にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

今年は出会いを求めてみる

ぼくは初対面の人と会うことが苦手だ。


何か大きな会合などに出席しても、見知らぬ人と他愛のない会話を頑張って続けるみたいなことがすごく苦痛に感じて、ほとんど、ひとりポツンとしている。


そして、ポツンとしている時間もまためちゃくちゃ苦痛だ。


そんなわけで、そういう場はできるだけ避けて生きてきた。


でも最近、仕事の関係でそういう面倒くさい場に出なきゃいけない機会が増えてきている。


本当にストレスである。

それでも行かないわけにはいかない。


で、そんなことを繰り返すうちに、少し発見があった。


以前に苦痛を感じながら他愛のない会話をした人と次に会ったとき、ずいぶん親しみを感じる相手になっているのだ。

そして仕事で関わることになったとき、いろいろ話が早い。



これまで、人脈を広げるようなことは自分には必要ないと思っていた。実際に特に困った記憶もない。


でも最近、知らない人と顔を合わせて話をし、ほんの少しでも「知っている人」になることは、なんだかいいことに思えてきた。


最初の会話を苦痛に感じるのはいつまでも変わらないかもしれないが、今年は少しだけ積極的に出会いを求めて出ていくようにしてみたいと思っている。



家に子どもの写真を飾る理由

こんにちは

我が家では子どもの写真をいくつか飾っています。
生まれたてのとき、七五三や入園・入学のときの写真など。


妻がやっていることですが、ぼくもこういうのは好きです。
なんとなく子どもにとっても良い影響があるような気がするのです。


自分が実家で暮らしていたとき、両親がやはりぼくと姉の赤ちゃん時代の写真を飾っていました。

それを見て子ども心に、「親に愛されている感」を感じていたのを憶えています。


そんなわけでぼくはひそかに、「家に子どもの写真が飾られている家庭」と「子どもが非行に走りにくい家庭」には正の相関があるのではと勝手に思っているのです。


別に非行してほしくないから写真を飾っているわけではないし、誰でも程度の差こそあれ、反抗的になる時期はあるのでしょう


でも、子どもが常に「親の愛情」を感じられる環境をつくることは、彼らにとってもココロの安定につながるんじゃないかな~とは思っています。


まあもちろん、親が写真を見て癒されるのが一番大きな理由なんですけどね。

2017ブログ初め

こんにちは


31日からさっきまで妻の実家で呑んだくれていたので、予定していたブログ納めも、元旦の書き初めもサボってしまうという、なんともしまらない年末年始となってしまいました...


とりあえず2016年の振り返りを。


元旦に書き始めて、一年間で全152日、159記事。

年間アクセス数は1437。


昨年の元日、「毎日書く」という目標のもと始めたこのブログ。でも正直言って、やるぞという気持ちと、きっと途中で挫折するんだろうなという諦めのような気持ちが半々でした。


終わってみれば、毎日はとても無理でしたが、なんとか一年間継続して続けることができました。


要因は大きく二つあります。


ひとつは、わずかでもアクセスしてくれる人がいたこと。初日にアクセス「1」が記録されたときは、「誰かに見られている」という事実になんともいえない恐怖を感じ、やっぱりやめてしまおうかと思ったほどです。


それが日が経つにつれ、だんだんと「今日はアクセスがあったのだろうか」と気になりだし、今ではちょっとした励みにさえなっています。これは一年前からすると、予想していなかった変化です。これからもアクセス数を稼ぐことが目的ではありませんが、一人でも二人でも読んでくれている人がいるかも、という可能性をモチベーションに、書き続けたいです。


そして二つ目。なんとなく、自分のぼんやりした気持ちや感覚を文章に表現する力が、わずかながら向上している実感があることです。


ブログを書いていて、また仕事で企画書を書いていて、これまでよりも「あ、なんか言いたいことがうまく書けたな」と思えることが増えてきました。


文章での表現力を高めることが、ブログを始めた一番の理由だったので、この実感は嬉しいものでした。そしてまだまだ上手くなりたい。そのためにもっともっと書いていきたいです。



最後に、一年ブログネタを探し続けてみた経験からの気づき。


何かの批判ネタを書くのは簡単。一方で、ポジティブなことはなかなか思いつかないものです。でもなるべく楽な方には流れず、自分の周りの素敵なことを見つける眼を鍛えていきたいと思います。


今年の目標は控えめに、昨年よりも多く記事を書くこと。


がんばろ〜



あの人のことが嫌いな理由

ぼくはあの人のことがあまり好きではない。

もっと前は、はっきり嫌いだった。
だいぶ付き合いが長くなってきて、多少の慣れや、意外な一面を見たりすることで「嫌い」というほどではなくなったけれど、それでもやっぱり苦手だ。


なぜこの人のことが好きではないのか、考えてみた。


すぐに感情にまかせて怒鳴る、女性にセクハラ発言をする、やたら決まり事をつくりたがる。いろいろ思いつく。でも一番は「相手の立場によって態度を変える」ことだと思った。


