にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

損切りのタイミング

仮想通貨が軒並み暴落しているようだ。

 

あまりに高騰していたから、そろそろだろうと見られていたようだけど、一気にきている。

 

ぼくはといえば、興味はあれどまだ手を出していなかった。

少しは「仮想通貨とはなんぞや」というのを勉強してからの方がいいかなと思いつつ、延ばし延ばしになっていたのだ。

 

もし少し早いタイミングで購入して、多少の利益か出ていたら、おそらくもろにこの暴落の煽りを食っていたと思う。

なかなか上手く損切りできないタイプだから、まだズルズルと持ち続けているかもしれない。

 

投資のセンスとは、ほぼ損切りのセンスと言ってもいいのかもしれない。

 

仮想通貨については、今のうちに勉強しておいて、下げ止まったと見られるあたりで手を出してみようかなと思う。やっぱり実際にやってみないことにはわからないこともたくさんあるから。

ついに!

次男の冬休み最終日。

休み期間中の目標に掲げ、毎日コツコツと練習してきた逆上がりに、遂に成功した。

 

前にも書いたけれど、正直言ってぼくは、彼の体力的にも精神的にも、幼稚園児のうちにできるようになるとは思っていなかった。

あまり運動が出来る方とはいえないから時間がかかるだろうし、それでも続けられるほどの努力型ではないと決めつけていた。

ほんとに何にもわかってない父親だった。

 

まったく足が鉄棒までも上がらなかった冬休みの初日から3週間。ぼくが一緒に手伝う週末以外は毎日自分ひとりで壁を使ったりして練習し、遂にこの日が来た。

 

自分で決めた目標に向かってコツコツ努力し、達成した経験は、今後の彼にとってすごい自信になるだろう。

彼だけではない。ちょっと奇跡とも思えるこの進歩を目の当たりにしたぼくにとっても、「信念をもってやり続ける」ことで可能性が拓けることを教えてもらえた貴重な体験だった。

 

今日ばかりは息子を尊敬した。冬休みの最終日は素晴らしい日になった。

 

エル・チャポの魅力

Netflix のエル・チャポにハマっております。

以前にベタ褒めしたナルコスの系譜に連なる作品で、というかほとんど続編と言ってもいいほどテイストは似ています。

 

これが期待を裏切らず最高に面白い。

 

事実を基にしたフィクションでありながら、要所に実際の映像を挟み込む演出が、物語に圧倒的な「リアリティ」を生んでいます。

 

またナルコスにも共通するところですが、役者がすごい。主人公のチャポをはじめ、登場人物はみな悪人でありながら、家族を愛し仲間を大切にする。やってることはクスリに殺人と、およそ自分の生活とはかけ離れてるものの、その心情は極めて人間臭い。そんな絶妙な表現力が、いつのまにか見ているこちらの共感を生みます。

 

これからシーズン2に入るところ。いよいよ世紀の脱獄に向けてクライマックスに向かうのでしょう。この中毒は抜けられそうにありません。

 

 

自分のダメなところ

自他共に認める自己愛の強いぼくですが、自分の嫌いなところを思い出したのでメモしておきます。

 

それはケチであること。

ほんと、このことで自分が嫌になることはよくあるのです。

 

たとえば、うちではぼくのスマホで子どもたちとポケモンGOをやっています。このゲームではポケモンに木の実のアイテムを与えて回復させることがあるのですが、たまに子どもたちが知らない人のポケモンにも与えるときがあります。それを内心「もったいないな〜」なんて感じてしまうのです。課金なんてしてないのに、単にゲーム内で手に入れたアイテムに「もったいない」ですよ!我ながら情けなくなります。

 

むかし海外を旅行してたときにも、宿の共用の台所で別の外国人の旅行者に「ちょっと牛乳を分けてもらえないか」と頼まれたときに、咄嗟に「ごめん、牛乳切らしててないんだ」と答えてしまいました。ほんとはあるのに。全然大した金額でもないのに。

 

なんなんでしょう、これ。学生時代に貧乏だった後遺症なのか。でも貧乏でも気前の良い人はたくさんいます。できれば子どもたちにはそうあってほしい。

 

そのためにも、自分もなんとかケチを克服し、大きな人間になれるように努力したいと思うのです。

我が家にアレクサがやってきた

ようやくamazon echoの招待が届き、我が家のリビングにやってきた。

 

