にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

誰にも言えない密かな楽しみ

最近スマホを眺めていても疲れる。ついCOVID19関連の情報を求めてtwitterやスマートニュースを開いてしまうのだけど、目につくのは誰かが誰かを非難する記事やコメント。中には傾聴すべきものもあるのはわかっているが、気が滅入ることには変わりない。


しかもやっかいなのは、状況が刻一刻と変化していくから、情報を追うことにもキリがないのだ。気づけばひたすら画面をスクロールしている。そしてどこかのタイミングでウンザリする。もうやーめたと思う。


とはいえ、他に楽しい情報があふれているわけでもない。大好きなプロ野球の試合が行われていないのだから、大好きなプロ野球の記事も存在しないのである。これは辛い。スポナビを見てもnumber webを覗いても苦心の様子がうかがえる。みんながいろんな形で影響を受け、それぞれの苦労をしている。


そんな中で、ひそかにハマっているのが、恥ずかしながら自分のブログの過去記事を読み漁ることだ。一時期、なんでもいいから毎日書くことを己に課していた時期があり、気づけば500近い数になっている。内容はほんとに他愛のないどうでもいいことばかりなのだけど、自分で読むとけっこう面白い。この頃はこんなこと考えてたのか、とか、「わかる~」とか(当たり前だ)思ってしまう。特に子どもについて書いたものは、彼らの成長を証明する記録でもある。過去の愛らしい時期を懐かしく思い、あらためて今のたくましい様子を嬉しく思う。


これまで「書く」ことが目的で、振り返ることはほとんどなかったのだけど、積み重ねてきたからこそ発見できた楽しみだ。これからも細々と更新していこう。

クラスター対策班に最大級の敬意を

この異常な状況下で、日々、何かしら思うことはありつつ、twitterを中心にあふれる誰かを非難する発言に辟易していることも事実。


noteに書くのは、不特定多数(少数)の目に触れる前提があるから、何かしらの「主張」をしなければならない感がある。それはこのご時世では少し気が引ける。でもただ自分だけが見る日記に書くのは少し味気ない。ということで、一応オープンでありつつ実質的には「ひとり言」であるこちらに書くことにした。


糸井さんの「今日のダーリン」には、珍しくちょっと強い言葉でこんなことが書かれていた。


告げ口や、告発や、批判や、お説教がどんどん増える。

人というのは、他の人がバカに見えるものなのだろう。


激しくうなずいてしまう。


ぼくは今回、日本の「クラスター対策班」はじめ、方針決定に関わる専門家の方々を全面的に信頼している。

彼らが発信する情報は極めて客観的で、説得力があると思えるからだ。

中国の次に早く感染拡大に見舞われながら、現時点の死者数でいえば、欧米をはじめとする諸外国よりもかなり少なく抑えられている。これは何より、COVID-19に向き合う「戦略」が、これまでのところ適切だったという何よりの証拠だと思っている。


それにも関わらず、多くの人がいまだにクラスター対策班の方針に反する「PCR検査の拡充」を訴え続けている。


PCR検査の拡充には、もちろん感染者数を多く把握できるというメリットがあるが、大きな問題点もある。どれだけ拡充しようと、PCR検査にはキャパシティがあること(⇒感染者が増えるほど、その「捕捉率」が低くなる)。検査の「陽性確度」が70%程度であり、「陰性確度」も100%ではないこと(⇒感染者が陰性と思って安易な行動をしたり、逆に誤って感染者として隔離されてしまう人が多数出現する)。などが代表的なものだ。


本来のゴールは「感染者数をできるだけ多く把握すること」ではない。「感染をできるだけ抑え、医療機関をパンクさせずに患者を救うこと」であるはずだ。


その意味において、現在の状況がクラスター対策班の判断の正しさを物語っていると思える。

それなのに、アメリカがPCR検査を拡充するというニュースが報道されるや「アメリカだってやっているのに、なぜ日本はやらないのか」という意見が多く湧きおこる。なぜ日本よりも深刻な感染拡大・医療崩壊に陥っているアメリカを「お手本」にしようと思うのか。まったくよくわからない。


おっといけない。ぼくもつい「告げ口や、告発や、批判や、お説教」モードになってしまっている。このへんにしておこう。


とにかく素人のぼくとしては、今後も専門家の彼らが発信する情報を注視し、できる限りその方針に従って行動したいと思う。

素人が語るセパ両リーグの違い

今年の交流戦パリーグの勝ち越しが決まった。2005年にスタートして以来、過去15年間で14度の勝ち越しだという。ちなみに2005年以来の日本シリーズの成績を見ても、パリーグ球団が14年間で11度制している。


その理由についてはいろんな人がいろんなことを述べている。中でもぼくが一番説得力があると思うのはDH制の影響だけれど、今日はそれについて書きたいわけではない。素人目線で、でもあまり語られていないあることについて書きたい。