自分より目下の相手にはとにかく横柄で尊大。けれど上の人にはやたらとペコペコしている。そんな姿を見せられるたびにうんざりしてしまう。


ぼく自身にそういう面がないとは言わない。というかきっとあると思う。でも少なくとも、そういう風にならないよう、できるだけ意識して生きているつもりだ。


そこまで考えてふと思った。

自分が気を付けたり心がけたりしていることについて、それに「無頓着」な人に対してぼくはイラっとするようだ。


ほかにも、すぐに会社のグチを言うとか、体調が悪いことを表に出してアピールするとか。自分がそうならないように意識していることをやっている人には、つい冷たい反応をしてしまう。


今までそんな自分が正しいように思えていたけど、実はぼく自身が「我慢していること」を「我慢しない」人に対して腹を立てているだけかもしれない。例えるなら、コンビニのレジに並んでいるときに、列に気付かず割り込んで会計を済ませる人に感じる憎しみのようなものかもしれない。そう考えると、なんだかすごく心の狭い己を自覚してしまった…


まあいいじゃないか、とゆったり構えていられる、もっと大きな人間になりたいものです。

アーティストの定義とは?

こんにちは

今日は、ちょっと備忘録的に。


アドタイで連載されているコルク佐渡島さんのインタビューで、CMクリエイターと作家の違いについて語られていました。


曰く、CMクリエイターは「どう表現するか=How」に精通している。対して作家、特に新人作家は「これを書きたい=What」は強くもっているが、Howを知らない、と。


ぼくはクリエイターでもなんでもないのですが、広告に携わる仕事をしていて、よく「広告はクリエイターの作品ではない」という内外の人の意見を目にします。


それはその通りで、広告の仕事には常にクライアントの「課題」があり、それを解決するための手段を提案・提供するのが制作者・クリエイターの仕事です。


そんななかで、よく「(広告)クリエイター」と「アーティスト(=作家)」の違いを考えることがあったのですが、今日の佐渡島さんの話を読んで、アーティストとは「Whatがある人」のことだと、自分自身とても腑に落ちました。


アウトプットがどんな形でも、そこに制作者自身の内側に宿る”What”があれば、それはその人の「作品」と呼べるのではないか、と思いました。

幸せってなんだっけ

こんにちは

この1週間、ちょっとケガをして動けない状態でした。
ひたすらベッドで横になって過ごす日々。

最初のうちは、じっとしていても痛みで辛く、ただそれに耐えるだけ。
その間は「いつまでこれに耐えればいいのだろうか」「ほんとに完治するのだろうか」と、思考までネガティブに支配されていました。


それが2日くらい経つと、動かなければ痛くない状態に変わってきました。

そうなると、じっと動かないことも回復に向けた行動に思え、寝たきりの状態に変わりはないのに、その時間さえも充実した意味のあるものに思えてくるから不思議です。


これが健康な体に戻ったとき、もし何もすることがなく家でただゴロゴロしている時間を過ごしたら、今度は「無駄に1日を過ごした~」と残念な気持ちになることでしょう。


人生の充実度とか、幸せとかっていうものは、起きたことや行動そのものよりも、その意味や目的意識があるかどうかに左右されるものなんですね。



ヒマにまかせてそんなことをあれこれ考えていた一週間でした…

長男とスイミングスクール

こんにちは

うちの長男は幼稚園の年中時代から水泳に通っています。

小さいころから運動が得意ではなく、何をやっても常に一番最後という感じ。
これから小学校・中学校と進む上で、何かひとつ得意なものがあれば、自分の支えにもなるかと思いました。

彼は運動センスはなくても、根気強いし体力がある。
またぼく自身が水泳が苦手で、小学校時代の体育などでとても苦労したこともあって、水泳を習わせようとなりました。


それから約3年。頑張り続けてついに25mを完泳できるようになり、先日、中級コースに進みました。

同じときにスタートした子たちと比べると歩みはとてもゆっくりなのですが、少しずつでも確実に進歩していて、親としてとても嬉しく思います。

昨日、新しいクラスでの初めての日、見学した妻によるととてもハードな練習だったそう。

25m泳げるようになったばかりなのに、そこでは何度も何度も次々に往復させられるとか。
クラスの人数が少ないこともあり、先生にもみっちり指導されていたようです。


本人は、以前のクラスでその先生を知っていたらしく、最初は優しい先生だと喜んでいたのに、ところがどっこい。
泳げるクラスではめちゃくちゃ厳しい指導スタイルで、終わった後はヘトヘトだったそうです。


大変だと思うけど、そういうの、とてもいいなと思いました。

2年生の彼にとって、そんなふうに追い込まれて体力の限界まで頑張るなんて、学校や家庭ではまずないこと。
背伸びをして必死についていくことで、成長のスピードも上がるはずです。

泳ぎがうまくなるのはもちろんのこと、しんどいな~と思いながらもベストを尽くす経験自体が、今後の彼の人生においてはとてもプラスになるでしょう。


今朝、「昨日のプール大変だった?」と聞いたら、苦笑いして「うん」とだけ答えた長男。

粘り強く努力ができる彼の事を、とてもたくましく思えた日でした。