にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

Better Call Saul

言わずと知れた大ヒットドラマ「ブレイキング・バッド」のスピンオフ作品。


ドラマでも主役級の存在感を見せた、悪徳だが憎めない弁護士ソウル・グッドマンが、まだ「ジミー・マッギル」として活動していた頃のエピソードだ。

 

彼がいかにしてあのようなキャラクターになっていったのか、駆け出し時代や幼少期のエピソード、兄弟や恋人との関係を描きながら、少しずつ解き明かしていく。

また同じくドラマで重要な役どころのマイクやトゥコなども登場し、絶妙にブレイキングバッドとの繋がりも見せてくれる。

 

ドラマとしても魅力的だ。目先の利益を追い求め平気で人を騙すかと思えば、困っている人をどうしても放っておけず結局貧乏クジをひく、ズル賢くもやさしいジミー。

悪いことを考え、時には人を陥れ、でも葛藤し、反省し、誰かのために尽くし、でもまた失敗する。


このドラマの魅力は、ぼくの中にも紛れもなくジミーが潜んでいて、人生において感じる寂しさや嬉しさを余すところなく代弁してくれていると感じられるところなんだと思う。

映画でもドラマでも小説でも、好きだと思えるものは全部そうだけれど、やはりどこかで自分の一部が共鳴する。
あからさまになりすぎず、ちょっとしたセリフや表情、あるいはカメラワークなどで表現されることで自然と感情移入させられているのだろう。

 

それにしてもNetflixはほんとうにどのドラマも面白い。この平均点の高さは恐ろしいほどだと思う。

新しいワイシャツ

襟ズレとでもいうのだろうか。

 

買ったばかりのワイシャツをおろして、洗濯せずにそのまま着て出勤した。

すると昼くらいからなんだか首がヒリヒリしだした。

 

明らかにワイシャツの襟が当たっているところが痛い。

こんなの初めての体験である。

鏡で見ると、襟の形に沿って首が赤くなっている。

 

布の硬さのせいなのか、それとも糊付けか何かの薬剤のせいなのか、とにかく痛い。

 

40年生きてきて、たいがいのことは経験したつもりだったけど、まだまだいろいろあるものだ。

死ぬことについて

もし余命1年と宣告されたら。

そのとき残った時間でしたいことはなんだろう。

そのとき生まれる感情は、恐怖か、それとも寂しさだろうか。

 

自分にとっては、やはり家族とのことが一番に思い浮かぶ。

家族と離れる寂しさでいっぱいになるだろうし、残された時間ではできる限り子どもたちと思い出をつくりたいと考えるだろう。

 

なんだけど、では、あれもしたいこれもしたかったと、いろんな焦りや後悔が生まれるかといえば、そんな気はしない。

 

それなりにやりたいことをやってきたし、好きになった女性と結婚して、最高に愛しい子どもたちがいる。心を占めるのは圧倒的に満足感だ。

 

死を意識することで、自分の人生これまでとても幸福だったことに気付く。

家族も同じように幸福なんだろうか。そうであってほしいと願う。

 

 

炎上への向き合い方

絵本作家の のぶみさんが歌詞を書いた歌に反感が集まり炎上し、謝罪に追い込まれたという記事を読んだ。

 

お母さんの気持ちを歌った歌で、全部読んでみると、確かに反発を覚える人がいても不思議ではないけれど、個人的には(ぼくはお父さんだが)言いたいことは理解できると思った。

 

でもここで言いたいのは、歌詞の是非ではない。

炎上の行方についてちょっと感じるところがあった。

 

今回の「炎上」は、マスメディア、あるいはその中の記者が狙って火をつけたものであると思われる。

そもそも歌の歌詞なんて、アーティストが主観で書くものだ。共感する人もいれば反感を覚える人もいて当たり前。だから今回は、反感を覚える人のコメントをことさらに書き立て「炎上案件」として世に晒したどこかのメディアが、騒ぎを大きくしたのだろう。

 

