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にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

理想の文章

こんにちは



最近twitterで見かけた「好きな文章」について、「うまく書こうとしているものは、その意図が透けて見える。そんな感じのない文章が好き」というのがありました。


これよくわかります。

あとは、難しい言葉を使いたがる文章も、読み手に「理解してもらいたい」というより「自分の知識や考えを披露したい」という気持ちが前面に出ている気がして、あまり好きではありません。


・・・なのですが、どちらも見事に自分の文章に当てはまっています。


「うまく書けたかも」と思っても、少し時間をおいて読み返すと、「自分の文章に酔っている」においがして、なんとも恥ずかしくなってしまうときがあります。

また、どう表現したらいいかわからなくなってきたとき、つい難しい言葉を並べてしまいます。


理想は、ほとんどがひらがなで書ける文章です。


できるだけそれを意識して、自分を訓練していきたいと思います。

「ホームランド」に感じるアメリカのいいところ

こんにちは

ウォーキングデッドもゲームオブスローンズも最新話まで見てしまい、今はそれ以外のあれこれに手を伸ばしています。


そんな中、huluにホームランドのシーズン4が追加されていることがわかり、観ています。


CIAとテロ組織との闘いを描いたドラマですが、「本当にこんなことが起きてそう」と思わせる説得力や強さを感じます。


何よりテロ組織だけでなく、CIAやアメリカ政府の闇まで描いているところが、このドラマの本気度とリアルさを際立たせています。


アメリカ軍による無人爆撃機での無差別殺人や誤爆が大きなきっかけとなり、憎しみの連鎖を生みテロ組織を増長させる。そんな構図をはっきりと見せてくれます。


しかもそんなドラマがエミー賞の常連だったりします。
なんだかんだいって、アメリカの懐は広いと関心してしまいます。


日本で、首相や大臣の決断で戦闘地域での無差別殺人が行われ、それがきっかけでテロが起きるなんてストーリーがドラマ化されるとは考えられません。


第二次大戦についてさえ、被害者としての日本は語られても、加害者としての日本軍を描いた作品はあまり思い浮かばないし、あったとしても注目されることはなさそうです。


アメリカもいろんな問題を抱えているのでしょうが、「多様性」や「表現の自由」を守る精神の確かさについては、やはり尊敬すべきところがあると感じます。

音って大事だ

こんにちは

この年末年始、いくつか買い物をしました。

洋服や本も買ったのですが、自分の中で一番満足度が高かったのは、スマホと家のスピーカーをbluetoothでつなぐレシーバーです。


我が家にはぼくが独身時代、もう15年近く前に買ったミニホームシアターセットがあります。


SONY製で5.1ch対応。音は申し分ないのですが、なにぶん再生機器とセットのため、それで再生できるのはCD・DVDに限られ、このご時世にあって活躍の機会が激減していました。


何度か買い換えも検討しましたが、ずっと欲しくて会社員1年目に買った思い出の品であることと、この素晴らしい音質と同等のものを購入となるとかなり金額も張るため、手を出さずにいました。


そこで、今のスピーカーを活かせる方法をいろいろ調べて辿り着いたのがbluetoohのレシーバー。スマホと接続させ、本体は再生機器とプラグでつないでやるだけ。わずか3000円程度の品です。これで愛する我がスピーカー
から音が出せるなら、と迷わず購入しました。


品物が届き、セットアップもあっという間。スマホspotifyを再生すると・・・
聴こえます!

大げさではなく、ちょっと感動しました。

もちろんCDと同等とはいきません。それでもこれまでスマホのスピーカーを通して聞いたのとはもはや別物。1.5倍くらい良い曲に感じます。


しかもbluetoothが届く範囲なら(=家のどこにいても)スマホで選曲、ボリューム調整もでき、めちゃくちゃ便利。Spotify、prime music、radikoyoutubeなど、これまで以上にヘビーに聴きまくっています。


そしてもう一つ、思わぬ副産物がありました。

これまでホームシアターセットは再生専用と思い込んでいたのですが、このレシーバーを検討する際に、外部からの「入力」も可能であることが今さら判明したのです。
(遅すぎる・・・)

つまり、コード一本でテレビの音声を出力できるようになったのです。

これは革命的な出来事でした。

これに気づいたとき、テレビではちょうどMステをやっていて、上白石萌音が「なんでもないや」を歌うところでした。


スピーカーから流れてきた彼女の歌声は、本当に感動的でした。
音は、心を震わせる。
テレビやスマホのスピーカーで感じたことのない、まさにライブ会場にいるかのような感覚でした。


それ以降、最近まったく見なくなっていた音楽番組を見ることにハマっています。中でも「題名のない音楽会は最高です。オーケストラ一つ一つの楽器が奏でる音が重なってメロディーを生み出す、それを実感できます。


今までの人生で見向きもしてこなかった番組。それがスピーカーひとつ(いや、5.1chだから6つ)で、極上の時間を提供してくれるお気に入り番組となりました。


ふだんあまり意識していなかった音の違い、それが映像体験をここまで感動的に変えることに驚きました。


そして、心ならずもこれまで埃をかぶる存在にしてしまっていた自慢のスピーカーの劇的な復活に、嬉しい気持ちが止まりません。


もっと早く気付いてあげられなくてごめんな...

