ほぼ日「今日のダーリン」に糸井さんがこんなことを書いていた。
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これまでけっこう長く生きてきて、ずうっと忘れていない
「大事そうでない」思い出というものがあるのだ。
じぶんの「年表」には書くわけがないようなことで、
親しい友だちと、そういう話をしたこともない思い出。
こういうものが、あんがいあるものだとわかったのだ。
いわゆる「エピソード」だとか「こぼれ話」にもならない。
どうして憶えているのか、理由もよくわからないこと。
それでも、「大事そうでなくても大事」だったのだ。
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たとえばとして糸井さんは、中学生のとき、それまであまり好きではなかった先生に、クラス会の進行をほめられたことがうれしかったという思い出を書いていた。
たしかに、ある。
あえて「思い出」として覚えているわけではないけれど、何かのおりにふと思い出してうれしくなるようなことが。
あらためて考えてみるといろいろ思い浮かぶが、ぼくも学校つながりでひとつ。
高校生のとき、ある先生が授業にこなかったことがあった。何か緊急の用事だったのだと思うのだが、代わりの先生がくるわけでもなく、ずっと放置の状態だった。
当然クラスは徐々に騒がしくなり、途中からはほとんど休み時間のようにワイワイとなっていた。
ぼくは、たまたま仲が良い連中とは席が離れていたということもあり、特に話をするでもなく、なんとなく宿題か何かをしていた。
そのまま終業となり、帰りのホームルームで担任の先生が鬼の形相で入ってきた。
「おまえら、この前の時間でずいぶん騒がしくしてたそうじゃないか」
そしてみんなに尋ねた。「しゃべっていた奴は手を挙げろ」
当然だれも挙げるわけがない。
「じゃあ、私はしゃべっていませんという人は手を挙げろ」
黙々と自習をしていた女子数人が手を挙げた。
ぼくは、こんな風に聞かれて手を挙げる人がいるんだなあなんて、その正直さというかまじめさに感心と呆れ半分で眺めつつ、こんなどうでもいい質問を繰り返す先生にも閉口していた。
彼は、とても親身かつ熱心でぼくもかなりお世話になったのだが、あまりに口うるさいのが難点で、ぼくもしょっちゅう説教されたり口ごたえしたりしていた。
そのとき、先生がぼくの名前を呼んだ。「〇〇、おまえはしゃべっていたのか」
自分からしゃべっていないとアピールすることはないけど、しゃべっていないのに嘘をつくほどのことでもない。
「いや、べつに」
すると先生は毒気を抜かれたように脱力した顔をして言った。
「おまえ『どうでもいいから早く終わってくれ』と思ってるだろう」
ぼくも正直に答えた。
「うん、まあ…」
彼自身にも、なんだか不毛なことをやっているなあという気持ちがあったのかもしれない。
コイツしょうがないな、というような顔をして「よしわかった。もうおしまい!」
突然話は打ち切られ、めでたく下校となった。
ぼくがなぜこのことをよく覚えているかというと、先生に「人として」認めてもらえているように感じてうれしくなったからだ。
そのときは特にうれしいと明確に感じたわけではない。当時のぼくにとってはいつもの日常のワンシーンでしかなかったと思う。
でも数十年経ったいま高校時代を思い返すと、いつまでも記憶に残っていることに気づく。それがどうしてかと考えると、やはりぼくは「うれしかった」んだろうと思う。
多くのことばを交わさずとも気持ちが通じ、それを受け入れてもらえたということが。
冒頭の糸井さんの思い出にも通じることだけど、子どもにとっては、大人にほめられる、認めてもらえるというのは、人生においてとても重要なことなのかもしれない。
当の大人は覚えていないようなささいなことでも、子どもにとっては、価値観や自己肯定感を大きく育む大切な思い出となることがある、ということかもしれない。
そして多くの子どもにとって、親以外で「大人」の代表は先生だ。
うちの子どもたちの先生も、たくさんほめてくれる人だったらいいなと思う。