にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

かわいい子には...

子どもの教育方針について考えるときがある。

ぼくの学生時代は貧乏だった。仕送りをもらわず、 奨学金を学費にまわし、バイト代で生活していた。

周りの学生をうらやましく思いながら節約生活を送っていた。

でもその結果いつの間にか、自分ひとり生きていくくらいは、 いつでも何とでもなる、という自信が手に入っていた。

最初に入った会社を辞め、収入のあてもなくワーホリに行き、 その後無職で東京に移り住んだりといった人生を歩んできたが、そしてそれがとても楽しくかけがえのない経験になっていくのだが 、そんな行き当たりばったりも、当時の「なんとでもなる」 自信があったからだと思える。

そして幸いお金にそれほど困らなくなった今でも「お金なんて、 無ければ無いなりの生活をすればいい」 という意識が根底にはある。

そう考えると、若いころの貧乏生活は、 自分にこの社会で生きていける自信や、 貧乏を恐れない心の自由を与えてくれた。それが、これまでの人生を幸せに生きてきたと感じられる大きな要因になっているのは間違いない。

なので子どもたちにも、 多少の自立した貧乏生活をさせるのも良いかもしれないと考える自分が確かに存在している。

 

一方で、である。

ほぼ日の「家の中の谷川俊太郎」 というコンテンツを読んでいると、谷川俊太郎が息子に「 すねはかじれるだけかじればいい」と言い、 お金に苦労はさせなかったという話が出てきた。 それを受けて糸井重里も「自分も大学中退したのに、 仕送りをもらっていた。そのおかげで映画にも行けた」 みたいなすねかじりトークをしている。

たしかに、自分の学生時代の友人にも、 大いにすねをかじりながら生きてきて、 大らかでさっぱりした良い性格をもち、 今では立派に仕事をして楽しそうに暮らしているやつも多い。

当時は彼らと比べて、 自分がせこくケチくさい性格であることに劣等感を覚えたこともある。

そうなってくると、子どもたちにも、 自分のすねはできるだけかじらせてあげるのも良い気がしてくるのである。

 

こんなことに正解も不正解もないが、自分が一番後悔しなさそうな選択をしていくしかない。

となると、できるだけのことをしてあげる、というのが今の優勢な気持ちである。