6/12の西武×巨人戦を観戦したときのこと。

久しぶりの西武ドーム観戦に気持ちがはやり、仕事も早々に切り上げ16時過ぎから座席に陣取ってグラウンドを凝視していた。ジャイアンツの打撃練習が終わり、西武ナインがグラウンドに散っていく。ノックだ。いつもの見慣れた光景である。実はぼくはこの試合前のノックを見るのが好きだ。捕球から送球への目にもとまらぬ動き、力強く正確なスローイング。次々にボールが気持ちよく交わされていく光景は「これぞプロ」と思わせてくれる最たるものだ。この日もそんな満足に浸らせてくれた西武の野手陣が引き上げると、続いて巨人ナインが登場。まずは外野から。順番はどこも変わらない。


「あれ?」と思ったのはそのときだ。クッションボールを処理する動き、内野への返球、なんだかゆったりしている。もっとはっきり書けば、緩慢なのだ。西武のノックでは、ほとんどの選手が試合と同じ程度のスピードで打球を追いかけ、力を入れて送球している。ふだんパリーグを観戦していると、西武だけでなく相手チームも同じだからそれが当たり前だと思っていた。でも巨人は違った。ゆっくり追いかけ、山なりのボールを返す。練習ではなく、ただこなしているだけのように見える。西武の外野手たちが、ノックもアピールの場とばかりに競うように矢のようなバックホームを投げていたのとはあまりに対照的だ。


もちろんプロの選手だから、試合前のわずかなノックで技術がどうこうなるということではないだろう。単なるウォーミングアップだと目的を割り切っているのかもしれない。だけど試合前の最後の動きとなる練習に取り組む、巨人の選手たちの動きは「パリーグとの違い」をとても印象的に感じさせるものだった。


これが実力差の原因のすべてなんて言うつもりはない。巨人だけを見てセリーグを語るわけにもいかない。実際に今年広島から巨人に加入した丸は、一人だけ全力でノックに取り組んでいるように見えた。


でも仮にあの試合前の光景がセリーグの「当たり前」だとしたら。ノックを真剣にやるチームと、そうでないチームは、他の練習でもどこか意識が違っている気がする。その積み重ねが大きな差となって表れてきている。そんな仮説が芽生えたのだった。

失敗を怖れる気持ち

「今日のダーリン」に「失敗をおそれない」ということについて書いていた。

ぼくの仕事も、どちらかといえば失敗の多い職種だし、チャレンジを求められる部分もあるので、長年やっているうちに仕事の失敗を怖れる気持ちは薄くなってきている。

失敗を怖れないことで、リラックスできるし、失敗から学べることも多くあるというのも経験上の実感としてある。


でもいまだに「失敗したくない」と強く思ってしまうことだってある。草野球だ。

打つ方はいい。打てなくて悔しいことはあるけど、やはり失敗の方が多い世界だし、「また次の打席」と切り替えることができる。


問題は守備だ。エラーはつきものというが、やはり落ち込んでしまう。よく失敗を責めない監督が持ち上げられたりするけれど、個人的にいちばん気にしてしまうのはピッチャーの気持ちである。ピッチャーは自分の体を削って一生懸命投げている。そこで「よし打ち取った」と思った打球をエラーしてしまうことに、すごく申し訳なさを感じてしまうのだ。だからどうしても守っているときには「エラーしたくない」と身体が固まってしまう。「エラーしても仕方ない」とは思えない。無理やりそう思い込もうとしても、それはリラックスした方がいい動きができるからであり、つまりは「エラーしたくない」という気持ちの裏返しであることに、自分の身体は気が付いている。かくして、その試合の最初の打球が飛んでくるまではドキドキして待つことになる。きっと全然気にしない人もいるのだろうけど、自分のこの性格はずっと変わらないんだろうなー

メガネと親ゴコロ

子どもは分身と言ったりする。子どもの痛みは我が事のように感じるとも言う。でも、そんなもんじゃない。自分のことよりも胸が痛むときだってある。

長男の視力が下がってきた。姿勢が悪いとか、ゲームだとか、毎日の生活の影響もないとはいえないだろうけど、同じように過ごしていてもずっと視力が落ちない子だっているから理不尽だ。

一緒に暮らしていても気が付かなかったけれど、学校の検査、その後の眼科の診察でも、もう待ったなしのメガネだという。

驚いたしショックだった。
試しに少し離れた文字を読ませてみても、ほんとに全然見えていない。
こんなになるまで気づいてあげられなかった自分にショックだし、こんなに見えないまま生活をしていた彼が可哀想で仕方がない。

そして今後のメガネ生活。
見えるようになるとはいえ、さぞかし不便の連続だろう。大好きな海やプール遊び、温泉などでは外さなければならない。そうすると見えにくいし心から楽しめないかもしれない。何より、普通のケガなんかと違って、今後は悪化こそすれ回復することはないだろう。そんなことを考えだすと不憫で胸が痛くなる。

この辛さ、自分の視力が落ちることの方がよっぽどマシである。

自分は幸いメガネとは無縁の生活をしてきたけれど、当然まわりにはいくらでもいる。コンタクトの人も合わせると、そっちの方が多いくらいだろう。普通すぎて、その苦労、ましてやその親の気持ちなど想像したこともなかった。


子どもをもつというのは、苦労・心労の連続だ。
その代わりに、人の痛みや苦しみへの理解力・想像力も2倍、3倍に成長させてくれるのだろう...

