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にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

さっそく反省...

昨日、自分の欠点として「すぐ妥協してしまう」と書いたばかりだけど、またやってしまった...


期日も押し迫ったプレゼンの打ち合わせ。みんなGWは休めるように、なんとか今週中に仕上げてしまいたい。


打ち合わせも佳境に入り、そろそろまとめに入ろうという頃になっても、どうも自分の中でしっくりこない。


競合プレゼンだけど、うちの会社の「勝ちどころ」を明確にできていない気がする。


頭の中にはボンヤリと「こうした方がいい」という案がある。


でも、このタイミングでこれを言い出すと、場が混乱に陥ることは目に見えている。

形にしようとすると、みんなに結構な負担をかけてしまう。


結果、言えなかった。


これが自分の最大の欠点である。

まわりを巻き込むことに躊躇してしまう。

まあいいか、と自分一人でもなんとかなる程度の小手先のことで済ませてしまう。


これでは絶対にいいものは作れないし、大きなことを成し遂げられない。


変えていかなければ。

もっと結果に責任感をもつ。

ギリギリまで企画をよくするために粘る。

そのために周りに疎まれることを怖がらない。

さらに言えば、もっと早い段階から頭を「本気モード」で働かせ、ギリギリになる前から質の高い案を出せるようになりたい。



と、これまでも何度反省したことか...

頭の中で反省だけじゃなく、こうして書いたことで、半歩くらい進歩したと思おう



次こそ...

読書感想文「嫌われる勇気」

自分の欠点はたくさんある。


自分に甘い、すぐサボる、面倒くさがり。だから仕事でもストイックに妥協せず取り組む、ということができない。ついこんなもんでいいか、となる。


まだある。初対面の相手が苦手。人と仲良くなるには時間がかかる。そもそも仲良くなれる人が少ない。


でも、そんな自分のことが嫌いではない。いや、もっとはっきり言おう。ぼくは自分が好きである。

最初に挙げた欠点の倍くらい、自分のいいところが思いついてしまうのだ。


だいたいみんなそんなもんだと思っていた。

誰だって欠点はそれほど気にせず、いいところを自己満足して生きていると。


でもこの「嫌われる勇気」がベストセラーになるということは、もしかすると、そうではないのかもしれない。

「自分が好き」と思うことに、それなりの努力を要する人も多いのかもしれない。


どちらにしても、人生を幸せに送るためには、「自分を肯定する」ことが大きなカギになるように感じた。


そしてもうひとつ、「他人は他人」と割り切り、あまりその目を気にすることなく生きる。これまたぼくのモットー...というほど立派なものではなく、単なる生まれ持った性分なのだが、本にもある通り、人間関係をずいぶん楽にしてくれると実感している。


この本を読んで、目からウロコ、というよりは、「うんうん、そうだよな」という納得感が強かった自分は、幸運なのかもしれない。


自分を肯定できるように愛情を注いでくれた両親に感謝したい。

次は自分が子どもたちを目一杯愛してやりたい。


そんなことをあらためて思わせてくれた本だった。

ザ・ベスト・オブ「プロフェッショナル」

あまり感じたことない種類の感動だった。

 

昨日放送のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」。

知床に生きる猟師、久保俊治。

 

独りで大自然に潜むエゾシカヒグマと対峙し続けている。

集団で追い込み仕留める「狩り」は、動物に対してフェアじゃない気がすると言う。

善悪の問題ではなく、それが自分の方針だと言う。

 

動物の生命を狙うことに、自分の生命を賭ける。

 

そんな彼が、エゾシカを撃ち殺し、解体するシーンがある。

腹を裂き、心臓を取り出す。皮を剥ぎ、部位ごとに切り分ける。

その映像に残酷さはかけらも見当たらない。

それは、あくまでも大自然のひとつの営みとして存在しているからだ。

もし大地の神というものがいるなら、それは神に赦された行為だと思った。

 

そして、ライオンでもヒグマでもなく、ひとりの人間「赦された存在」として生きている姿に、胸の奥が震えるような感動を憶えた。

 

ただ「生きる」、それだけのために仕事をする。「自分」だけが存在する世界。

彼にとっては幸せも不幸もないだろう。それは、どこまでいっても他の誰かを物差しにしているにすぎないことだと気づかされた。

 

まさに「人間のプロフェッショナル」。

彼のようには生きられない。でもこの世界に彼のような人間が存在する事実に、生きていく勇気を与えられた気がした。

子どもの成長を感じるとき☆3年生編

ついに長男が鍵っ子デビューをした。

 

新学期から毎週木曜日に次男が習い事をはじめ、うちの奥さんがそれに付き添うので、長男が学校から帰宅したときは家に誰もいなくなる。


最初そのことを聞いたときは、ちょっと不安だった。3年生になるとはいえ、これまで家に独りでいたことなんてない。うまく鍵を開けられないとか、家に入ったあとに鍵をかけ忘れて、変な訪問者がやってきたら大変だとか、いろんな心配な気持ちが生まれた。

 

ましてや彼は奔放な次男と異なり、何事もあまり自分で決められない。どちらかというと常に親の顔色をうかがいながら、判断をあおぐタイプである。

何かが起きて独りで困っている様子が目に浮かび、落ち着かない気分になった。

 

 

そこで、まずは鍵をもつ生活に慣れさせようと、事前に何度か学校に持っていかせ、帰宅時に自分で開けて入ってくるようにした。

 

