にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

腰と網棚

何をかくそう(というほどのことではない)ぼくは腰痛持ちだ。ある程度年をとると、誰もが何かしらカラダの不調をなぜか自慢げに語るようになるものだけど、ぼくは腰痛を語ることにかけてはそこそこ自信がある。

ということで腰痛にまつわる最近のちょっとした悩みを書いておく。

 

どうも座っているのがしんどいので、状況が許す限り、寝転んでいるか立っているのが基本的な姿勢だ。なので電車ではまず立つようにしている。

通勤・仕事中の移動ではリュックをしょっているのだけど、やはりこれも腰には負担なのでできるだけ網棚に乗せる。

 

ところが、ここでひとつ厄介な問題があって、ぼくが住む街の地下鉄には網棚がないのである。

費用をケチったのか、どうせ混まないから立って乗る人のことを想定しなかったのか、まったくもって理由は不明なのだが、とにかく網棚がない。

ぼくもいろんな場所でいろんな電車や地下鉄に乗ってきたが、そんな車両は他に見たことがない。

以前その地下鉄に乗っているとき、どこかの観光客が乗り込んでくるやいなや、でっかいリュックを(普通の地下鉄には網棚がある場所)によっこらしょと放り上げ、真下の席に座っていた不運なおばさんの膝にどーんと落ちたのを目撃したことがある。その人の不注意もまあ度が過ぎているが、網棚がないなんてその行動と同じくらい理解できないことといえる。

 

ぼくはさっきも書いた通り、基本的には立っているけど、リュックをしょって立ちっぱなしはやっぱり腰が痛い。でも網棚はない。仕方なく空いている席に荷物を置いてその前に立つことになる。だんだん混んできたとき、その行為がとても気まずいのである。

荷物で座席を占領してマナーがなってない人ね、なんて囁かれているような気がして落ち着かないのだ。

でもちょっと待ってほしい。確かに、自分が座っている隣の席に荷物を置くのは褒められた行為ではないと思う。だけどぼくは立っている。占領している席はひとつ。座って荷物を膝に抱えているお行儀のよい乗客と同じはずなのだ。なのになぜ肩身の狭い思いをしなければならないのか。いや、別に誰に文句を言われたわけでもないんだけどね。でもぼくの行為に眉をひそめている人の存在を勝手に感じてしまう小心者なのである。それもすべては網棚が無いから。ほんと困ったものだ。