絵本作家の のぶみさんが歌詞を書いた歌に反感が集まり炎上し、謝罪に追い込まれたという記事を読んだ。
お母さんの気持ちを歌った歌で、全部読んでみると、確かに反発を覚える人がいても不思議ではないけれど、個人的には(ぼくはお父さんだが)言いたいことは理解できると思った。
でもここで言いたいのは、歌詞の是非ではない。
炎上の行方についてちょっと感じるところがあった。
今回の「炎上」は、マスメディア、あるいはその中の記者が狙って火をつけたものであると思われる。
そもそも歌の歌詞なんて、アーティストが主観で書くものだ。共感する人もいれば反感を覚える人もいて当たり前。だから今回は、反感を覚える人のコメントをことさらに書き立て「炎上案件」として世に晒したどこかのメディアが、騒ぎを大きくしたのだろう。
そしてのぶみさんは、すぐに謝罪ではなく、まずは自論を述べる形でコメントしている。
でもメディアは火をつけた以上、「謝るまで許さない」スタンスだ。そののぶみさんのコメントも徹底的に叩かれた。行き着いた先が「謝罪」である。
この成り行きを見ていて感じたのは、誰かが意図して火をつけた案件に対して「反論」は文字通り火に油を注ぐことになるんだなあということ。
「無視」が一番なのかもしれない。
たとえば喝!でお馴染みの張本勲は、しょっちゅうその過激な発言が新聞やネットで騒ぎになるが、彼が謝罪したなんて聞いたことがない。
批判もどこ吹く風、と知らん顔していれば、もともとが過剰に騒ぎ立てるほどのことでもないから、自然と沈静化しているように見える。
のぶみさんにしても、実際は関係者などに迷惑をかけたくないとか、いろんな大人の事情があり、不本意ながら謝罪したのだとは思うけれど、放っておく、という選択肢もあったんじゃないかなと思わずにはいられない、気の毒な結末だったと感じた。