話しかけたことを認識すると青く光る。

その反応がなんだか嬉しい。コミュニケーションをしている実感がある。

 

最初のうち、ぼくも含めてうちの家族の間には、なんだか知らないお客さんがきたような雰囲気の、そこはかとない緊張感が漂っていた。

 

こちらでヒソヒソと「こう言ってみたら」なんて会話を交わし、誰かが意を決して「アレクサ、〜」と話しかける。そんな感じ。

 

長男なんて、話しかけたいけど何を話してよいかわからず、でも気になる風で、ずっとアレクサの周りをそわそわと行ったり来たりしている。

 

でもちょっと使ってみた感じでは、とても我が家のライフスタイルには合ってそうだ。なにしろうちはテレビをみない。でもアレクサに頼めば気軽にラジオや音楽をかけてくれる。

 

奥さんも黙々と家事をしていたのが、少し楽しい時間になるんじゃないだろうか。

 

しかも今後どんどんスキルも増えていくようだ。どのように進化していくのか、またしばらく経ったら感想を書いてみたい。

整骨院初体験

年末に痛みがひどくなった腰は、だいぶ楽にはなってきたけれど、何かの拍子にピリッときて恐怖心が消えない。

しかも月末に海外出張を控え、長時間の飛行機となるとかなり不安だ。

 

というわけで、この際きちんと根本から改善したいと整骨院に通うことを決めた。

 

ただ、こういうのは当たり外れが大きそうだ。できれば身近な人に薦められたところに行きたいが、残念ながら家や職場の近くではない。そこでイチからWEBで探すことにした。

 

ローカルな整骨院となると、口コミサイトも評価自体が少なくあまり使えない。

 

そんな中で一軒の整骨院を選んだ。

HPで書かれていたことが、もっとも専門的かつ良心的に思えた、というのが決め手だった。

予約の電話をうけてくれたお兄さんも、誠実そうな対応で安心感があった。

 

果たして、どうやら当たりたったようだ。

先生は穏やかで紳士的なのだが、一方でカラダのことを知り尽くしている自信を漲らせている。

 

この先生の言うことを聞いていれば大丈夫、そう思わせるオーラを感じた。

 

金銭的にはけっこうな出費だけど、これから先まだ長くお世話になるカラダだ。将来への投資だと思って、じっくり腰をすえて改善していこうと思う。

 

 

新聞はもはやメディアではないのか

高広伯彦さんが語るこの記事を読んだ。

【メディア人必読】PVこそ資産だ。高広伯彦に聞くウェブメディアビジネスの本質
https://www.fastgrow.jp/articles/takahiro

 

内容はもちろん非常に勉強になるものだったのだけれど、この記事に出てくる小林弘人さんの「メディアとはコミュニティ」という言葉を読んだとき、ふと「新聞」は、もはやメディアではないのかもしれないと思った。


日経をはじめとする、一部のセグメントされたターゲット向けの新聞は事情が異なるだろうけど、それ以外の大部分の新聞は、共通する読者の価値観やアイデンティティによって選択されているのではなく、単に習慣や、一次情報を消費するためのものとして読まれているだけだろう。
少なくともそれは「コミュニティ」とは呼べない。

 

たとえば新聞がネイティブアドをやろうとしたらどうなるか。
いわゆる「編集タイアップ」や「記事広告」というものは存在するが、ほぼ100%、読む気がおきないつまらないものだ。

それは何より、新聞が提供する「場」や「書き手」そのものには価値がないことを示している。
広告主にとっては、ただ「多くの人の目に触れる」ということだけが価値なのだ。
その「多くの人」という価値さえも、今では(年配者)という但し書きが必要になっている。


新聞が生き残るために、もしかしたら「ネイティブ広告」を成立させるためには、というのがヒントになるかもしれないと思った。

つまりこの新聞だから、この書き手だから読みたい、というコンテンツとしての価値を作っていく必要がある。
その場合、自ずとターゲットが絞られてくることになるだろう。
数は減っても「強い読者」を得ることが必要だ。

 

ただしそうなると、今の体制や販売店システムなどを維持するのは困難である。

 

いずれにしても、今のビジネスモデルのままでは厳しいという結論ではあるけれど…。