にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

マイナスがゼロになる喜び

3ヶ月前くらいに入ってきた派遣の女性は、当初は仕事の用事でこちらから話しかけても、かなりぶっきらぼうな反応だった。

顔を上げてこちらを見る目も厳しいときが多く、声を掛けるにも多少の心の準備が必要なくらいだった。

 

仕事の飲み込みは早く作業も正確なので、派遣さんとしては十分である。でももう少し愛想よくしてもらえると、こっちもやりやすいのにな〜と思っていた。

 

それが最近は少し打ち解けてきた。たまに花粉症のぼくに「今日はそんなにクシャミ出てないですね」なんて向こうから話しかけてくれるようになった。それもにこやかに。

 

きっと人見知りが激しいタイプで、だいぶ慣れてきたということなんだろうけど、ちょっと話しかけてもらったり、笑ってもらうだけでなんだかすごく嬉しい気分になる。

 

考えてみれば、他の人なら普通のやりとりなんだけど、元があんな感じだっただけに、「普通」がありがたく思える。

 

ベースをマイナスにしとくことで、それがゼロになっただけで喜ばれるというのは、ある意味コミュニケーションの達人かもしれない。

心を入れ替えます

もう、西武が負けても家で不機嫌になりません!!

 

ほんとに我ながら嫌になる。

昨日の試合、守ってはエラー連発でついにはノーヒットで先制を許し、打つ方は相手ピッチャーに手も足も出ずに完封負け。どうしてもイライラを抑えきれない。

 

我が家の長男は最近一緒に野球を見たがる。「今の惜しかったね」「相手のピッチャーすごいね」と話しかけてくるのに対して、にこやかに応えてやりたいところなのだけど、「ああ」とちょっと無愛想になってしまう。

 

解説の岩本勉氏がハイテンションで発するコメントに、小学生の長男は面白がって笑うのだけど、そのたびに隣でしかめっ面をしている親父をチラッと見る。その気配が不憫でならない。こんな父ちゃんでごめんな、と思う。でも昨日は一緒に笑ってあげられなかった。

 

やっぱりこんなことじゃダメだ。

この分じゃ、子どもたちが大人になったとき「西武が負けた時の父さんが不機嫌でほんとに嫌だった。」なんてことを孫に話されるのが目に見えている。

そんな昭和のダメおやじみたいな爺ちゃんにはなりたくない。

 

というわけで、今日から心を入れ替えます。

 

西武が劣勢でも、すぐに「あ~今日はもうダメだ」なんてヤケを起こさず「最後まで頑張れ」と応援し、ダメだったら「相手が強かった」と素直に称える。そんな人格者の父ちゃんを目指します。

 

勝ったらもちろん嬉しいし、負けたら人格者への道が拓ける。野球ってほんとにいいスポーツだ。

でもできるだけ勝ってね。

お金は不思議

うちの貯蓄は一部、投資信託にまわしている。3年くらい前から始めてちょいちょい買い足していて、成績はプラス60万円くらい。元手の額を考えたら結構上出来だ。なにしろ預けているだけである。

 

大学に入りたての頃、新聞配達のアルバイトをしていた。

朝4時に起きて毎日2時間程度、休みは新聞休刊日の月1回のみである。実働時間は短いとはいえ、毎朝4時起きとなると前の日の行動もかなり制限される。6時に帰ってきて二度寝といっても、一度起きたカラダがそう簡単に寝付けるわけもなく、結局一日寝不足気分で過ごすことになる。控え目に言っても相当にしんどい仕事だった。

 

で、それがだいたい手取りで5~6万円。つまり新聞配達を1年間やり続けた収入を、ただ投信にお金を預けているだけで稼いでいることになる。

 

ホクホクな一方で、当時の自分がかわいそうな、やり切れない複雑な気分だ。

 

お金とは何かの対価であり、価値の交換で得るものだと思っていた。もちろんそれが基本だろう。自分が希少な価値を提供できればできるほど、多くのお金を得やすい。

 

でもそれだけではないらしい。投資信託で得たお金というのは何の対価なのか。

 

おまけに現金が手元にあるわけでなく、口座上の数字が日々増減しているだけだ。売って利益を確定させない限りは自分のお金でもない。いったいこの数字は何を意味するのか。考えるほどによくわからなくなるのだ。

ロクに観てない感想文「ロスト・イン・スペース」(Netflix )

期待して観始めたのですが、1話目の途中で挫折してしまいました…

 

どうしても引っ掛かるところがあって集中できなかったのです。

 

一家が不時着したのは極寒の雪山のようなところ。しかもだんだんと気温が下がり、池が一瞬にして凍りつき、潜っていた娘が閉じ込められるほどの猛烈な感じです。

 

 

なのに全然寒そうじゃない。

登場人物はみんなフードも帽子もかぶらず平気な顔をしている。未来の話だから、もしかしたらそれは何かの技術進歩のたまものかもしれません。そう思って見続けていたけど、やっぱりなんかおかしい。

 

そう、息が白くないんです!!

だからいくら雪に囲まれ、風に吹かれていてもまったく寒そうに見えない。

北国に住むぼくとしては、そこの気持ち悪さに耐えられずに、途中でやめてしまったのでした。

 

 

それにしてもどうしたことでしょう。

Netflixのドラマたるものが、その程度のリアリティ追求に手を抜くとはあまり考えられません。

むしろそこが今後のカギとなる要素なのでしょうか?

