にほんご練習帳

思ったことや感じたことを文章に表現する訓練のためやってます。できるだけ毎日続けようと思ってます。

受験

我が家の長男は4月から中学3年生。いよいよ受験生である。

といっても、彼には「少しでも上の学校を目指してがんばる」 という気持ちはないようだ。いまの自分の成績から考えて、 安全圏と思われる高校に行ければよいという感じである。

中でも、部活の仲良しグループの何人かが志望しているH高校に行 きたい気持ちがあるようだ。

 

行きたい学校があるなら、 基本的にはそれを尊重してあげたいと思う。

でも、である。

彼はこれまでそんなに勉強をしてきていない。 定期テストの直前と、あとはたまに宿題が出たらやる程度。 つまり勉強に関してあまり努力というものをしていない。

そんな感じで、安パイの学校、 中でも今の彼の成績からみるとちょっと下に位置するH高校に行き たいと言っている。

 

それがダメと言える理由はあまりない。

でも、 このまま特に努力らしい努力もせずに行ける高校でよいのだろうか 。

いわゆる「高校受験」のイメージとちょっと違うので、 なんだかモヤモヤしている次第である。

 

それは言い換えると、親として「もっと上を目指してほしい」 という願望なのかもしれない。

じゃあ、なぜ「上」を目指してほしいのか。 自分の心のうちをひも解いてみたいと思う。

 

将来から逆算すると、目指すのは「幸せに生きている」 という実感をもてる人生だ。

そこでぼくの持論なのだけど、幸せ実感を得るには「 できるだけ多くの選択肢」 をもっていることが重要なポイントだと思っている。

選択肢の中から、自分の判断で選んだ道であれば、 たとえうまくいかなくても納得できることが多い。

しかし「こうするしかなかった」という状況だと、 不満や後悔が残りやすい。そして不満や後悔は「幸せ」 の天敵なのだ。

 

そこで学校の話に戻ろう。 いまや職業選択に学歴は関係なくなりつつある。どんな高校・ 大学の出身でも自分の努力しだいで希望を叶えることは可能だろう 。ただし高学歴の人が多い世界に、 そうでない人が入っていく場合は、 様々な障害が発生することがある。逆に、 高学歴の人がそうでない世界を目指すことには、 ほとんどの場合は何の支障もない。

つまり、学歴は役に立つことがあっても邪魔になることはなく、 選択肢を多くもつためには有効なのだと思っている。

 

とはいえ、それはあくまでも「漠然と」高校・ 大学への進学を考える場合だ。

何か明確にやりたいことがあるのならば、話は違ってくる。

たとえ高卒だろうと、 学歴としてはそれほどではない大学であろうと、 自分の意志で将来のために目指したいということなら、 心から応援したいと思う。

 

長男もまだ中学生。 自分もそうだったが将来には何のイメージもないようだ。

そうであるならば、今のうちにできる努力はして、 少しでも多くの選択肢を得られる環境を手に入れてほしいと願って しまう。

 

でも結局それはぼくの価値観でしかない。 息子はまた別の人間であり、別の価値観があるはず。 それを親としてどこまで押し付けてよいものか。 いつも悩んでしまうのだ。