にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

「下北沢ダイハード」が面白い

最近はすっかり海外ドラマにシフトしていたのですが、たまたま何かの記事でテレビ東京系列の「下北沢ダイハード」が面白いというのを目にして、試しに見てみました。


 

確かに面白い。おそらく制作費はそれほどかかってないのでしょうが、アイデアと演出、俳優の技量によってこんなに楽しめるものが作れるのか、と唸ってしまいました。何話か見たのですが、毎回脚本・監督が異なるにも関わらず、同じようにおもしろいのです。

 

 

で、ドラマに興味をもつきっかけになった記事の話に戻ります。

それはこのプロデューサーのインタビュー記事でした。

そこで語られていたドラマの「コンセプト」がとてもよかったのです。

 


そのコンセプトとは「『寄りで見ると悲劇、引きで見ると喜劇』を描く」というもの。


 

この考え方はきっとコメディ全般に当てはまるものだと思いますが、これほど明確に言葉にしたとき、なんだか人生を楽しく生きるコツでもあるような気がしたのです。

 


すごく腹が立った経験をしても、時間が経つと笑い話になるってよくありますよね。それも結局「引き」で見られるようになったということだと思うんです。


 

もし意識して自在に「引き」の視点をもてるようになったら、たいがいのことはそれほど悩まず、イライラせず、気楽に生きていけるんじゃないか。そんな気がします。

 


もちろんそう簡単に済む話でないこともあると思います。でも「寄りで見ると悲劇、引きで見ると喜劇」は、これからのぼくの人生において、いつも脳みその片すみに置いておきたい、お気に入りのことばになったのでした。

うんこの台頭

 

なんだか下品なタイトルですみません。

いや、それがもう「下品」ではないのかという、良い意味でショックをうけた話です。

 


先日、小学校関連の行事で子ども連れで登山に行ったときのこと。

参加していた小2の男の子が、山頂で「お腹が痛い」「トイレに行きたい」と言い出したのです。

登山といっても上り40分程度の軽い山で、携帯トイレなんて誰も持っていません。

小ならそのへんでどうにでもなりますが、大となると周りに他の登山者も大勢いるし、どうしよう・・と大人たちは慌てました。


 

結局、彼自身が「もうちょっと頑張れそう」ということで、下山まで耐え抜き事なきを得たので一安心でした。

 


そんな中、ぼくがひそかに驚いたのは、子ども同士で「ヤバいうんこしたい」「大丈夫か?」とか、「間に合った?」「すげえでっかいのが出た」なんて会話をしていることです。

 


自分の子ども時代、「うんこ」はまさに鬼門でした。

学校で大のトイレを使うなんてとんでもなく、授業中にもよおそうものなら、歯を食いしばり全集中力と筋力を肛門に集中させ、帰宅するまで耐えたものでした。

 


人の目を気にせず個室トイレを使えるようになったのは大学くらいからでしょうか。

そのときは大人の階段を一歩上がった気がしたほどです。

 


それなのに・・・今の子どもたちは「間に合った?」「デカいの出た」なんて会話をしている。この様子だ学校でうんこがしたくなっても、平気で用を足せるのかもしれません。

だとしたら、世界はなんて素晴らしく健全なのでしょう!!


 

というのは大げさかもしれませんが、本来当たり前の「うんこをする」ことが、子どもたちにもちゃんと当たり前に受け止められるようになるのはとても良いことに思えます。

 


最近の「うんこドリル」ブームといい、うんこ問題に関しては、確実に時代はいい方向に向かっているようです。

筋肉痛のフシギ

この週末、久しぶりに草野球をしました。

一年ぶりの野球場は、なまりになまった身体にはとてつもなく広く、一塁に到達する前に太ももがつりそうになるわ、二塁ベースから一塁への送球がワンバウンドするわ、自らのあまりの老化ぶりにショックを受けました。

 


案の定、次の日からは両足を中心に体中がガタガタで何もする気がおきません・・・

 


なんですが、その痛みがちょっと気持ちいいんですよね。

あーなんかオレ、カラダ動かしたなあ、って感じ。

 


考えてみたら、「筋肉痛」を語る人ってなぜかみんな嬉しそうです。

「痛い」「つらい」そんな言葉と裏腹に、晴れ晴れとした表情をしています。


 

あれはなんでしょうね。

からだを動かすことって、なにか細胞レベルから湧き上がるような喜びがある気がします。

 


ふだん使われない部位の筋肉たち。でもやっぱり必要だから存在するわけで。その活躍によっておきる筋肉痛は、自分のカラダが「全員野球」をした証どこか痛みを勲章のように感じる嬉しい気持ちはそんな理由からかもしれません。

飲み会が苦手なワタシ

飲み会というものがあまり好きじゃない。

特に職場関連のやつ。

苦手な人がいるわけではなくても、なんとなく面倒くさい。

なんでだろう?

 


友だちや気が合う人と会って飲むのは楽しい。ということは大半の職場関連の人とは「気が合わない」ということなんだろうか?

