にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

初体験

恥ずかしながら、初めてメルカリに出品をした。そのときのことを備忘録的に。

 

タイトルやコメントを考えるのは楽しかったけれど、価格を決める段階になって悩んだ。

その時に湧いた感情というのは、自分でも予想外だったのだけど「この価格で売れるか」ではなかった。「この商品にこんな価格をつけて非常識と思われないだろうか」というものだった。

 

最終的な値引きを視野に、最初は強気の設定でいこうと決めていた。でもいざ出品ボタンを押すときはちょっと怖くなった。

 

そして商品がアップされると、分単位でどんどん見られている。すぐにお気に入りがついた。そして30分後、コメントの通知。

ドキッとした。自分のアクションに対する見知らぬ人からのコメントにはいまだに慣れない。何か不愉快なことを書かれていたらどうしよう。寝付きが悪くなるのも嫌なので、結局読まないまま眠りについた。

 

翌日意を決してコメントを開くと、いきなり大幅な値引きを要求されていた。しかも英語で。とりあえず「今のところ値引きは考えていません」と返す。

 

また別の人からコメント。今度はすんなり読めた。商品の状態を確認する内容で、とても礼儀正しい文章。ホッとした。こちらからも丁寧に返答する。

 

そんなやりとりと並行して、だんだんタイトルに「美品」と書いたことが不安になる。自分では中古にしてはキレイだと思うけれど、その感覚は人それぞれ。売ったあとにクレームをつけられたらどうしよう。

 

仕事中も次々にくる通知。気になって仕方がない。

 

約24時間たった現在、お気に入りは6件、コメントは5件、閲覧は1003件となっている。

だんだと「出品中」の感覚にも慣れてきた。

 

自分のものをいくらで売ろうが自分の勝手だと思えてきた。「美品」は撤回しないが、もう少し商品のアップ写真を載せて、判断しやすいようにしよう。そろそろ1回目の値下げをしてもいいかもしれない。だんだんやる気が高まってきた。

 

そのうち嫌な思いをすることもあるだろうけど、それも含めて新しい経験として楽しんでいこう。

カメラを止めるな!

ようやく観ることができた。周囲のあまりの評判の高さを聞いて、めちゃくちゃ期待していた。ものすごく自分のハードルを高くして観た。結果、想像を遥かに超えていた。

後半はもう涙が止まらなかった。笑い過ぎで。そして最後は感動で。いろんなすごさが詰まったまさに奇跡のような作品だと思う。


ストーリー展開自体は「こういうのあるよね」という感じなのだけど、とにかく「やり切った」感がすごい。突き抜けている。スクリーンからあふれ出てくる作り手のこだわりと熱、そして緻密さに圧倒された。


やっぱり笑いも感動も「真剣」の中にこそ宿るんだよね。

知り合いとの遭遇が苦手

道を歩いていて、前の方から知り合いがやってくるのを見つけたとき、出会わないようについ道を変えてしまうことがある。

仲良しの相手ならそんなことはない。逆に、ほんとにちょっとした知り合いの場合なら、すれ違いざまに「どうも」と会釈するだけだから避けて通るほどではない。問題は、お互いを認識すると、一応立ち止まって何かしらの会話をしなければいけない雰囲気になるくらいの間柄の人である。立ち止まったはいいが、それほど話したいことがあるわけではない。二言三言、社交辞令的な会話をしたあとで、どちらともなくその場を離れるタイミングを見計らうことになる。そして愛想笑いを浮かべながら「じゃ、また」てな具合である。いったいなにが「また」なんだろうか?なんて不毛なことを考えながらしばらく歩くことになる。


前の方から知り合いがやってくるのを見つけたとき、そんな展開が脳裏をよぎる。そしてぼくは道を変える。

吉田投手投げさせ過ぎ批判への「違和感」

金足農の話題で盛り上がる中、吉田投手が「投げ過ぎ」であることへの批判もあちらこちらから出てきている。熱投・健闘を称えるにしても、単なる「美談」で終わらせてはダメだという意見だ。


基本的にはぼくも同意見だ。真夏に地方大会から一人で連投に次ぐ連投、というのはやはり選手寿命に影響があるように思える。「一人で投げ抜いた」というのはすごいことだが、そこを称えてしまうのは、球児の将来にとっては良くないことだというのはもっともだ。


