会社の人とランチで、喫煙席がいっぱいだったから禁煙席に入った。
ぼくは死ぬほどタバコのにおいが嫌いだけど、さすがに連れが吸う人のときは一応「席はどちらでもいいよ」と言っている。
だからこの日はラッキーだった。
その席で他愛もない雑談の流れから「最近は潔癖すぎて人間の免疫力が落ちてるんじゃないか」という話になった。
すると間もなく還暦の喫煙者である同僚が「自分らが子どもの頃はタバコの煙に囲まれて育ったし、添加物だのアレルギーだの気にしてなかった世代だけど、平均寿命は伸びている」というようなことを言った。
でもいまの潔癖な環境で育った子どもたちは、抵抗力がなさすぎて寿命は縮まるのではないか、と。
ぼくはタバコのにおいが死ぬほど嫌いだから、そのくだりでタバコにつながることにちょっと驚いた。
彼は副流煙などの健康の問題で禁煙が求められていると思っているらしかった。
それはちょっとちがう。大きな問題は健康面ではなく、まず圧倒的に煙やにおいが不快だからなのだ。
仮にタバコがカラダによいものだったとしても、ぼくは喫煙の環境には一瞬たりともいたくないというのが本音だ。
でも喫煙者の彼にとっては、おそらくその感覚は理解できていないのだろう。
そのときに、自分にもそういうことはあるかもしれないと思った。
自分にとっては当たり前すぎて想像もできないことで、他の人が辛い思いをしたり嫌な気分になったり、ということが。
どんなことでも、当たり前のことほど一度立ち止まって「それが誰にとっても当たり前なのか」ということに想像力を働かせられるようにしたいと思ったランチの時間だった。