 


そこまで考えて、なんとなく辿り着いた答え。

飲み会というのは「飲みニケーション」ということばもある通り、「コミュニケーション」の場だ。

 


つまり、相手の話を聞きたいし、自分の話を聞いてほしい。そんな気持ち同士が交わる場が「飲み会」ということだろう。


 

だから、他人への関心がもともと圧倒的に薄いぼくにとっては、楽しいというよりも「面倒くさい」という気持ちが勝ってしまう。そういうことかもしれない。

ほんとうに仲が良く、好意をもっている相手でない限り、他人の話にあまり興味はないし、自分の話を聞いてほしいとも思わない。そりゃ楽しいはずがないのである。

 

 

じゃあいったい、他の人は飲み会を楽しんでいるのだろうか?

仕方なく付き合っている人も多いだろうけど、中にはしょっちゅう誰かしらを誘って飲みに行きたがる人もいる。

 

そんな人はきっと「聞いてほしい」ことが多いのかな。

言いたいことを聞いてもらえる相手を求めているのかもしれない。

 

そう考えると、ちょっと不憫にも思えてくるけど、

ぼくのことは誘わないでね。

なにごとも自分中心に

うまくいかないことは、相手のせいにしたくなる。

誰でもそうだと思う。もちろんぼくだってそうだ。

 

 

もうすぐ40代に足をつっこむくらいに年をとると、なんとなく自分の積み重ねてきたことへの自信や自負がある。それなのにうまくいかないと、つい相手に原因を求めたくなってしまう。

でもそれだとやっぱり進歩がない。

そこを「待てよ」と思いとどまり、できるだけ謙虚に振り返ってみることを自分に言い聞かせている。

 

 

相手に伝わらなかったら、それは自分の説明が悪いのだ。

提案が採用されなかったら、相手が想定する的を射ていなかったのだ。

 

 

まず原因は自分にある。そう思うことは、精神状態にもとてもよい影響を与える。

自分のことは自分が努力すればよいだけなのだから。

コントロ―ルできない他人のことをあれやこれや考えて腹を立てても、それはストレスでしかない。

 


自己中心に考えることが、円滑な人間関係のきっかけになると思う。


 

「最近の若いやつは付き合いが悪い」となげく人たちも、いちど「自分に若いやつが付き合うだけの価値があるのか」と考えてみるとよいかもね。

RADWIMPSは最初からイケてた

DMM片桐社長「RADWIMPSは最初からイケてた」

これ、最近の日経ビジネスオンラインにあがっていた記事のタイトルです。

 


pixivを世界的サービスに育て上げ、今年DMM社長に就任した片桐氏が、スタートアップの目利きとして持論を語る内容です。

 


RADWIMPSについて語る箇所は、終盤の一言だけ。インディーズの頃に見たが、その時点ですでに輝いていた。イケてるやつは初めからイケてる、という事例としてふれたくだりです。

 


の記事に冒頭のタイトルをつける。編集者の「読ませる」ためのテクニックとセンスが凝縮されているように感じました。

長いインタビューの中ではおそらくほんのわずかに語られただけのRADWIMPSの事例。そこを敏感に拾い上げ、キャッチ―でありながらインタビューのエッセンスが表現されているタイトルに仕立てる。

まさにプロの仕事です。

 


ブログ記事でも企画書でも、ぼく自身いつもタイトルには頭を悩まします。結果として、単に内容のさわりを要約しただけの面白みのないものに落ち着きます。


 

どうすれば「読みたい」と思ってもらえるものになるか。とても参考になる事例でした。

子どもと野球観戦

昨日も西武が負けた。これで5連敗だ。

これまでチームを支えてきた選手たち、バッターもピッチャーも、そろって不調に陥っていて、まさにどん底の状態といえる。

 


テレビ中継を見ていても、試合が進むにつれてだんだん不機嫌になってくる自分を感じる。

子どもたちに対する態度まで冷たくなったりするから、われながらタチが悪い。


 

最近、長男は野球好きに目覚めつつあり、見るのもプレイするにも興味津々で、昨日も西武オリックス戦を一緒にテレビ観戦していた。

 


西武が劣勢の展開をみて彼が言った。「オリックス強いね~」。

彼はまだプロ野球観戦初心者である。順位も、試合の流れなんかもよくわかっていないから、単に勝っている方が強いと思うのである。


 

オリックスが強いんじゃない。いまの西武が弱いんだよ」不機嫌にぼくが答える。

 


試合終盤。8回を終わって36。今の西武の調子を考えたら、まずどう転んでも負けである。

ぼくが言う。「今日もダメだこりゃ」。すると長男は「最後までわからないよ!」と言う。そう、もちろん一般的に勝負は試合が終了するまでわからないことになっている。でもぼくにはわかるのである。今日も負け負け。期待するだけムダムダ。

 


そこでハッとした。

正しいのはどう考えても彼の方である。

 


最後まであきらめない。負けたら相手を称える。子どもには偉そうにそんなことを言ったりするが、いざ自分を振り返ったら、すっかり単なる「キレイゴト」と化していた。そんな青いことを言うやつは初心者だけ、てなもんである。これはひどい

もし子どもが自分のようなセリフを口にし始めたら、どう感じるだろう。


 

反省した。西武が負けるのは悔しいし、イライラするのはどうしようもない。

でもどんな展開でも「最後までわからない」、負けたら「相手が強かったね」と口に出してみようと思う。きっとこれまでより、負けても受け入れられるような気がする。

 

子どもって、いつでも自分を見つめ直すきっかけを与えてくれる。ほんとうにありがたい存在だ。やっぱり宝物ですね。