れ、 結果として観光客にも魅力ないものになってしまう。 そのさじ加減は難しいところだと思うけれど、 今のところ福岡の街はそれがうまくいっているように思える。 歴史的に韓国や台湾との距離も近く交流がある地域であるから、 オープンなマインドが根付いていることも影響してい るのかもしれない。

まああくまでいち観光客の視点だから、 地元の人がどう思っているかはわからない。 でもこのまま日本における世界の玄関として、 懐が深い魅力的な都市として発展していってほしいと思う。

好きな人

いい人だと思える人はたくさんいるけど、好きだと思える人はさらにその中の何%かだろう。

好きな人というのは、この人と話しているときの自分が好きだ、とさえ思わせてくれる。好きな人と話していると、気持ちが上がるし、この素敵さに負けない自分でありたいと思うから、ネガティブなことよりもポジティブなことが圧倒的に多く口から出てくる。一緒にいると刺激を受け心は高まりながらも、どこか安らかであり、その場から別れたあともふんわりしたいい気分の余韻に浸れる。そしてまた会いたいなと思う。


いくつになっても、男女問わずそんな「好きな人」との時間をたくさん過ごしていきたい。

惜別の辞

高卒で働き始めた。最初はぜんぜん会社の役に立てなかった。必死で勉強し、努力し、貢献できるならなんでもやるとがむしゃらに過ごしてあっという間に2年が経った。3年目くらいからようやく一人前に仕事をまかせてもらえるようになってきた。4年目、働きが認められて重要なポストに抜擢され、プレッシャーも大きかったけれどなんとか結果を残した。その頃から社内でも「できる奴」という存在になってきた。その後も後輩に負けないように、そして先輩に追いつき追い越せと努力に努力を重ね、9年目を終えたときには押しも押されもせぬ会社の大黒柱として成長していた。高卒で飛び込んだこの世界で、今やおそらく業界で自分のことを知らない人はいないだろう。そのくらいの結果を残してきた自負はある。


そんなとき、違う競合の会社からヘッドハンティングの声がかかった。

何の役にも立てなかった自分を雇い、ここまでお世話になった現在の会社には感謝している。これからも必要とされていることもヒシヒシと感じる。

でも、自分はもっと成長したい。一度きりの人生、もっといろんなことを経験してみたい。そう考えると、ある程度の地位が約束された今の環境に居続けるよりも、新たな挑戦を選ぶ方がよいのではないだろうか。もし競合社に移るとなったらいろんな反発や非難もあるだろう。だけどこの仕事にそもそも安定を求めてはいない。動かずに後悔はしたくない。きっと自分にとってプラスになる、そう考えて会社を移ることに決めた。これからも山あり谷ありの人生だろうけれど、その方が面白い。これまでお世話になった人への感謝を胸に、新天地へと挑もう。


自分に置き換えたらこんな感じだろうか。


浅村栄斗選手、これまでありがとう。これからもライオンズファンが「さすが浅村」と誇らしく思える活躍を期待しています。がんばってください。

発表!スポーツ紙ランキング

何のランキングか、スバリ、西武ライオンズの情報に関する信頼度ランキングである。ほとんど誰の役にも立たない情報ではあるが、このへんでハッキリさせておきたい。10年以上に渡って毎朝「西武」キーワードで流れてくるニュース記事を読み比べた結果であるので、この結論には絶対的な自信がある。


1位 スポーツ報知

読売系の報知ではあるが、意外にも西武ネタはスポーツ紙の中で屈指の充実度といえる。そして記事の内容も、選手へのリスペクトとファンへの配慮、そしてプロ記者としてのこだわりの視点が随所に感じられて好感度も高い。現在の野球デスクである加藤弘士さんが、以前に西武担当だったことも要因かもしれない。