だから日程の再検討やルール整備が必要、という意見はよくわかる。その通りだと思う。

だけど一方で、吉田投手を酷使したチームの選手起用にまで批判が向くのはちょっと違和感がある。

主旨としては、高校生は勝ちたいものだし、監督から「いけるか?」と言われて断る選手はいないから、もっと監督をはじめとする周囲の大人が子どもたちの将来を考えてマネジメントすべきだ、という批判だ。


一般論としては間違っていないと思う。でも今回の吉田投手の起用を「悪」と決めつけるべきではない。少なくとも外部の人間が口出しすべき問題ではないように思える。


実際問題、吉田投手を温存しながら起用し球数が抑えられていたとしたら、将来を考えると、消耗品である彼の肩や肘にとってはプラスであることは間違いない。でもそれで負けていたら。仮に彼がその後プロ野球で大活躍したとしても、もしかしたら「あのとき無理してでも投げておけばよかった」と一生後悔していたかもしれない。「今」と「将来」とどちらが大切か、それは選手一人ひとりの考え方次第。個人の価値観の問題である。まわりのオトナが決めつけることではないように思う。


甲子園という夢に向かって、現状のルール内で最高のパフォーマンスをすべく鍛錬を重ねてきた選手にとっては、そこで一つでも多く勝ち、「完全燃焼」することが現時点での一番の願いだと思う。そしてそのことを最も理解しているのは監督だろう。もちろん、監督が勝利にこだわりすぎて、選手の意思に反して投げさせているということなら、責められて当然だ。でもそれは個別のチームごとに判断されるべきであって、一般論を当てはめて「投げさせ過ぎは悪」と決めつけるのは、少々乱暴なんじゃないか。


繰り返すが、過密日程や球数制限などの「ルール」を見直すべき、という批判には大賛成だ。さらに魅力的な大会になるように、オトナたちがそっちの方に知恵を絞ってくれることを期待している。

情報の伝え方

自分の伝えたいことがあるとき、どうすれば印象深く伝わるかを考える。強調の仕方やグラフの見せ方を工夫することもある。ぼくも企画書を作るときはよくやる。

そして強調するための「工夫」の一つに「言わない」というものがある。「言わない」ことは嘘ではない。でも見る人は「無い」ととらえる。あえて誤解を促すというわけだ。これはあまり褒められる手口ではないと思う。


なぜこんなことを書こうと思ったかというと、今日見かけた画像の内容が気になったからだ。


日本中の注目を集めた夏の高校野球決勝。私立の強豪で春夏連覇を目指す大阪桐蔭に対するは、秋田の公立高校金足農業。あまりにもわかりやすい図式だ。そんな2校の戦力が違いすぎることを示して話題になって広がったのが、その画像である。


両校の選手の経歴が書かれている。

金足農業は一人が「○○シニア出身」、あとは数名が「中学軟式」と書かれただけで大半は空白である。

一方で大阪桐蔭は多くが「日本代表」や「中学日本一」などだ。そして全員が何らかのコメントで埋まっている。


差があるのは間違いない。でも、これはやはり情報の伝え方としてフェアじゃないと思う。

金足は多くが空白になっているが、これは無名選手だから「不明」ということだと思うけれど、それをあえて空白にしていると推測される。つまり書かないことで「未経験者」と誤解させようとしているのではないだろうか。(別のサイトでは、ほとんどが中学軟式の経験者と書かれていた。これも事実かはわからないが、普通に考えて、選手の大半が高校まで未経験者ということはないだろう)


また、大阪桐蔭には「高校No.1捕手」「北海道No.1野手」「○○シニア4番」なんていう選手もいる。もちろんこれだってすごいけれど、やはりフェアじゃない。「日本代表」を書くのはわかる。それは客観的事実だから。でも「No.1」はそうじゃない。大阪桐蔭の方は、書くべき事実が見つからない選手については、空白にせず、こうした「主観的」な情報で埋めているのだ。さらに大阪桐蔭の選手は「○○シニア4番」で、金足農業は「○○シニア出身」だ。ここも意図的に書き分けていると思える。


決して「嘘」は書いていないし、決勝戦の事前情報としては、戦力差があればあるほど面白いのもわかる。ぼく自身、長々と細かい指摘をしてつまらないことを書いている自覚もある。


でも大阪桐蔭も金足農業も、ここまできたのは選手一人ひとりの努力の結果だ。どちらも素晴らしい戦いで勝ち上がってきた。決勝に進むにふさわしい両チームを称え、純粋に頂上決戦を楽しみたいのだ。しかしこの画像を見ればきっと多くの人が「金足を応援しよう」となるだろう。選手たちには何の罪もない戦力差を取り上げ、「事実以上」に強調し一方への肩入れを促すのは、どちらのチームに対してもリスペクトが欠けているように感じた。


