にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

嫌われる勇気

ほぼ日で連載中の糸井さんと古賀さんの対談に刺激されて、自分なりの考えをまとめておきたくなったので。

 

高校生を前に「勇気」について語る内容で、随所に古賀さんの「嫌われる勇気」でも扱われたアドラーの言葉が紹介されるなどして、温かく興味深い対談だったのだけど、そこで出た高校生からの質問もまたとてもよかった。

 

その中で印象に残ったのは、この質問。

なにかにチャレンジしようとしたとき、
人に嫌われてもやるかっていわれたら、
やっぱりなかなかそうは思えず、
そういう苦痛を感じるくらいなら、
それこそなにもしないか、
媚びを売るほうがいいと思ってしまうのですが、
そういうときはどうすればいいんでしょうか。」

 

これは誰もがもつ感情だと思うし、それに対する古賀さんと糸井さんの回答もそれぞれ腑に落ちるものだった。これを読んでいて、自分だったらどう答えるだろうか、と考えたくなった。

 

ぼくがアドバイスをするならば、ふたつだろうか。

ひとつは「この人にさえわかってもらえたらいい」という存在を見つけること。友だちでも家族でも恋人でもいい。どちらにしても、生きていたらみんなに好かれることなんてありえない、という割り切りができるようになると、人生かなり楽になると思う。

 

ふたつめ、これはある程度人生経験を積むことで徐々にわかってきて、いまは確信していることだが「自分が思うほど、他人は自分に関心がない」ということ。

これを頭に入れておくだけで「嫌われる勇気」を身に着けたも同然だ。

いまの仕事をやめて新たなチャレンジをしたい、もっと些末なことだと、気が進まない飲み会を断りたい、髪型を変えてイメチェンしたい、でも他の人にどう思われるかが気になって思い切れないことは多くあるだろう。でも大丈夫。周りの人は、自分が心配している100分の1も気にしていない。確かに、余計なお世話や嫌味のひとつも言ってくるひとはいるだろう。でもその人は、数分後にはきっとあなたに言ったことなんて頭から消えている。そんなことを気にして思い悩むのは無駄でしかない。

これはぼくがいつも自分に言い聞かせてきたことだし、その考えにしたがって後悔したことは一度もない。

 

「大切な人にさえわかってもらえればいい」

「誰も自分のことはそれほど気にしていない」

この感覚を自分の中で都合よく使い分けていくことができれば、きっと満足できる人生に近づく。

これが高校生に伝えたい、自分が知っておいてよかったと思えることだ。