三浦英之記者について

こんにちは


ぼくは自分で新聞をとらなくなって、もうずいぶん経ちます。

会社に届くやつをパラパラめくることはあるけど、それも仕事でチェックしておく必要があるから。

もちろん新聞には、そこでしか読めない記事もたくさんある。でも一か月4000円近くの出費と釣り合うかと考えると、そのお金はほかに使いたい、というのが正直な気持ちです。


また普段からWEBで情報収集をしていると、新聞も絶対ではないところ、保身や偏りを感じてしまうことも多く、「記事の質」への信頼も少しずつ薄れてきています。


そんな新聞との関係ではありますが、ぼくがツイートを欠かさずチェックしている人に、朝日新聞の三浦英之記者がいます。


三浦さんの存在を知ったのがいつかもう忘れてしまいましたが、現在は主に、自衛隊が派遣されている南スーダンに関する情報を発信し続けています。


現地に入り込んで取材をし、政府が認めようとしないその危険性、そこで生活する人々の声など、まさに「他にはない」情報を伝えています。


でもぼくが三浦さんのツイートを読みたくなるのは、その「情報」が知りたいからではないのです。そう書くと語弊があるかもしれない。南スーダンの情勢にも関心がなくはない。でも一番は、三浦さんの綴る文章が好きだから、読みたくなります。

三浦さんが語ることで南スーダンに関心が湧く、という順番です。


Twitterということもあり、平易なことばで、一文一文は短く簡潔。でもその文章からは三浦さんの熱い気持ちがにじみ出ていて、こころが揺さぶられます。


綿密な取材に裏打ちされているからこそ出せる迫力、それを表現する文章力、そして本人の情熱。その三つが高い次元で合わさり生まれる記事は、まさに「他にない」ものです。


三浦さんのツイートを読むたび、「自分のやっている仕事の意義は何か」「誰の役に立っているのか」という焦りにも似た想いが生まれます。


自分の心をゆさぶり、刺激を与えてくれる三浦記者。これからも変わらぬ活躍と、身の安全を(こんなところで密かに)祈っていたいと思います。

もうひとつ今年の決意

こんにちは

書こうかどうしようか迷ったのですが、自分の尻を叩くために書きます。

今年は、オンライン英会話にチャレンジしてみたいと思います。


学生時代は英語の勉強は嫌いではなく、いつかビジネスレベルで使えるくらいになりたいと思いつつ何もしないまま今に至り、現在は会話力・語彙力ともに惨憺たるレベルだと思われます。


そこをまずは今年1年間チャレンジしてみて、自分のスキルとして語れるくらいにはしたい、というのが目標です。


これまで頭の中では考えつつも、同時にどこかで「やらない理由」を探していました。


でもそれではダメ。ここに書くことで逃げ場をなくすことにします。


昨年一年間、サボりながらもブログを続けられたこともあり、今年は英語を頑張ってみます。

経過はまたこちらに書いていきます。

今年は出会いを求めてみる

ぼくは初対面の人と会うことが苦手だ。


何か大きな会合などに出席しても、見知らぬ人と他愛のない会話を頑張って続けるみたいなことがすごく苦痛に感じて、ほとんど、ひとりポツンとしている。


そして、ポツンとしている時間もまためちゃくちゃ苦痛だ。


そんなわけで、そういう場はできるだけ避けて生きてきた。


でも最近、仕事の関係でそういう面倒くさい場に出なきゃいけない機会が増えてきている。


本当にストレスである。

それでも行かないわけにはいかない。


で、そんなことを繰り返すうちに、少し発見があった。


以前に苦痛を感じながら他愛のない会話をした人と次に会ったとき、ずいぶん親しみを感じる相手になっているのだ。

そして仕事で関わることになったとき、いろいろ話が早い。



これまで、人脈を広げるようなことは自分には必要ないと思っていた。実際に特に困った記憶もない。


でも最近、知らない人と顔を合わせて話をし、ほんの少しでも「知っている人」になることは、なんだかいいことに思えてきた。


最初の会話を苦痛に感じるのはいつまでも変わらないかもしれないが、今年は少しだけ積極的に出会いを求めて出ていくようにしてみたいと思っている。



家に子どもの写真を飾る理由

こんにちは

我が家では子どもの写真をいくつか飾っています。
生まれたてのとき、七五三や入園・入学のときの写真など。


妻がやっていることですが、ぼくもこういうのは好きです。
なんとなく子どもにとっても良い影響があるような気がするのです。


自分が実家で暮らしていたとき、両親がやはりぼくと姉の赤ちゃん時代の写真を飾っていました。

それを見て子ども心に、「親に愛されている感」を感じていたのを憶えています。


そんなわけでぼくはひそかに、「家に子どもの写真が飾られている家庭」と「子どもが非行に走りにくい家庭」には正の相関があるのではと勝手に思っているのです。


別に非行してほしくないから写真を飾っているわけではないし、誰でも程度の差こそあれ、反抗的になる時期はあるのでしょう


でも、子どもが常に「親の愛情」を感じられる環境をつくることは、彼らにとってもココロの安定につながるんじゃないかな~とは思っています。


まあもちろん、親が写真を見て癒されるのが一番大きな理由なんですけどね。