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にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

「わかってくれない人」との会話について

人に何かを説明するのってむずかしい。

わかってもらえないと相手がダメな人のように思えるけど、そこで「わかるように説明できない自分がダメ」と考えられるかどうかで、その後の伸びしろも変わってくるように思う。

仕事をしていると、日々そんなことの繰り返しだ。
外部の人へのプレゼン、上司への説明、自分の案を仲間内に披露するとき、たいがい上手く伝わらない。予期しない質問が飛んできたりする。

正直「わかんねー奴だな」とイラっとする。でも、その説明の「目的」はあくまでもその人に「わかってもらうこと」なのである。
であれば、その人がどうすれば理解できるのか、考えるのはこちらの仕事だ。

ときには、その相手のとんちんかんな質問に対して、相手の機嫌を損ねないように受け止めながら「こんな質問が出るってことは、ここが理解できないポイントなんだな」と当たりをつけ、からまった糸をほぐすように、丁寧に説明していくのが肝要だ。
ここでイラついても何もいいことはないのである。

これはとても難易度の高い作業だ。ぼくもしょっちゅう「あー!もう」となってしまう。でも後で思い返すと、やっぱりそれは上手く語れない自分の責任なんですよね。

まずは説明前にできるだけ考えを深め、あらゆる質問に冷静に回答できる状態をつくっておくこと。そして予想外の反応を受けたときも、あくまで落ち着いて、それをいったん受け止める心の余裕をもっておくこと。それを常に心がけていたい。

幸せな生き方って

これまで、それなりに仕事を頑張ってきたつもりはある。
でも一方で、自分に甘く、執念をもってこだわり抜くことができない自身の性格が、物足りなくもある。


今の生活には満足している。それなりに休みもとれ、子どもと時間を過ごせる毎日は楽しい。
でも一方で、いまだ何者にもなれていない自分に焦りを感じる。もっと日々、自分を追い込んで努力した方がいいのかもしれない、と思う時もある。


結局、人生ずっとこんな感じかもしれない。

悩んだり、迷ったり、でもこれでいいんだと納得したり。

大切なのは「自分」にとっての幸せが何かを自分の頭で考え続け、ひとの意見に惑わされないこと。自分の意思で今の生活を送っていると実感できること。
それだけは忘れないようにしたい。

新聞について

今日は備忘メモを兼ねて。

個人的には、テレビが見られなくなっている原因の一つは、新聞が読まれなくなっているから、と思っている。

毎朝、そして手持ちぶさたなとき、新聞のテレビ欄にざっと目を通すことで「こんなのやってるなら見てみようか」となる。新聞がないと、ハードディスクに自動録画されるやつとか、つけたらたまたまやっているやつとか、そういうものしか見なくなる。

テレビについてはまた書くとして、じゃあなぜ新聞が読まれなくなっているのか、を考えてみたい。
それは料金と得られる価値が合ってないから、に尽きるだろう。

だいたい月に4000円。払えない金額ではない。1回飲みに行ったり、家族で回転寿司に行けば5~6000円は使ってしまう。でも新聞が「競合」するのはそこじゃない。有用な情報や便利さを与えてくれる「サービス」が相手となるだろう。

たとえばAmazon primeは年会費3900円。それでamazonの配送料が無料。プライムビデオやmusicが使い放題である。

また、格安SIMを使っているぼくの通信料金は月に1700円くらい。新聞購読料の半分にも満たない。スマホで得られる情報のごく一部に過ぎない、特定の新聞に月4000円というのはいかにも高すぎる、というのが率直な感覚だ。

じゃあ仮に新聞に4000円払うとして、どの程度のサービスが提供されるなら納得感があるだろうか。たとえば映画がいつでも1000円で見られる特典があれば、新聞も購読し、今以上に映画も観に行くようになる気がする。また、同じく時代の流れで苦境に立っている書店と提携して、新刊本が割引価格で買える、というのもありかもしれない。

いたずらに料金を下げることはいいとは思わない。それは衰退を早めるだけ。今の時代にあった「4000円なりの価値」はどういうものか、そこを追求していかない限り、部数は下げ止まらないと思う。

WBCと人生を重ねてみる

こんにちは

WBCが面白いせいでいろいろ手につかないこの頃です。

やっぱり筒香はすごいとか、牧田休ませろやとか、いろいろな感想があるのですが、今のところいちばん感動させられたのは、内川の姿です。


言わずと知れた日本最高峰のヒットメイカーで、ソフトバンクの4番を打つ男。前回のWBCでは誰よりも悔しい思いをし、この大会にかける思いはおそらく相当なものでしょう。


それが今回の代表ではずっと控えでした。代打の切り札といえば聞こえはいいものの、これまでの実績と、過去の豊富な国際経験を考えたら、DHの山田や一塁の中田に出番を奪われるのは内心で「なんで?」という思いがあって不思議ではありません。


