ぼくはあの人のことがあまり好きではない。
もっと前は、はっきり嫌いだった。
だいぶ付き合いが長くなってきて、多少の慣れや、意外な一面を見たりすることで「嫌い」というほどではなくなったけれど、それでもやっぱり苦手だ。
なぜこの人のことが好きではないのか、考えてみた。
すぐに感情にまかせて怒鳴る、女性にセクハラ発言をする、やたら決まり事をつくりたがる。いろいろ思いつく。でも一番は「相手の立場によって態度を変える」ことだと思った。
自分より目下の相手にはとにかく横柄で尊大。けれど上の人にはやたらとペコペコしている。そんな姿を見せられるたびにうんざりしてしまう。
ぼく自身にそういう面がないとは言わない。というかきっとあると思う。でも少なくとも、そういう風にならないよう、できるだけ意識して生きているつもりだ。
そこまで考えてふと思った。
自分が気を付けたり心がけたりしていることについて、それに「無頓着」な人に対してぼくはイラっとするようだ。
ほかにも、すぐに会社のグチを言うとか、体調が悪いことを表に出してアピールするとか。自分がそうならないように意識していることをやっている人には、つい冷たい反応をしてしまう。
今までそんな自分が正しいように思えていたけど、実はぼく自身が「我慢していること」を「我慢しない」人に対して腹を立てているだけかもしれない。例えるなら、コンビニのレジに並んでいるときに、列に気付かず割り込んで会計を済ませる人に感じる憎しみのようなものかもしれない。そう考えると、なんだかすごく心の狭い己を自覚してしまった…
まあいいじゃないか、とゆったり構えていられる、もっと大きな人間になりたいものです。
アーティストの定義とは?
こんにちは
今日は、ちょっと備忘録的に。
アドタイで連載されているコルク佐渡島さんのインタビューで、CMクリエイターと作家の違いについて語られていました。
曰く、CMクリエイターは「どう表現するか=How」に精通している。対して作家、特に新人作家は「これを書きたい=What」は強くもっているが、Howを知らない、と。
ぼくはクリエイターでもなんでもないのですが、広告に携わる仕事をしていて、よく「広告はクリエイターの作品ではない」という内外の人の意見を目にします。
それはその通りで、広告の仕事には常にクライアントの「課題」があり、それを解決するための手段を提案・提供するのが制作者・クリエイターの仕事です。
そんななかで、よく「(広告)クリエイター」と「アーティスト(=作家)」の違いを考えることがあったのですが、今日の佐渡島さんの話を読んで、アーティストとは「Whatがある人」のことだと、自分自身とても腑に落ちました。
アウトプットがどんな形でも、そこに制作者自身の内側に宿る”What”があれば、それはその人の「作品」と呼べるのではないか、と思いました。
幸せってなんだっけ
こんにちは
この1週間、ちょっとケガをして動けない状態でした。
ひたすらベッドで横になって過ごす日々。
最初のうちは、じっとしていても痛みで辛く、ただそれに耐えるだけ。
その間は「いつまでこれに耐えればいいのだろうか」「ほんとに完治するのだろうか」と、思考までネガティブに支配されていました。
それが2日くらい経つと、動かなければ痛くない状態に変わってきました。
そうなると、じっと動かないことも回復に向けた行動に思え、寝たきりの状態に変わりはないのに、その時間さえも充実した意味のあるものに思えてくるから不思議です。
これが健康な体に戻ったとき、もし何もすることがなく家でただゴロゴロしている時間を過ごしたら、今度は「無駄に1日を過ごした~」と残念な気持ちになることでしょう。
人生の充実度とか、幸せとかっていうものは、起きたことや行動そのものよりも、その意味や目的意識があるかどうかに左右されるものなんですね。
ヒマにまかせてそんなことをあれこれ考えていた一週間でした…
長男とスイミングスクール
