井上慎平「弱さ考」という本を読んでいる。
まだ途中なので感想文というのではないけれど、読みながら頭の中で考えていることを一度整理しておきたいと思った。
本にもある通り、資本主義の社会、特に企業は業績にも社員にも「成長」を求める。そうでないと生き残れない仕組みになっているからだ。
もちろんぼくの会社も同じ。人事・評価制度の説明にも「成長」というワードが頻出する。
当たり前だけどそれを否定するつもりはないし、できない。自分も、その仕組みと、その中で生き抜いてきた会社のおかげで、今のところ経済的に困らない程度の生活ができている。
ただ、否定はできないのだけど、「自分には」合わないというのも感じている。特に50代も視野に入ったこの年代になってきて思うのは、会社が求める「成長」のレールにそのまま乗っかることに、どうにも違和感があるということだ。
その心理を自分なりに分析してみると、ぼくは成長したくないのではなく、そのベクトルや度合いを自分でコントロールしたい、ということだと思った。
会社が求める、会社に役に立つ人材になるための成長が、人生の幸福に直結する人はそれでいいが、どうやらぼくはそうではない。自分と家族にとって満足できるレベルの生活を送るために必要なお金の確保と、これからの社会でそれなりにやりがいを感じてできそうな仕事内容、その2つのバランスを考えながら、成長というより自分を「適応」させていきたいという感覚だ。そしてけっこう大事なのは、ストレスへの向き合いも自分で選択しコントロールできるような環境であること。いざというときにはそこから逃げ出すことができるような心の余裕を保っておきたい。会社のレールに完全に乗っかった状態では、それは難しいことだ。
これまでもこれからも、世の中がどういう変化をするかなんてまったく予測がつかない。そしてそれよりも大事なのは、時代や年齢が変化することで、自分の心理や価値観もどう変化していくかわからないということ。会社勤めを続けるとか続けないとか、どんな仕事をするかというのは本質的な問題ではない。そのときの自身の心に寄り添い、できるだけその声に素直に生きていくことを最優先に考える、それがぼくにとって大切だということを、常に意識しておきたい。