にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

「褒めあう」ことっていいかも

R25の連載で「インフルエンサーの横顔」というのをやっている。はあちゅうさんや田端信太郎さんなどR25世代に影響力のある人について、周囲の人たちにその人となりを語ってもらうという企画だ。

 

最初のはあちゅうさんの回を読んだときは、「身内で褒めあってるだけ」に思えて、外部の人間が読んでもあまり面白くないなあというのが正直な感想だった。

でも回を重ねるごとに、特に箕輪さんや田端さんのような「サラリーマン」に、上司や部下などがコメントしているのを見て、だんだんとこの企画は新しくかつ素晴らしい「人事評価」のモデルになるんじゃないかと思うようになった。

 

会社内で他人の評価をするとき、うちの会社ではいくつかの項目について5段階評価をし、その評価の理由や、改善してほしい点をフリーアンサーで書く、というスタイルだ。

 

本人フィードバックのときは必然的に、ある程度の「ダメ出し」を受けることになる。

 

それはそれで身になることもあるとは思うけど、けっこうショックを受けたり、「わかってもらってない」と感じたりすることもある。

 

この評価の仕方を、たとえば周囲の人に「○○さんについて良いと思う点」だけを思いつく限り書いてもらうという風にしたらどうだろう。

 

意外なところを見てもらっていたり、頑張っているポイントを褒められたら、すごく前向きなモチベーションになるんじゃないだろうか。

一方で、褒めてもらいながらも自分が評価してほしい点についてのコメントがなかったとか、褒めるコメントの絶対数が少ない場合は、批判されるよりも自然に「もっと頑張ろう」と思えるような気がする。

 

そしてもう一ついい点は、評価する側も対象の人の「いいところ」を一生懸命考える作業をすることだ。何に対してもそうだけど、良い点をみつけるというのは、相手のことをよく知り、思いやりをもって見つめる必要がある。悪い点を指摘する方がずっと簡単なのだ。

 

「とにかく褒める」という人事評価スタイル、どうだろうか。

ポケマルの素晴らしさ

ポケマルという生産者と生活者が直接売買するアプリのことを初めて知った。他のアプリを目当てにApp storeを開いたらトップで紹介されていて、面白そうだなと即ダウンロードした。

 

というのも、産直品を首都圏に売る仕事に少し関わっていて、なかなか売れない中でいつも頭を悩ませているからだ。

 

インターフェイスもシンプルでわかりやすいし、生産者の方々の写真や手書きPOPも「おいしそう」感を高めている。何より商品を探して買うのがとてもカンタンだ。

 

ぼくが関わっている産直品販売は、高いお金をかけてよい写真をとり、カタログをつくったりWEBページをつくったり。そのほかにも生産者と売価の交渉、配送の手配、注文受付やクレーム対応などなど。多くの人が目がまわるほど忙しく、めちゃくちゃ大変な割にはなかなか売れない。何かが違っているのだ。

 

ポケマルを見て感じたこと。もう今は商品や生産者を「囲い込む」時代ではない。魅力的な“場”をつくって出品者と消費者に集まってきてもらう、という方向に向かう必要がある気がする。

ぼくが登山を好きな理由

自分の好きなものに関して「なぜ好きなのか」を考えてみることがある。

 

今日は登山について考えてみたい。

登山といっても、9歳と6歳の子連れだから、せいぜい1~2時間で登頂できる程度の山だ。

でもずいぶんハマっている。昨年は4~5回、今年も5月の雪解けから2回行った。

 

まずは自然の中を歩く気持ちよさ。それから岩や木の根っこを乗り越えて進むアスレチック的な楽しさもある。そして重力と闘いながら一歩一歩上を目指して進みゴールにたどり着くことは、何かの「勝利」にも似たスポーツ的なカタルシスだ。これらが一度に楽しめることが登山の魅力だろう。

 

さらに欠かせないのは、家族がみんな楽しんでいるということ。登るたびに子どもたちがたくましく成長しているのが目に見えて感じられるのも嬉しい。

 

彼らがいつまで付き合ってくれるかわからないけど、今のうちにいっぱい連れまわして一緒に楽しんでいきたい。

ネクタイ嫌い

ぼくはネクタイが嫌いだ。

もともと暑がりで汗っかきなのに加えて、体を締め付けられることが嫌で、ワイシャツを着ても袖のボタンは外しているし、指輪や時計もしてないくらいだ。

 

だからネクタイは仕事ではまず締めることはない。最後にしたのは子どもの入学式、その前は上司のお母さんが亡くなった葬儀のときだ。

 

ぼくは幸いそれほどうるさく言われる職場じゃないから、そんな風にしていられるけれど、選択の余地なくネクタイを締めざるをえない人も多くいるだろう。できるだけ世の中からそんな習慣が早く消え去ってほしいと心から願っている。