それでもベンチでは常に立って大きな声で声援を送り、1試合に1打席あるかないかの出番に向けて最高の準備をする。そして結果を出す。


そして満を持してスタメン出場した昨日の試合でも、見事に打点をあげ勝利に貢献しました。


WBCといえばほんのひと握りのスター軍団の話ですが、そんな内川の姿は、社会人として生きる自分にとってもとても考えさせられる、そして勇気をもらうものです。


会社でも、「なんで自分じゃなくあいつが!?」と思うことがあります。自分が選ばれず他の人が任された仕事の成功を、素直に祝えない気持ちになることがあります。


でもやっぱり、他人の評価こそが「絶対の評価」なんだと思います。
そこでいくらグチグチと悩み、誰かを恨んだところで道は拓けません。


自分にできることは、その評価を受け入れ、でも来たるべきチャンスに向けて努力を続けること。


ときに心が折れそうになったり、誰かを妬む気持ちも生まれるでしょう。そんなときは昨日の内川の姿を思い出すことにします。渾身のタイムリーを放ち、塁上で少し微笑みながら静かにガッツポーズをしためちゃくちゃカッコいい姿を。

子どもの寝顔

こんにちは

子どもが寝ているときの顔を見ると、こちらも思わずにんまりしてしまいます。

無防備で、少し口をあけて、大きめの寝息をたてながら「ぐうぐう」という言葉がぴったりな様子で寝ています。

本人たちからすれば、日々いろんなことがあって、悩んだり怒ったりしているのでしょうが、寝ているときの表情は安心しきっているように見えます。

その顔をみて、親であるぼくも、仕事やらなんやらの疲れで固まっていた何かがほぐれるような気持になります。

いろいろあるけど、毎日幸せだなあ、と思わせてくれます。

考えてみたら、    はるか昔、人間の祖先が野生の暮らしをしていたころは、子どもといえどもこんなにぐっすり眠ってはいられなかったはず。

いつ外敵に襲われるかもしれず、今のように多少つついても、抱えて別の場所に移しても気づかないような状態だと、とても生き残れないですよね。

子どもの寝顔は、自分が生きている平和な世界の証ということかもしれません。

バチェラーに学ぶモテ技

こんにちは

アマゾンのプライムビデオでやっている「バチェラージャパン」にハマっています。

一人のパーフェクトな独身男性(バチェラー)を、28人の美女が一つ屋根で暮らしながら奪い合う、という内容。毎回最後に「ローズセレモニー」が行われ、バチェラーからバラをもらえなかった数人が脱落していきます。

まあ、いつ脱落してもおかしくないような女性が残ったりしていて、そこは番組を盛り上げるためにバチェラーよりもプロデューサーの意向が優先されたな、なんてうがった見方をしたりもしますが、それでも毎回とても刺激的な内容に目が離せません。

何よりバチェラーが魅力的です。
外見がいいのは当然として、女性への気遣いや謙虚な物言いなど、男のぼくが見る限り、確かにほぼ完ぺきです。

そして思ったこと。モテる男はここが違う。それは、女性がしてくれたことに対して、すごく丁寧に「ありがとう」「嬉しい」と言葉に出し、感謝を表現するのが上手なのです。


これはとても参考になります。
ぼくがこれからモテ男になるのはあまり期待がもてませんが・・・それでも、たとえば奥さんのちょっとした気遣いに、きちんと心を込めて感謝を伝えられるようになれば、おかずの一品でも増えるかもしれません。


いろいろ学びのあるバチェラージャパン。ぼくの好みのあのコは、どこまで残るんだろうか。そんなことも気にしつつ楽しんでます。

「優等生をバカにするテレビ」について考える

こんにちは


最近話題になっている記事に、「テレビはいつまで優等生をバカにし続けるのか」というのがありました。

テレビに限らず学校などでも、「ガリ勉」という言葉があるように、勉強に打ちこむ子どもがからかわれたり、嫌味を言われる対象になることが多い。そろそろそんな社会を脱しましょう、という主旨の記事です。

そもそもなぜそんな風潮があるのか、ちょっと考えてみました。

まず前提として、この記事にあるような「優等生」は、勉強「だけ」できる子、というのがありそうです。勉強もでき、スポーツもできる子は含まれません。

また、ある程度大人になってからの社会では(大学生くらいからでしょうか)、いわゆる「優秀な人」が尊敬を集めるようになります。成績優秀、仕事ができる、そんな人です。体力がある、スポーツができる。でも仕事ができない、という人はむしろ残念な部類に入ってきます。

子ども時代は体力がものをいう世界です。いわば動物と同じ。弱肉強食です。しかし大人の世界は「稼ぐ力」が求められます。そこでは体力イコール「稼ぐ力」とはなりません。


テレビ番組で「優等生」をバカにする風潮。それはその番組が、小学生のように「体力」のみに価値を感じる感性で作られており、そんな感性の視聴者を対象にしている、ということかもしれません。


勉強ができることが、人としてすぐれているということではありません。
でも少なくとも、目標をもって努力している人をあざけるような、そんな風潮は早くなくなってほしいとぼくも思います。
まあ、そうやって努力できる人は概して、他人にどう思われてもブレずに頑張れるのだと思いますが。自分もそうありたいものです。