人生100年時代と言うけれど

うちの会社では、50歳を超えた人を対象にライフプランセミナーというのが開かれるらしい。60歳まで勤めたときに、退職金がどのくらいで、月々の年金額やその後必要になる費用などを勘案したうえで、今のうちから計画的に資産形成をしよう、という指導のようだ。

セミナーを受けた人のほとんどは、人生100年時代とも言われる老後に不安を覚え、しばらくは月に千円でも節約して貯金しようという気持ちになるらしい。それはそうだろうと思う。


でも、である。一方で「死」への覚悟も必要だ。ぼくの父は60代で死んだ。言うまでもなくもっと若くして亡くなった人も周りにはたくさんいる。いつなんどきそれが訪れるのか誰にもわからないが、自分で思っているより早い可能性は大いにある。心のどこかにその覚悟を忍ばせながら、万一のときには残された家族が最低限の生活を保てるようにも考えておかなくてはいけない。


100年生きるための準備と、早く死んでしまったときのための準備。ある程度の大人になると、一見矛盾するような2つの不安を抱え生きていくことになる。もう少し歳をとると、さらに親の介護や子どもの進路なども加わり、悩みは増えていくばかりだろう。


何のために生きているのかなんて思えてくるけど、大切なのは、不確かな未来について考えすぎない、ということかもしれない。このわずか10年間に起きたことでさえ、10年前のぼくは想像もできなかった。2人の子どもが生まれ、家をもち、キャンプや登山の楽しみと出会い、父や義母と別れた。人生設計なんて言葉は、誰かがビジネスのために生み出したまやかしなんじゃないかという気がしてくるくらいだ。波に乗るように、風に吹かれるように、目の前の日々の中でささやかな楽しみを見つけて生きていこう。

日本人とは

ぼくは日本という国が好きだ。食べ物や環境面で暮らしやすいというのが大きな理由だけど、もちろん生まれ育った国という愛着もあるし、オリンピックなんかでは自然と日本代表選手を応援している。


では「愛国者」かと問われれば考えてしまう。日本が「好き」という気持ちは、いま住んでいる町内が「好き」というのと変わらない。以前に1年程度住んでいたオーストラリアも好きだし、オーストラリアの選手を自然に応援することだってある。

つまり「愛」と呼べるほどの気持ちかということに自信がない。あの子かわいいし性格もいいから一緒にいて楽しいけど、「愛してる?」と聞かれたらちょっと重いな、みたいな。ぶっちゃけそこまで身も心も捧げますというほどの覚悟をもって付き合ってるわけではありません…みたいな。


まあそれはともかく、「愛国者」ということを考えたときの「日本」とは何を指すのか、考えてみるとよくわからない。「日本人であることを誇りに思う」という人がいるけれど、そのときの「日本人」とは何なのか。


四方を海に囲まれた“領土”としての日本なのか、それとも“国家”として、日本国籍が拠るところの日本なのか。たとえば今後日本がどこかの国を占領したとして、そこで生まれた子どもたちも当然「日本人」となる。そんな極端な話でなくても、ぼくの祖父母は沖縄の人だが、沖縄が今でいう「日本」の一部となったのは割と最近の話だ。ぼくも祖父母も日本人だけど、そのさらに祖父母となると琉球王国の人だ。彼らは日本人なのか?

愛する対象、誇りに思う対象としての「日本」や「日本人」を考え出すと、その輪郭は意外に曖昧で流動的である。もちろんそれは日本に限った話ではないのだけど。


何が言いたいかといえば、「愛国者」を名乗る人や「日本人としての誇り」云々を語る人には、個人的にあまり共感できない。曖昧なものを無理やり定義づけして囲ってしまう「閉じた」思考だと思うから。北海道の人が東京の人に対して同じアイデンティティと親しみを感じるのと同じように、韓国や中国をはじめ、世界中の人と自然に交わって暮らせる社会になってほしいと思う。国境や国籍という「制度」がなくなることはないだろうけど、インターネットによって世界中の誰とでも交流できる時代はすでに来ている。翻訳の技術だってすごい進歩だ。今後も否応なく世界は「開いて」いくのだろう。素敵な時代が待っていると信じたい。