2位 東京スポーツ

東スポ」といえば、ネッシーに代表される確信犯的なガセネタで読者を楽しませることで有名だが、こと西武ネタとなるとその信頼度はグンと上がる。報知ほど西武への愛情が感じられるわけではないが、内容はきちんと根拠があり、事後に「東スポが書いていたあの記事は本当だった」と感心したのは一度や二度ではない。ぼくの基準では、正式発表されていない段階でも、報知と東スポの見解が一致していたらほぼ間違いないと判断している。


3位タイ ニッカン/スポニチ/デイリー

一時はニッカンやスポニチも頑張っていた時代があったが、最近はあまりやる気が感じられない。基本的には他と横並びの記事ばかりという印象である。


6位 サンケイスポーツ

残念ながら、このところのサンスポはイマイチである。結果的に飛ばし記事だったと思えるようなものも多い。振り回されるファンとしては、記事のPV稼ぎが最優先で信憑性は二の次なんじゃないかとさえ思ってしまう。スポーツ紙なんてそんなもんだろうという人もいるかもしれないが、報知のように良質な記事を読ませてくれるメディアがある以上、同じくらい頑張ってほしいと感じてしまう。

 

と、勝手なことを書きまくったけれど、あくまでもこれは「西武」に関する、西武ファンの独断と偏見であることを念押ししておきたい。おそらく番記者の力量と新聞社内の序列によって、同じ新聞でも球団ごとに記事の充実度は大きく異なることだろう。なので西武に関しても、いつまでもこの順位とは限らない。西武には各紙のエースがこぞって駆けつけるような黄金時代が続いてくれることを願ってやまない。

褒められたいオトコ

男は女の人に褒められると嬉しい。がぜんやる気が出る。言ってみれば女性の褒め言葉は「栄養」だ。女の人だって同じかもしれないが、ぼくは男なのでとりあえず男について語ることにする。以前は、スナックやキャバクラなど女の人が横についてくれる飲み屋に行く人の気持ちがよくわからなかった。お金を払って、よく知らない人と他愛のない会話をして何が楽しいんだろうとずっと思っていた。ぼくは人見知りなので、中年になった今でもそういう店は得意ではないけど、行きたい人の気持ちは何となく理解できるようになってきた。きっと女の人に「褒められたい」のだ。すごーいとか、かっこいい~とか言われたいのだ。ふだんから職場の女性に言われるモテ男でもない限り、年をとると日常生活でそんな機会はまずない。だからお金を払ってでも「栄養補給」に行くことが必要だ。世界中に一人でも、たとえそれが商売の人でも、自分を褒めてくれる女性がいたら少し自信を取り戻してまた明日からがんばれる。そういうことだと思う。本当は奥さんに言ってもらえると一番いいに決まっているけど。そのためにはまず自分が相手をほめるところから始めないとね。

トイレで得た教訓

会社のオフィスビルのトイレで個室に入っていたときのこと。定期的にお掃除に巡回してくれている女性の怒声が響いた。どうやら一緒に動いているもう一人の女性が新人さんらしく、やるべき作業を忘れていたことを責められていた。先輩女性はかなり鬱憤が溜まっていて、あれやこれやについても怒鳴りつける。また言われている方の新人女性は、すまなそうな声ながらも延々と弁解を続けている。それがまた先輩の癪に障り怒鳴るという繰り返し。


しみじみ思ったこと。「怒鳴る」も「言い訳」もまったく不毛だ。怒鳴れば、相手は反省よりも前に、なんとかその場を切り抜けることしか考えられなくなるだろう。そして怒鳴った方への恨みをもつはずだ。一方で、責められているときに言い訳をするのも、何もいいことはない。本人は正当な理由を主張しているつもりかもしれないが、聞いている方がそれで納得することはない。どんな理由があるにせよ、100%責任が無いなんてことはまずあり得ないのだから、とりあえず素直に受け止めることが必要だろう。ミスを素直に認める人には、相手からするとその場では怒っても、人としての信用が残る。


トイレの個室から出るタイミングを逃し、女性のやりとりに震えながら、ぼくは自分にそんなことを戒めた。