こんにちは
うちの長男は幼稚園の年中時代から水泳に通っています。
小さいころから運動が得意ではなく、何をやっても常に一番最後という感じ。
これから小学校・中学校と進む上で、何かひとつ得意なものがあれば、自分の支えにもなるかと思いました。
彼は運動センスはなくても、根気強いし体力がある。
またぼく自身が水泳が苦手で、小学校時代の体育などでとても苦労したこともあって、水泳を習わせようとなりました。
それから約3年。頑張り続けてついに25mを完泳できるようになり、先日、中級コースに進みました。
同じときにスタートした子たちと比べると歩みはとてもゆっくりなのですが、少しずつでも確実に進歩していて、親としてとても嬉しく思います。
昨日、新しいクラスでの初めての日、見学した妻によるととてもハードな練習だったそう。
25m泳げるようになったばかりなのに、そこでは何度も何度も次々に往復させられるとか。
クラスの人数が少ないこともあり、先生にもみっちり指導されていたようです。
本人は、以前のクラスでその先生を知っていたらしく、最初は優しい先生だと喜んでいたのに、ところがどっこい。
泳げるクラスではめちゃくちゃ厳しい指導スタイルで、終わった後はヘトヘトだったそうです。
大変だと思うけど、そういうの、とてもいいなと思いました。
2年生の彼にとって、そんなふうに追い込まれて体力の限界まで頑張るなんて、学校や家庭ではまずないこと。
背伸びをして必死についていくことで、成長のスピードも上がるはずです。
泳ぎがうまくなるのはもちろんのこと、しんどいな~と思いながらもベストを尽くす経験自体が、今後の彼の人生においてはとてもプラスになるでしょう。
今朝、「昨日のプール大変だった?」と聞いたら、苦笑いして「うん」とだけ答えた長男。
粘り強く努力ができる彼の事を、とてもたくましく思えた日でした。
病院のありがたみ
昨日、というか今日の深夜。長男を夜間救急センターに連れていった。
3時を過ぎたあたり、隣で寝ていた息子がぼくの肩をトントン、と叩いてきた。
どうした?と聞くと「おなかが痛い」。
ふだん長男は甘えん坊の次男と違い、とても我慢強い。
その彼がわざわざぼくを起こして訴えてくるくらいだから、よっぽど痛いのだろうと思った。
しばらくお腹をさすってやっていたが、ぼくの手をギュッとつかんでいかにも苦しそうにしているので、奥さんを起こし、病院に連れて行こうとなった。
WEBで市内で唯一の夜間救急を調べ、電話をかける。
若い男性の声が応答し、簡単に症状を聞かれたあと、「お待ちしてます。気を付けてお越しください」と言ってくれた。
その落ち着いたトーンの声を聞き、少し動転していたぼくの心も鎮まった。
次男も起こし、みんなで車に乗り込んで病院へ向かう。
30分以上かかったが無事に到着。そのころには長男もやや痛みがひいてきたようだった。
病院では細かく分業されていて、受付、検温、診察、浣腸までいろんな医師・看護師の人が対応してくれた。
その人たちはプロの手際で素早く、けれど決して雑な印象を与えるわけでもなく、とても安心感があった。
結果は胃腸炎とのことで痛み止めの薬をもらって帰ってきたが、帰りの車内の空気は、張りつめた糸をゆるめることができた嬉しさでつつまれていた。
医者や看護師は、落ち着いたたたずまいで接してくれるだけで、乱れたこちらの心が整っていく。患者の立場からすると、診察それ自体と同じくらいの価値ある効果だ。
今回お世話になった方々に感謝しつつ、あらためてそんなことを思った。
「この世界の片隅に」を観た。のんはやっぱりすごかった
こんにちは
いま大評判のこの映画。
邦画大豊作の今年にあってナンバーワンとの呼び声も高く、とりあえず観ておかなくては、と映画館に足を運びました。
観終わっての感想。まず最初に頭に浮かんだのは「妻や子どもたちを大切に生きていこう」でした。
戦時中を描いた映画で、激しい爆撃や悲しいシーンも出てきます。
