にほんご練習帳

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吉田投手投げさせ過ぎ批判への「違和感」

金足農の話題で盛り上がる中、吉田投手が「投げ過ぎ」であることへの批判もあちらこちらから出てきている。熱投・健闘を称えるにしても、単なる「美談」で終わらせてはダメだという意見だ。


基本的にはぼくも同意見だ。真夏に地方大会から一人で連投に次ぐ連投、というのはやはり選手寿命に影響があるように思える。「一人で投げ抜いた」というのはすごいことだが、そこを称えてしまうのは、球児の将来にとっては良くないことだというのはもっともだ。


だから日程の再検討やルール整備が必要、という意見はよくわかる。その通りだと思う。

だけど一方で、吉田投手を酷使したチームの選手起用にまで批判が向くのはちょっと違和感がある。

主旨としては、高校生は勝ちたいものだし、監督から「いけるか?」と言われて断る選手はいないから、もっと監督をはじめとする周囲の大人が子どもたちの将来を考えてマネジメントすべきだ、という批判だ。


一般論としては間違っていないと思う。でも今回の吉田投手の起用を「悪」と決めつけるべきではない。少なくとも外部の人間が口出しすべき問題ではないように思える。


実際問題、吉田投手を温存しながら起用し球数が抑えられていたとしたら、将来を考えると、消耗品である彼の肩や肘にとってはプラスであることは間違いない。でもそれで負けていたら。仮に彼がその後プロ野球で大活躍したとしても、もしかしたら「あのとき無理してでも投げておけばよかった」と一生後悔していたかもしれない。「今」と「将来」とどちらが大切か、それは選手一人ひとりの考え方次第。個人の価値観の問題である。まわりのオトナが決めつけることではないように思う。


甲子園という夢に向かって、現状のルール内で最高のパフォーマンスをすべく鍛錬を重ねてきた選手にとっては、そこで一つでも多く勝ち、「完全燃焼」することが現時点での一番の願いだと思う。そしてそのことを最も理解しているのは監督だろう。もちろん、監督が勝利にこだわりすぎて、選手の意思に反して投げさせているということなら、責められて当然だ。でもそれは個別のチームごとに判断されるべきであって、一般論を当てはめて「投げさせ過ぎは悪」と決めつけるのは、少々乱暴なんじゃないか。


繰り返すが、過密日程や球数制限などの「ルール」を見直すべき、という批判には大賛成だ。さらに魅力的な大会になるように、オトナたちがそっちの方に知恵を絞ってくれることを期待している。