結果は一方的になったけれど、素晴らしい試合だった。大会を通して久しぶりに高校野球の面白さを思い出させてくれた両チームに感謝の気持ちしかない。

西武ライオンズ観戦記 2018/08/19

二夜続けての逆転勝ち。この三連戦はどちらに転んでもおかしくない互角の戦いだった。どちらもミスあり、勝負どころでの効果的な一打あり。ただ今回はその一打が、ファイターズはタイムリーや犠飛だったのに対して、ライオンズは「一発」であったことが、最終的に点差にも直結した印象だ。


ボクシングに例えれば、試合巧者のファイターズがうまくフェイントでかわしながら確実にジャブを当てて得点を重ねるなかで、ライオンズは強引にガードもろともふっとばすKOパンチを食らわせた、そんな感じ。


ここ数年でライオンズにすっかり定着した感のある豪快で大味なイメージ。でも、今年はそれだけではない。

相手に流れがいきかけたところで、何度もゲッツーを奪いチャンスの芽を摘んだ二遊間の守備力。これなくして三連戦の勝ち越しはありえなかった。

そして緊急補強されていまや守護神に君臨するヒース。彼がいなかったら今頃は優勝争いどころか、Aクラスが精いっぱいだったろう。このフロントによるシーズン中の的確なサポートも、これまでのライオンズを見てきた感覚からすると快挙と言っていい。


連夜の快勝でチームも上げ潮に見えるが、昨日はひとつ気にかかる点があった。それが2-4とリードされた場面で平井を登板させたことだ。ここのところの安定感は抜群。接戦で使いたくなるのは当然だ。でもやはり彼は調子がいいからこそ「勝ち試合」に限って使うべきではないだろうか。黄金時代の森監督はシーズンを通して「負け試合」を計算していたという。負けてもいい試合では無理をさせない。そういう意味では、昨日は「負けてもいい試合」だった。現に辻監督は昨日も一昨日も試合後のインタビューで「三連戦ひとつ勝てたらよし」という主旨の発言をしている。

これから終盤、絶対に負けられない戦いが出てくる。そこできっちりと実力を発揮してもらうには、それなりのマネジメントが必要だと思う。


今年はライオンズが強いおかげで毎日が楽しい。監督や選手にはめちゃくちゃ感謝している。誰もケガなく最後までこの勢いで突っ走って、最高の形でゴールテープを切ってほしいと願っている。

夢と仕事と

朝食のときにどういう話の流れか、大学では法律を勉強する学部に入ったけれど、そのうち法律よりも広告に興味がわいて広告の仕事を目指した、みたいなことをしゃべった。

すると次男が「じゃあお父さんはそのまま好きな仕事をしてるんだね」と言う。うんうんと思っていたら、いきなり「お父さんは学生のときは野球が好きじゃなかったの?」ときた。「いや、子どものころから大好きだよ」すると彼は「じゃあなんで野球選手を目指さなかったの?」


ウッと言葉に詰まってしまった。

どう答えるのが最善なのか、脳内フル回転。でもロクな説明ができなかった。


もちろん小学生の頃は夢をみていたけれど、結局小中と少年団や野球部のない田舎で育ち、高校はスポーツクラスがあるような強豪校。何の経験もない自分が入部するような選択肢はなかった。「夢」はいつの間にか夢でさえもなくなっていた、というのが実際のところだ。


でも子どもの目から見て、明らかにぼくが一番好きなのは野球で、じゃあなんで野球を仕事にしていないのか、そんな素直な発想だったのだと思う。


そうだよな。今でも確かにライオンズの試合を観て、草野球のために練習したり試合したり、野球ゲームしたり。そんな時間がめちゃくちゃ楽しい。そればかりじゃない。選手の成績を調べたり、たまにはブログに書いたり。野球に関わることには熱中してしまう。そりゃ子どもからしたら「この人そんなに好きなら仕事にすりゃいいのに」と思うだろう。


さすがにもうプロ野球選手を目指すのは厳しいかもしれない。でも細々とでも、何か野球にまつわることを仕事にできるように、トライしてみてもいいのかもしれないと思った。それが何なのかはまだわからないけど、今は「熱中できること」が仕事になりやすい良い時代だ。ぼくが仕事に熱中していたら、子どもたちだって将来が楽しみになるだろう。できるだけ楽しそうな背中を見せていきたい。