ですが、心に残るのはとてもあたたかい気持ち。
家族や大切な人と日々を暮らせることがとても幸せであること。
今の自分を肯定し前向きな気持ちにさせてくれる、すばらしい映画でした。
そして、のん。これは日本アニメ史に残る名演なんじゃないかと思います。
(と言ってもアニメに詳しいわけではないですが・・)
監督も製作初期の段階から、のん以外に考えられないと思っていたとのことですが、まさに のんが「映画に生命を吹き込んだ」と言えます。これほどまでに声優の演技によってキャラクターを輝かせることができるのかと、感動しました。
これほどの逸材が、事務所とのトラブルで活躍の場を狭められているのはとても残念。どちらが良い悪いはよくわかりませんが、彼女は他の誰も代わりになれない唯一無二の存在だと思います。
早く表舞台に戻って、これからもたくさんの名作を生みだしてほしいと願います。
読書感想文「総理」(山口敬之著)
意外なシーンで幕を開けます。
場所はカンボジア。ポルポト派の砲弾が飛び交う戦場。死と隣り合わせの危険を冒しながら、スクープ映像をものにした若かりし頃の筆者の体験が、臨場感ある書きっぷりで描かれます。「リスクを冒してでも、取材対象に肉薄する」彼の信念がここで示されます。
本屋で気になりちらっと立ち読みしたところ、冒頭からグイグイ引き込まれ、こりゃあ期待できそうだと、kindleで購入しました。
とても面白かった。
筆者の山口さんは記者出身とのことですが、「読ませる」文章を書きます。そのときの情景や話し手の表情が、ドキュメンタリー映像を見ているように目に浮かんできます。
そしてまさに「肉薄」と呼べる安倍総理との距離感。ここまで一記者が政治家と、それも総理大臣と近しい関係になれるものなのか、と率直に驚きました。個人携帯でやりとりし、ときには安倍さんから麻生さんへのメッセージを預かる、または麻生さんに呼び出され「安倍さんに伝えてくれ」と指示を受ける。その信頼関係は強固です。だからこそ明かされる、安倍さんや麻生さんの素顔に近い姿。これはやはり一般のメディアでは読むことのできない、筆者ならではの「価値ある情報」です。
ぼくは安倍さんも自民党も支持してはいませんが、知らなかった世界を覗ける読み物としてすごく興味深く、山口さんの文章力もあいまって一気に読み切りました。
もっとも、そこまで取材対象と近い筆者による公の出版物であるので、自然と「安倍政権寄り」の内容となります。
まえがきやあとがきでは幾度も「客観的に」という言葉が出てきますが、本文からは客観性が保たれているとはいいがたい印象を受けます。
全体を通して、故意か無意識か、安倍政権のとった行動は正しく理論的で、それを否定する勢力のやることは愚かである、というスタンスで書かれています。
たとえば、政権の中枢にいる岸田さんや稲田さんの発言は「鋭く批判した」「時ならぬ強い口調で」など、スマートで毅然とした印象を与えているのに対して、打倒安倍を目指して総裁選出馬を表明した野田さんや、反原発を掲げた亀井さんの発言は「ぶち上げた」「口角泡を飛ばして興奮がちに」と描写するなど、政権側に肩入れする姿勢は明らかです。
また、安倍さんを「国民に受けない政策にも果敢に取り組む宰相」と持ち上げておきながら、本編でその裏側が詳細に綴られているのは、消費増税延期を決断した際の財務省との闘いなど「国民受け」の良さそうな事案が中心。原発再稼働や安保法制については、それに取り組む姿勢を筆者が賞賛するのみで、その意義や安倍さんの考えについては触れられていません。
このように、客観・公平性とはほど遠く偏った内容ではあるのですが、それでもこの本がもつ価値が損なわれるわけではありません
そこまで安倍さんに近い存在だからこそ書くことのできる、ほかにはない「真実」がたくさんあると思えるからです。
これだけの取材力・洞察力・文章力が揃った書き手はそうそういないと思われ、今後も山口さんの仕事には期待大です。