練習の仕上げは本番木曜日の2日前、彼の帰宅時に奥さんはあえて外出し、「誰もいない家」に帰ってくる経験をさせた。

 

彼には、家にいるもよし、遊びにでかけるもよし。出かけるときは行先をメモに残し、ちゃんと鍵をかけて行くように、と言い聞かせた。

きっと帰宅したらお母さんが帰ってくるまで、家でじっとしているのだろうと予想していた。

 

 

果たして彼女が帰宅したとき、彼は出かけており、ホワイトボードにちゃんと「●●くんと△公園に行ってきます」と書かれていたそうだ。おまけに自分の似顔絵と吹き出しまで付ける余裕っぷり。

 

親が思っている以上に、子どもはたくましい。

 

そして彼は少しずつ変わってきた。

なんとなく堂々としてきたのだ。親と話すときも、自分の考えをしっかり伝えられるようになってきたと感じる。

 

もちろん放っておいても日々成長するものだろう。でも鍵を持たせるようになったことが、彼において「親に信頼されている」「一人前に扱われている」という自覚につながったんじゃないかと思っている。

 

「かわいい子には旅を。」はるか昔から言い伝えられるこのことわざ。彼の成長を嬉しく感じながら、その意味を噛みしめている。

いっぺんフラれてこい

最近、仕事で外部の人たちと会う機会が増えた。

これまではどちらかというと、ひとりでウンウンうなって企画を考えていることが多かったのだが、もともと慣れない人と会うことがあまり得意でないこともあり、自分にとっては理想的な環境だった。


でも部署が変わり、そうも言ってられなくなってきた。
外部からたくさんの情報を得られる人間関係や交渉力を求められる部署だったりするのだ。

会う人たちも、「自分は●●のことを知っている」「この前△△さんと飲んだ」というようなことをよく言っている。交友関係が広いことや、いわゆる「事情通」であることがアピール材料になるようだ。


もちろん、会社にとっては必要な部署だ。
実際にお金を稼ぐためには、企画内容なんかより、そういった人間関係の方が大きくものを言う場合も多い。

でも、やっぱり自分は「考える人」でありたい。
「何を考えられるか」で認められたい。

コピーライターの仲畑貴志さんと糸井重里さんの対談を読んでいたら、お二人もやはり「事情通」であることからは距離を置いていた、というような話があった。
業界のことを勉強する時間があったら、街に出ていっぺんフラれてこい、と語っていた。その方がよっぽど人の心の機微や感情を勉強できる、というわけだ。

サラリーマンである以上、配属された部署でできるだけ役に立ちたいとは思う。
でもやはり、どんなに努力しても100mを10秒台で走れるようにはならないのと同じで、自分が「事情通」のプロフェッショナルになる素養があるとは思えない。

同じ努力をして目指すなら、だれよりも考え、「いい企画」を出す人になりたい。

今の部署での仕事も、新しい経験を積むという意味では今後の大きな糧となる。それを無駄にしないという気持ちを持ち続け、これからも「企画のプロ」を目指していこう。

自分に自信をもってやる

世の中に、「ぜったい」なんてことはそうそうない。
それはよくわかっている。

でも会社の上司や先輩に言われたことは、なんとなく「自分より正しい」と思い込んでしまったりする。

もちろん、経験者の方が未経験者よりも予想しやすい、ということはあるだろう。
でも仕事で「まったく同じ状況」なんてことはほとんどない。
常に「そのときが最初」と考えてもよい。
ましてや時代はすごいスピードで動いている。


だとすれば、何が正解かなんて、やってみないとわからない。
はじめから「先輩の方が正しい」なんて萎縮することはない。
思い切り、思った通りやってみた方がいい。

でもやるからには、責任もともなう。
しっかり準備し、自信をもって取り組みたい。

できれば、まわりの上司や先輩が、それを暖かくかつ厳しい目で見守ってくれていれば理想的だ。

自分のチャレンジを恐れず、誰かのチャレンジを応援できる人でありたいと思う。

「わかってくれない人」との会話について

人に何かを説明するのってむずかしい。

わかってもらえないと相手がダメな人のように思えるけど、そこで「わかるように説明できない自分がダメ」と考えられるかどうかで、その後の伸びしろも変わってくるように思う。

仕事をしていると、日々そんなことの繰り返しだ。
外部の人へのプレゼン、上司への説明、自分の案を仲間内に披露するとき、たいがい上手く伝わらない。予期しない質問が飛んできたりする。

正直「わかんねー奴だな」とイラっとする。でも、その説明の「目的」はあくまでもその人に「わかってもらうこと」なのである。
であれば、その人がどうすれば理解できるのか、考えるのはこちらの仕事だ。

ときには、その相手のとんちんかんな質問に対して、相手の機嫌を損ねないように受け止めながら「こんな質問が出るってことは、ここが理解できないポイントなんだな」と当たりをつけ、からまった糸をほぐすように、丁寧に説明していくのが肝要だ。
ここでイラついても何もいいことはないのである。

これはとても難易度の高い作業だ。ぼくもしょっちゅう「あー!もう」となってしまう。でも後で思い返すと、やっぱりそれは上手く語れない自分の責任なんですよね。

まずは説明前にできるだけ考えを深め、あらゆる質問に冷静に回答できる状態をつくっておくこと。そして予想外の反応を受けたときも、あくまで落ち着いて、それをいったん受け止める心の余裕をもっておくこと。それを常に心がけていたい。