にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

ひいきの食堂

ランチによく行く食堂があって、それはある程度コスパが良いのもあるのだけど、眺めがよくて落ち着くから読書するのに最適なのと、もう一つ、店員さんの感じが良いというのがある。


おばちゃんばかりのお店なのだけど、対応が丁寧ながら溌剌としている。けっこうな人数が働いているが、みんながそんな感じである。おそらく面接をする人の目が確かなのだろう。そしてそんな人ばかりだから、職場としての雰囲気もよく溌剌と働けるという好循環が生まれているのかもしれない。


以前に注文と違う定食が運ばれてきたことがあったのだけど、この店では腹も立たない。「これもおいしそうだから、これでいいですよ」なんて言ってしまった。店に流れる穏やかな空気がそんな気持ちにさせるのだけど、その根底には、自分が払う対価と同等・それ以上のサービス(メリット)を享受している実感があるからだと思う。


お店とお客さんは対等だし、お互いに敬意をもって接すべき相手だということを思い出させてくれる場所だ。

単なるつぶやき

苦手な人(たぶんその人もぼくが苦手)とちょっと心が通じあったかもという瞬間があった。お互いを思いやった発言をし、ちょっとぎこちない笑顔をつくって笑い合った。一度でもそんな経験ができたのは大きい。苦手じゃなくなる日がくることを信じられるようになったから。

twitterとのつき合い方を変えてみた

twitterのフォロー数を少し整理した。情報収集の場として、自分の主張と合う合わないに関わらずできるだけいろんな立場の人をフォローしていたのだけど、最近はあちらこちらで言葉での殴り合いや乱闘が勃発しているのを目撃し、だいぶ疲れてしまった。なので、とりあえず「好戦的」な人のフォローを軒並み外してみた。結果、とても平和だ。


やっぱり自分にとっては、人とのコミュニケーションにおいて大切にしたいのは、内容よりもまず言い方なんだなと実感した。どんなにいいことを言っていても、相手を踏み台にしたり罵ったりしながら意見を主張する人とは、できるだけ距離を置きたい。これまでは、できるだけ貴重な視点や考え方を見逃したくないと、大げさにいえば強迫観念のようなものに駆られてタイムラインを見つめ続けていた時期もあった。


でも、もうそういうのはいいや。


これからは自分が「かくありたい」と思える人だけを追っていきたい。それは、発言内容が参考になるのはもちろんだけど、その前提として他者への敬意や配慮、やさしさが感じられる人だ。ひとことで言えば、「品がある人」ということになるだろうか。


またそのときの気分や置かれた状況によって考えが変わることもあるかもしれないが、とりあえず現在の心境を書き留めておこうと思った。

オトコの自信

今日は少し書き始めたことがあったけど、まったく筆が乗らず、なんどか書き直したあげく結局やめることにした。ぜんぜん書くことが思いつかないのだけど、ひとついいことがあった。「大盛りごはん」を完食できたこと。ランチで入った店で、ライス大盛りを頼んだら、まさにマンガみたいな山盛で出てきて仰天。同僚たちは当然ぼくが食べきれないだろうと思っていたみたいだけど、かくいう自分も無理だと思ったけど、意外にすんなり腹におさまってしまった。最近はいろいろ体調の問題もあって炭水化物を控えめに生活していて、大好きなお米も食べ過ぎないようにして、それにも慣れてきていたから、まさか食べきれると思わなかった。ちょっと嬉しかった。すごくくだらないのはわかっているが、自分にとっては「たくさん食べる」ってなんだか少しオトコの勲章みたいな感覚がある。そして体調を気にして控えめにしていた米を文字通り腹いっぱい食べたことで、なんだかスッキリした。健康は大切だけど、たまにはリミッターを外すのもいい。

関心領域が変わってきた

もうすぐ社会人になって丸19年が経つ。途中ワーホリに行ったり日雇い労働者になったりとフラフラした時期もあるけど、大半は広告業界で過ごしてきた。何か目覚ましい実績をあげたり賞をとったりとは無縁のまま中年を迎えてしまったが、自分としては興味のある仕事に携わり、職場に大きなストレスもなく、いまのところ家族も養えているので、おおむね満足している。


なんだけど、このところ急激に「広告的」なことから関心が薄れつつある自分がいる。これまでマーケティングブランディング、クリエイティブ、そんなことに関わる書籍や記事を求めて読んでいたし、セミナーやワークショップにも参加した。つまり「いかに仕事のレベルをあげるか」ということに関心があった。でも最近はそれがなくなりつつある。もちろん自分のレベルに満足しているとかそういうことではないけど、関心の対象が「ノウハウ」よりも「思想」寄りになってきていると感じる。気がつけば、自分にとっての生きがいとは、死ぬってどういうことか、そんなヒントになりそうな書籍ばかり読んでいる。主張の強い人よりも、他人を攻撃せず、自分とまわりの人を幸福にするために考え活動している人のことばが沁みる。


でもぼくが所属する広告・マーケティング業界においても、これからはそんな視点が求められてくる気がする。物欲はある程度満たされ、核家族化が進んだり未婚者の割合が増え、でも人生は90年・100年とどんどん長くなっていく。だとすると、もっと幸せになりたい、もっと生きがいを感じたい、そんな心の根っこから湧き出てくる気持ちにこたえる商品やメッセージしか届かなくなるのではないだろうか。


自分の中でもまだあまりまとまらないが、このことは考え続けていきたい。

It's a beautiful day.

今日よかったこと。会社に行くとき子どもたちが窓から手をふってくれた。数少ない親友の一人が、ちょっと笑えるLINEをくれた。お昼に食べた定食が値段のわりにおいしかった。得意先での打合せにて、多少存在意義を示すことができた(ような気がする)。図書館で予約していた五木寛之親鸞が届いた。読むのが楽しみだ。新年のあいさつに来た取引先の人が、豪華なお菓子つめあわせをもってきてくれて残業の間食が充実した。ほんとはまだまだあった気がする。笑って過ごせる日はありがたい。

友人のありがたみ

気の合う相手とのメッセージのやり取りは、気持ちをおだやかにしてくれる。ぼくはあまり友達が多くない方だと思う。ぼくの「友達」の定義は、自分から連絡をとって二人でも会いたくなる相手だ。それに当てはまるのは、男女あわせて4~5人程度かもしれない。そんな一人と、他愛もない年始のあいさつのやりとりをした。久しぶりに連絡してみたのだけど、まいにち会話をしているかのような、自然ですんなりなじむ返信をくれる。お互いに「おまえのことは分かってるよ」という、絶対に口には出さないけど、確実に存在する気持ちをまとったことばが交わされるのが心地よい。最近はtwiterのタイムライン上でも激しい非難の応酬が一層目立つようになり、なんだか疲れるなあと感じていたから、お互いを思いやることができる相手とのコミュニケーションがなおさら貴重に感じた。