 

別にネクタイそのものを否定するつもりはない。オシャレとしてはアリだと思う。好きな人はしたらいいと思う。

 

だけどクールビズ期間になったとたんに一斉にみんな外しだす風景を眺めていると、やはり大多数の人はふだん「我慢して」付けているんだなあと思う。

 

「ネクタイはマナーだ」という人は少なからずいる。でもその人たちは、ちょっと意地悪く言うと、自分が我慢してネクタイを締めているのに、相手が我慢していないことに対して不快に感じる、ということなんじゃないだろうか。

自分が好きで、望んで選んだファッションなら、相手がどうだろうと気にならないはずだ。「マナー違反」と感じるというのは、自分もそのために「努力している」ということの裏返しだと思う。

いったいそんな「我慢比べ」に何の意味があるのだろうか。

 

クールビズはかなり浸透してきているし、いくつかの先進的な企業では「ジーパン勤務」などカジュアルな服装が始まっていると聞く。とてもいい流れだと思う。はやくそんな「決め事」としてではなく、誰もが自分の好きな快適なファッションで働けるようになってほしい。それだけでも仕事へのモチベーションが高まり、世の中の空気はだいぶ明るくなる気がする。

両親への思い

久しぶりに母と電話をした。

持病の関節痛がひどいらしく、口調も元気がなかった。

「父さんは元気?」と聞いたら「まあ、いろいろとね」と口を濁した。「そっか」と、それ以上は聞けなかった。

 

子どもたちが一人前の旅行代金がかかるようになってからは、数年に一度しか会いにいっていない。前回も2年前だ。そのときも体調もすぐれないからという理由で、泊まることはなく、ぼくらが買ってきた夕食をみんなで食べて2~3時間の滞在でホテルに戻った。

 

当然両親ことは心配だ。でもできることがほとんどない、というのも事実だ。

病院を紹介したとしても連れて行ってあげたり、治療費を負担できたりするわけでもない。

ましてや慣れ親しんだ故郷を離れて、ぼくらが住んでいる以外に縁もゆかりもない土地に引っ越してくるとはとても思えないし、ぼくらが親の近くに移住するのも現実的ではない。

 

だから、いつの頃からか詳しく状況を聞いたり、心配してみせるのはやめた。

 

その代わりにぼく自身のことや孫である子どもたちのこと、どこに遊びに行ったとか、こんなことをした、という連絡をできるだけ頻繁にしようと思っている。

 

自分が親だったら、自身のことよりも、子どもが健康に幸せに暮らしてくれることが一番だという気がするからだ。

 

親を心配するよりも、親に心配かけないこと。何歳になっても、まずはこれが子どもとしての一番の務めだろう。という言い訳を心の中でいつも繰り返している。

結婚

職場の同僚(30代後半男性)が結婚をすることになったと上司が発表した。

 

発表というのも大げさだけど、彼の場合は何年も彼女と結婚したくて、でもなかなか相手がその気にならないというのが周知の事実だったから、みんな「おぉ〜ついに」という祝福ムードになった。

 

その後の彼は、知り合いの本社や関連会社の人たちに次々と「結婚することになりまして」と電話をかけていた。

 

自分の結婚のときはそんな気にはならなかったから、よっぽど嬉しいんだろうとやや苦笑気味ながらその様子を横目で見ていた。

 

そもそも家族やよほど親しい友人以外は、ぼくの結婚になんてそこまで興味ないだろうから、わざわざ知らせるほどではない、というのもある。

 

あとは、それほど手放しで大喜び、という心境でもなかったというのも正直な気持ちだ。

独身が終わってしまう、という寂しさも強かった。

夫婦になったらどんな関係に変化していくのか、という不安もあった。

 

今となっては、子どもの年齢なんかを考えてもあのタイミングで結婚してよかったし、今のところは毎日楽しく暮らしているので何の後悔もない。

 

同僚の彼も山あり谷ありだろうけど、仲良く幸せに暮らしてほしい。

悪口

気が合う人、好きな人がだれかに褒められていると自分もうれしい。逆に悪口を言われていると、自分が言われているのと同じくらい、もしかするとそれ以上に腹立たしいし、言っている相手のことを嫌いになりそうになる。

 

本人のために直接指摘するというのでなければ、人の悪口というのはできるだけやめておいた方がいい。

 

良いことだったらいくらでも言いふらしてあげるのがいい。

そうすれば聞いている人もいい気分になれるし、言った方も気持ちがよい。

 

といつも思っているけど、今日はあまりにもひどいなあということがあってついイライラしてしまった。誰かに悪口言ってしまいそうだ…

まだまだ修行が足りんなオレ。。