そうであってほしい。

 

 

前にウォーキングデッドについて書いたときにも同じことを言ったのですが、やはり設定が奇想天外なものであればあるほど、作品にどれほどのめり込めるかは、細かいところのリアリティの再現度にかかっていると思うんですよね。ほんとに冒頭の30分程度を観ただけですが、その限りではあまりそこのこだわりが感じられませんでした。

 

もう少しあれこれレビューを観つつ、また気持ちが盛り上がってきたらトライしたいと思います。

登山の魅力

先日はキャンプの魅力について考えてみたけれど、今日は登山について書いてみたい。

 

登山は2年前に突然目覚めて、ちょいちょい出かけるようになった。

 

きっかけは「君の名は。」である。

クライマックスで主人公の男の子が、女の子に会うために高原のようなところを歩くシーンがある。それを観ていてなんだか無性に「山に登りたい」と思ってしまった。

 

きっとそのくらい、あの映画の風景が美しく神秘的で、それでいてリアルだったのだろう。

ストーリーもさることながら、「こんな場所に自分も身を置きたい」と、もろに影響を受けてしまったのである。

 

帰り道にはもう、一緒に観た奥さんに「週末、山登りに行こう」ともちかけていた。

といっても当時子どもは2年生と年中で、山といっても限られる。

まずは近場の気軽なところに行ってみた。それでも十分にリフレッシュできた。

奥さんも子どもたちも楽しんでくれた。

 

翌年はもっとチャレンジした。

大人でも息があがるような山に、子どもたちもついてきた。

長男はもう体力でいえば大人と変わらないかそれ以上なのはわかっていたけど、ふだん甘えん坊の次男も頑張った。

 

山登りのよさ、それはもちろん自然に囲まれた気持ちよさ、すがすがしさというのはあるのだけど、同時にちょっとした「自分との勝負」に勝つ快感も大きいと思う。

 

ぼくの場合は、子どもが「勝つ」瞬間も目にすることができる。子どもがまた一つ成長の階段を上ったことを実感できる。それがさらに嬉しい。

 

思いのほか奥さんも乗り気で、次はどこの山に登るかあれこれ計画を立てている。

きっと彼女も同じような快感の虜になっているのだろう。

 

今年は登山⇒キャンプの合わせ技にも挑戦だ。

夏は楽しい。

おじさんの昔話

今日、素敵な文章を読んだ。

 

古賀史健さんの「バナナとおじさん」

https://note.mu/fumiken/n/nca2b80e8f0c7

 

 

要約するとこんな感じ。

おじさんの「むかし話」は若者にとって鬱陶しいけれど、それは多くが苦労話だったり自慢話だったりするからかもしれない。

でも古賀さんはお父さんが語るバナナの話が好きだった。「昔はバナナが高級品で、はじめて食べたときはとびきりおいしかった」というような。

きっとその人にとって「うれしい話」や「感動した話」であれば、聞いている方も楽しい気持ちになるんじゃないだろうか。

できればうれしい気持ちを語るおじさんでありたい。

 

 

これはとても共感した。

 

ついつい昔話をしてしまうのは年を取ると避けられない。でも武勇伝や若い人へのダメ出しなんかじゃなくて、相手が新鮮に思えるような楽しい昔話だってあるはずだ。

 

ただでさえ若い人にとっては、年上の人間と話すのは気を遣うし言いたいことも言いにくいものだ。

ぼくだって会社の年上の人と飲みに行くのは本当に嫌いだったからよくわかる。

 

何歳であろうと、相手の気持ちを考えて会話をするのはコミュニケーションの基本だ。

自分が中年になった今、少しでも楽しんでもらえるように相手以上に気を遣って話そう、というくらいの心がけでちょうどいいのかもしれない。

キャンプ愛を語る

昨年くらいからキャンプが楽しい。

 

そんなに本格的に、という訳ではない。最初のうちは、キャンプ好きの妻の妹家族に付き合う程度だったから、テントもブランド品ではない安物である。

 

でも何度か行くうちに、だんだんと中毒になってきている。

いまだにテントじゃよく眠れないし、帰ってきてからの片づけも大変だし、終わったあとは「あ~疲れた」となるけれど、1週間経つともう「早く行きたい」という気持ちになっている。

 

どんな魅力がそうさせるのか、ちょっと考えてみた。

 

まず第一に「ゆっくり酒を飲みながらメシが食える」というのがある。

やかましい2人の男子を抱える我が家では、店で外食してもとにかく落ち着かない。ヤツらが食べ終わったらもうジッとしてられないので、さっさと立ち去ることになる。あと大抵は車で行くから、ぼくか妻のどちらかはアルコールを我慢することになるのだ。

 

それが、キャンプ場についた瞬間から缶ビールを空け、だらだらと肉やらなんやらを焼きながら食べる。食事に飽きたチビどもはそのへんに放牧しておけばよいだけ。天国である。

 

そしてもう一つはやはり「自然」だ。

 

中には街中からほど近いところもあるが、ぼくが好きなのは外界から遮断された湖のほとりや山の中のキャンプ場だ。

そういう場所は、ある程度便利さとはトレードオフになるけれど、そもそも便利さを求めるならキャンプじゃなくてもよいわけで。

 

当然ながらまわりに人工的なものが少なければ少ないほど、気持ちのリフレッシュ度は高まる。

怖いほど圧倒的な星空や、映画の一場面のような、まるでリアルに感じられないほど美しい朝日、そんな景色にも出会える。

 

ほろ酔いでひたすらダラダラと過ごす夜。澄み切った空気の中、鳥の声で目が覚める朝。何度やってもたまらない。

 

今年もそろそろ我が家のシーズンが始まる。