にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

「リアル」ということについて考えてみる

連続ドラマで、最初のシーズンは面白く観ていてもだんだんと興味がなくなるものがある。また好きだった作家の小説でも、近年の小説はどれも今ひとつと感じてしまうことがある。

そのほか映画やマンガも含め、登場人物がいてストーリーが展開されるものに関して、ぼくが面白いと思えるかどうかの基準ってなんだろうと考えたとき、「自分にとって『リアル』かどうか」ということがある気がした。

逆に言うと、リアルさが感じられなくなった瞬間に、その作品に対して醒めてしまうことがあると思った。

 

じゃあ「リアル」というのはどういうことか。それが自分の中でもやもやしていたのだけど、最近わかってきた。つまり「感情」だ。そして感情に紐づく「ことば」や「行動」だ。

 

たとえば、ウォーキング・デッドというドラマがある。特定の作品を挙げるのも申し訳ないけれど、当初大好きだったこのドラマが、シーズンを経るごとに徐々に「リアルさ」が感じられなくなりつまらなくなってきた。

 

このことで考えると、まず当然ながら「設定」がリアルかどうかは問題ではないことがはっきりする。周りの人間が次々とゾンビ化していくドラマでも、最初はめちゃくちゃ面白かったのだ。

それが「なんかつまらない」と思った瞬間をはっきり覚えている。敵となるグループのリーダーと向かい合っている場面。大切な仲間も奴に殺された過去があり、復讐に燃える主人公たちにとっては千載一遇のチャンスのはず。それが、敵を目の前にしていくらでも撃つチャンスがあるにも関わらず、リーダーのセリフを悠長に延々と聞き、それが終わってから対決となり、結局逃がしてしまう。

 

なんだかなあ、と一気に興ざめした。

あの憎しみは何だったのか、と。

 

初期のこの作品は、ゾンビに翻弄される人間たちの秀逸なドラマだった。

周囲の人がゾンビ化すること自体は荒唐無稽だけれど、その悲しみや、人間不信に陥っていく精神状態はとても共感できた。それが、ぼくが「面白い」と感じていた部分だったのだ。

 

つまり、もしこんな状況に置かれたら、自分もこんな気持ちになるはず。そしたらこんな行動をとるだろう、こんな言葉を発してしまうだろう、そう思わせる「リアルさ」こそが、ぼくが「面白い」と感じる要素のようだ。

 

「感情がリアル」。考えれば考えるほど、それがすべてと言ってもいいくらい自分にとっては重要な気がする。いろんな好きな作品に当てはめて、もっと掘り下げてみよう。