AIR DOの「ちょっとしたダサさ」が好き、という記事を読んだ。
なんでもキレイでオシャレなのがいいわけではなく、むしろ没個性につながってしまう、というのはとてもよく分かる。
ただ、地方に住んでいて何かを発信する側に立つと、「ダサいもの」はつくりたくない。
これはもう本能にも近い抵抗感である。
なぜか。
それは地元の人にとって「恥ずかしくないもの」「誇れるもの」というのを自然と意識してしまうから。
周りの人が「ダサいよね」と思ってしまうものに関わるのは、作り手としてモチベーションが上がらないのである。
でも、ただ洗練されるだけならつまらない、というのはその通りで、その地方ならではの「シズル」「らしさ」を感じられるか。そこがきわめて重要なのだと思う。
その点はデザイナーやクリエイターのセンスというほかはないけれど。