そしてのぶみさんは、すぐに謝罪ではなく、まずは自論を述べる形でコメントしている。

でもメディアは火をつけた以上、「謝るまで許さない」スタンスだ。そののぶみさんのコメントも徹底的に叩かれた。行き着いた先が「謝罪」である。

 

この成り行きを見ていて感じたのは、誰かが意図して火をつけた案件に対して「反論」は文字通り火に油を注ぐことになるんだなあということ。

「無視」が一番なのかもしれない。

 

たとえば喝!でお馴染みの張本勲は、しょっちゅうその過激な発言が新聞やネットで騒ぎになるが、彼が謝罪したなんて聞いたことがない。

批判もどこ吹く風、と知らん顔していれば、もともとが過剰に騒ぎ立てるほどのことでもないから、自然と沈静化しているように見える。

 

のぶみさんにしても、実際は関係者などに迷惑をかけたくないとか、いろんな大人の事情があり、不本意ながら謝罪したのだとは思うけれど、放っておく、という選択肢もあったんじゃないかなと思わずにはいられない、気の毒な結末だったと感じた。

カレーとラーメン

いわゆるカレーとラーメン問題である。
他人が食べてるのを見ると猛烈に自分も食べたくなる、という現象について、なぜなのかずっと疑問だった。

 

実際に近くで食べている人でもそうだし、テレビで見てもそうだ。


どんなにおなか一杯の状態でも、一目みたら食欲が湧いてくるのだ。

 

もちろん単に「好きだから」というのもある。

でもそれだけでは説明がつかない。
他人が食べている寿司やステーキに、そこまでの破壊力があるかというと、やはりラーメンとカレーには及ばないと思える。


そこで一つの仮説。

「におい」だ。

 

この2つはビジュアルを見ただけで、脳内にその魅力的な「におい」まで再現されてしまう。
だから見た目がおいしそうなだけのものよりも、はるかに食欲が刺激されるのではないか。

と書いてるそばから腹がへってきた。
もう食べたくて仕方がない。


ビジュアルすら必要としない、「文字」だけでこのレベル。
カレーとラーメン、恐るべしである。

授業参観

年長の息子の参観に行った。

幼稚園最後の機会だし、冬休みに頑張った鉄棒をやると聞いていたので、ぜひ見ておきたいと思った。

 

授業では緊張の面持ちだったが、練習の甲斐あって見事に逆上がりを決めていた。

 

ぼくとしても嬉しかった。

うまくいかなくてガッカリする子どもの顔はできればあまり見たくない。

 

自分の子どもがうまくいったあと、ぼくの中で次に生まれた感情は、少々タチが悪い。

それは「ほかの子はあまりうまくいかなきゃいいな〜」というものだった。

みんなができるよりも、自分の子どもだけが出来た方が、価値が高いように思えてしまったのだ。

恥ずかしいことだけど、それが偽らざる心情だ。

 

ふだん子どもには、「他人との比較はしなくていい。自分が努力して進歩することが大事だ」なんて偉そうに言っているにも関わらず、本音ではそんなことを考えてしまっているのだ。

 

自然な気持ちだから、なかなか改善しようと思ってできるものでもない。ただ「自分はそういう感情をもつ人間」ということは常に自覚しておくことが必要だろうと思った。

食品業界のこと

最近、仕事で農産物や水産物・その他生産者の方々にお会いする機会が多い。

ふだんまったく別業界で働いているぼくから見て、ある共通点がある。


みんな「いい人」なのだ。
なんというか、裏表がなく、カラッとしていて真っすぐな印象なのだ。

もちろんそれぞれの立場でビジネスをしていて、しかもそれなりに成功しているわけだから、単にお人好しということではないだろう。

 

でもやり取りをしていて、ぼくの業界ではお馴染みの「駆け引き」とか「見栄」とかそういうものがあまり感じられない。

そしてみんなポジティブなエネルギーを発散している。

「食べ物」や「いのち」に関わっていることで、自然とそういうキャラクターになっていくのか、そういうキャラクターだからこそ、この世界で成功しているのか。
とにかく一緒に仕事をしていて気持ちが良いのは確かだ。

 

興味深い業界である。
もっと知っていきたいと思う。